残された側の話(王と正妃視点)
色々とファンタジーで読んでください。
「コーデリアが王宮を辞した。そして……一切の政務からも」
王となったロナルドからそれを聞かされた時。
王宮全体が混乱に見舞われる中、アイリーンは同時に二つの感情が湧き上がるのを感じた。
(——っ何故、一体どうして?)
一つは純粋な疑問。
これから二人でロナルドを支えていくのではなかったのか。
国民のため、国をよくしていくのではなかったのか。
今までロナルドに尽くしてきたのと同じように、この数年間、コーデリアはアイリーンによく尽くしてくれた。王宮のしきたりに不慣れなアイリーンを助け、時折指導し、要職に就いている者から下の者まで顔繋ぎもしてくれた。
今まで知らなかった下の者たちの働きを知ることができ、正妃教育では教えられることのない人の上に立つ存在としての振る舞いを示してくれたのだ。
もはや、コーデリアは王宮の誰よりもアイリーンを支えてくれた。
それは……ずっと続いていくものだと思っていたのに。
(……ああ、そうか)
しかしそんな悲しさとは別に、もう一つ浮かんだことがある。
心のどこかですとんと納得がいった。
——彼女の言っていた『欲しいもの』とは恐らく……きっと、このことなのだ。
かつてのアイリーンは、ロナルドの隣に立つことができるコーデリアの立場を欲しがった。
実力と努力で奔走し、ロナルドの隣を勝ち取ったアイリーンは幸せだった。愛する人の心を得られて、国に、国民に認められて幸せだったのだ。
……であるならば、コーデリアが彼女自身の意思で獲得したであろうこの状況を、どうしてアイリーンが否定できるだろうか。
ロナルドとの仲を心から祝福してくれた彼女自身の望みを、アイリーンが望まずして誰が望むのだろうか。
ロナルドや王宮の者たちは、突然いなくなった側妃に慌ただしく動いている。
そんな中、アイリーンだけが一人物静かに思案していた。
(せめて、手紙を……近況や息災を問う手紙だけでも。——いいえ。そうじゃない、違うわ。そんなことよりも、わたくしはわたくしの責務を果たすことに心血を注がなくては)
たった数年とはいえ、正妃に必要とされる様々な教育を受けてきた。
ただ、心のどこかでコーデリアがいることに安心感を抱いていたのは否めない。そしてそれは王宮内でも同じような認識があった。成婚式のたった数年前に正妃候補が代替わりしても王宮が揺るがなかったのは、信頼の厚いコーデリアの存在があったことも大きい。
……そういった意味では、自分は己の能力だけでロナルドの妻という立場を勝ち得たとは言えないのかもしれない。
あの日、あの夜会からずっと。
コーデリアに許され、助けられてきたからこそ、アイリーンはたった今それを自覚した。
うつむいていた背筋が自然と伸びる。
この瞬間、アイリーンは自分の中にあった最後の甘えを捨て去る。この国の『正妃』となる決意を、今一度改めて胸に抱いた。
***
「馬鹿げた法だ……」
執務室で椅子に深く沈み込み、王となったロナルドが深くため息をつく。
『側妃となった者は、希望すればその後一切の政務を免除する』。
コーデリアから渡された書面でその古法を示されたロナルドは、知識の片隅からなんとか記憶を引っ張り出した。
経緯は知っている。歴史も、その時代の王が愚王と評されていることも。知識では知っていたが、ロナルド自身にはなんら関わることのないただの歴史の一遍だろうと思っていた。
「側妃の分の政務は、回せないこともないが……」
突如として領地へと居を移したコーデリアの行動、そして今後一切の政務を行わないという特権の行使要請。
前触れもなく敢行されたそれらに、ロナルドは当初怒りのままに文官や部下に仔細を確認していた。しかし、震える文官の声とコーデリアから差し出された書類に目を通せばその怒りは途端に静まり、代わりに少しの困惑ののち、ロナルドを呆然とさせた。
——コーデリアは何故こんなことを。
彼女とは、いわば戦友だった。
国が決めた未来。国が決めた婚約者。とりわけ珍しくもない関係性だ。少なくとも、この国の歴史においては。もちろん恋愛関係となる夫婦もいたが、割合でいえば少なかった。
勤勉で控えめ、よくよく己を弁えていたコーデリアは、王家にとってこれ以上ない正妃候補だった。生家である公爵家と王家の関係も程よく、権力の偏りもない。彼女自身も王太子であるロナルドを立て、しかし自分の意見は持ち、下の立場の者にも忖度なく接した。
『互いに、国のために生きていこう』
『はい殿下、この身をもって』
そう未来を語り合った日はいつだったか。
古法典にある特権を使い、側妃が政務を放棄したと国民に知られれば、その驚きは王家への信頼を多少なりとも揺るがすだろう。
あれから数日。事情を聞いた文官の中には口さがない者もおり、この行動はコーデリアを側妃に降下させた腹いせではないかと言う者もいた。
そんなはずはない、彼女はそんな人間ではない。
ロナルドはそれらを馬鹿げた話だと断じる。即座にそう判断できる程には、ロナルドはコーデリアの人となりを知っていた。だからこそ、ロナルドはたった一つのことが何よりも信じられない。
(少なからず国を揺るがすことを、あのコーデリアがするなんて……)
いつだって責務に誠実で、未来の妃たろうと努力していた姿を知っている。その姿に励まされ、ロナルドも努力し、互いに高め合ってきた。
そんなコーデリアが、王宮の者の不利益になるような……こんな身勝手な振る舞いをするなど、ロナルドは到底信じられなかったのだ。
「……とにかく一度話をせねばならない。コーデリアに登城するよう通達するんだ」
苦悩から額に当てていた手をどけて、ロナルドは側近にそう告げる。文官が頭を下げた瞬間、部屋の扉が少々荒く開かれた。
「——お待ちください陛下」
「あ、アイリーン……? なんだ、いきなりどうしたんだ」
数名の側近を連れ、許可を待つことなく入室してきたのは正妃アイリーンだった。国王の執務室に勝手に押し入った無礼はあれど、彼女の真剣な面持ちに誰もが口を閉ざす。その空気を機とみたアイリーンが、恭しく口を開いた。
「先ほどの陛下の下知について、どうかご再考ください」
「再考だと?」
「——コーデリア様を、呼び戻す必要はありません」
「なっ!?」
開口一番アイリーンが口にした言葉に、ロナルドは耐えかね立ち上がる。
「一体、何を言うんだ!」
「陛下に届いた書類の内容と法典を、わたくしの方でも改めました。確かに記載があり、現在でも効力がある法と確認できましたわ」
「だが、法とはいえあれは愚王が定めたもの。実際に行使していいものではない!」
「そんな法や規定はどこにもございません」
「アイリーン!」
国王と正妃の口論に、室内に緊張が走る。しかしそれだけ追い詰められているのは、ロナルドもアイリーンも同じだった。
「コーデリア様は法に則ってその権利を主張されているまで。あくまでも公人として、今この瞬間までなんの後ろめたいこともされておりません。それこそ、わたくしが正妃となるまでもずっと」
「……それは」
「まさか陛下は、今回のことがコーデリア様の私怨からくるものであるなどとお考えではありませんよね?」
「それは、もちろんだが……」
そうだ。彼女がなんの考えもなしに、こんなことをするとは思えない。
いや、そうだ。であれば……こう考えることはできないだろうか。
ロナルドの中に、一つの可能性が閃いた。
「もしやコーデリアは……国のため、何か別の考えがあってこんな騒ぎを起こしたのか?」
王宮に混乱を起こすことで、何か得られるもの、狙いがあったのだろうか。そしてアイリーンは、コーデリアの真意に気付きこうして進言しにきたのではないだろうか。
そう思い、ロナルドは一縷の望みを抱いた眼差しでアイリーンを見る。しかしアイリーンはといえば、そんなロナルドの表情を見つめ、苦々しく眉をひそめるばかりだ。まるで何かを確信したかのように。
「コーデリア様のご事情は存じております」
「おお! やはりアイリーンは把握しているのだな。君たちは良い関係を築いていると思っていたが、互いに信頼しあって……」
「あの方はわたくしにこうおっしゃいました」
ロナルドの言葉を遮り、アイリーンは続きを口にする。
「『側妃となった暁に、欲しいものが手に入る』と」
「……欲しいもの?」
しかし続いたその言葉に、ロナルドの眉はさらに顰められることになった。
「欲しいもの、だと? それはなんだ、どんな国益……いや、いや待て。コーデリアが……〝何かを欲しがった〟のか?」
あり得ない、と無意識に小さく呟くロナルドに、アイリーンは何も言わない。
ロナルドはわからなかった。
普段は何の気兼ねもなく語り合えるアイリーンが、こうまで言い淀む理由が。愛する妻が、悲しげに自分を見つめている理由が。側近たちの顔をうかがっても自分と同じように疑問を浮かべるばかりだ。
何も読めない。
何もわからなかった。
「……ロナルド様。わたくしは、あなたを愛しております。そのことに一切の後悔もありませんが、この想いを遂げるために様々な影響を及ぼしました。国にも、王宮の者にも、国民にも、……コーデリア様にも」
「ああ、それは……そうだな。彼女には悪いと思って——」
「いいえ」
アイリーンが鋭く否定する。再び言葉を遮られたロナルドは喉が詰まる思いだった。
彼女がロナルドの行いを注意する時は、ロナルド自身に落ち度があった時だ。立場に関わらず、忠言を申し立てる臣下としてもアイリーンは妃にふさわしい。
それを理解しつつも、だからこそわからない。ここまで強く批判するアイリーンが、その真意が。
「ロナルド様は理解されておりません。正妃の座を掴み取ったわたくしの覚悟も、そして何より……コーデリア様のことも」
「アイリーン……」
(違う……。ああ、そうじゃない、違うだろう)
今はそんなことを論議している場合ではない。
そんなわけのわからない話をするよりも、今は優先することがあるじゃないか。
(今するべきは、コーデリアの問題行動についての話だ!)
内心を表現するように、ロナルドはアイリーンの話に呆れ大袈裟に頭を横に振った。しかし苛立ったロナルドの態度にもアイリーンは怯まない。
「わたくしは、幼い頃から正妃候補として育ってきたコーデリア様に生涯憎まれる覚悟で、あの日あの夜会、あなた様の隣に立ちました」
「憎まれるだと?」
「相手の長年の努力を奪い取るのです。憎まれて、恨まれることすら想定して……どんな言葉を投げかけられ、負の感情を向けられても。それらを受け入れ、また負けずにいようと心に決めていました」
……でも、ロナルド様はそうではないのでしょう?
その一言がやけに重く、部屋に響く。もはや誰一人として口を開く者はいない。ただ一人、ロナルドを冷静な瞳で見つめるアイリーン以外には。
その覚悟を携えた瞳に、いつか政務中に見たコーデリアの刻然とした姿をロナルドは思い出していた。
「ロナルド様は、コーデリア様に心からの謝罪は示されましたが、あの方が変わらず国に仕えてくれることを当たり前と捉えておりました」
「それは……そうだろう……!? コーデリアは、『この国の妃』だ。ああそうだ、彼女を誰よりも知るのは私だ! 幼い頃から共に切磋琢磨してきた、国を治めるパートナーなのだ! そのパートナーが突然いなくなったというのに、連れ戻さなくていいとはどういうことだ!?」
「では教えていただけますか」
落ち着かない感情を切り捨てるように腕を振り払い、一喝するロナルドの姿を、アイリーンは冷静な目で捉えている。
「コーデリア様を最も知る陛下は、コーデリア様の好物をご存知ですか?」
「好物だと? 彼女は私が差し出すものならなんでも美味しいと言って食べていた!」
「コーデリア様のご趣味は?」
「趣味? 彼女は読書が好きだ。政治経済や法の書物を持ち寄り何度読みあったことか!」
「好き嫌いがなく、読書がお好きだと?」
「ああそうだ!」
「……コーデリア様はクルミ入りのエッグタルトがお好きですわ。逆に甘過ぎるチョコレートは少々苦手だとか」
「……は?」
「それに、ご趣味は乗馬だそうです。一度共乗りをさせていただきました」
「乗馬……? ……令嬢が? コーデリアが? ……乗れるのか?」
重ねられる疑問に、アイリーンは迷いなくはいと返す。ロナルド様、と更に続けられた言葉を、もう聞きたくないと感じたのはロナルドの心だ。
「——先ほどからロナルド様がおっしゃっているのは、『公爵令嬢』であり、『正妃候補』だったコーデリア様のお話だけ。……それらの立場を取り去った彼女自身のことを、あなた様は何一つ知らないのではないですか」
「あ……」
沈黙は肯定だ。いや、自覚でもあった。
ついに言葉を失ったロナルドを見ながら、アイリーンは思い返していた。
先ほどロナルドがふとこぼした、「コーデリアが何かを欲しがったのか」という言葉。その意味が、今のロナルドの沈黙を物語っている。表情が、今まで国を背負う者として生きてきた二人の関係性を示している。
しんと静まり返る部屋の中で、ふぅとアイリーンが小さく息を吐いた。
「……あなた様はいつか、わたくしにこうおっしゃいましたね。王太子でも王族でもない、自分自身を見てくれる、わたくしが好きだと。公人たる王太子の顔を取り払える、得がたい存在だと」
「……ああ」
ロナルドは頷いた。
そうだ。アイリーンと出会い、この人だと思ったのは、何よりもその安寧を愛しく思ったからに他ならない。彼女となら、彼女なら。そう思ったことはよく覚えている。
「王太子であったあなた様でさえ、わたくしを正妃に望むことを優先されました。……では、コーデリア様は? 側妃の特権法を使い、領地に辞したコーデリア様の願いは、何故許されないのですか」
「それ、は」
——だって、何よりも国のため、長年共に生きてきたではないか。
(いや……いや、はたして彼女自身はそう思っていたのだろうか)
——そもそも、愚王の法ではないか。
(それでも、法には変わりない)
——しかし、公人は個を優先することは許されないのでは。
(俺は…………俺自身は、アイリーンを正妃に望んだのに? 『個』の願いを優先させたのに……?)
先ほど振り払ったロナルドの手が、今では力なくぶら下がっている。その手をそっと取り、優しく包んだアイリーンがロナルドを見上げる。厳しくも優しい、愛しい人の瞳だった。
「——王陛下、ロナルド・ロイヤーマンド国王陛下。誰よりも陛下に近しい、忠実なる臣下として申し上げます。……国民を、個人を、コーデリア妃殿下自身を、王としてお見つめになってください」
(そうだ。自分は……)
自分自身の願いを優先し、コーデリアを側妃へと降下させた自分が……彼女個人を見ていなかった。幼馴染として、友人として、パートナーとして確かに存在していた親愛の情が、見せかけのものだったと自覚してしまった。
それに……。
自分を愛してくれたアイリーンが、何を思って己と結ばれたのか、考えもしていなかった。
政治的にとはいえ、身内となるコーデリアに生涯憎まれてでも自分と結ばれようと努力していた彼女に比べれば、自分などなんと呑気なものであったのか今ならわかる。
その事実が、無意識下でコーデリアを軽視していた過去と現実を何よりも強くロナルドの目前に突きつけてきた。
「ここからは、この国の正妃として申し上げますわ。わたくし、第28代目正妃アイリーン・ロイヤーマンドの名において、側妃コーデリアの処遇一切をわたくしが取り仕切ります。特権の行使を希望する彼女の目的に関わらず、この決定と以後の判断は何者も口を挟むことを許しません。——もちろん、陛下も」
よろしいですか。
そう問われたロナルドは、失望を胸に頷くしかなかった。その落胆はロナルド自身に向けたものだ。
王と正妃、ロナルドとアイリーンが、己の行動から起きた事態とその責任を談じていた中。ただ沈黙の中聞いていた側近や文官たちは、アイリーンの宣言にロナルドが頷いたことで自分たちも従う意思を示すため、みな頭を下げた。
読んでいただきありがとうございます。
こういう認識の根底からアレなグロい話好きです。
アイリーンかわいいよアイリーン。
次は公爵家だ!
また、コーデリアたちがさらに幸せになるパターン(これは性癖なし)(多分)も浮かんだので他作の作業合間に気長〜〜〜に書き進めようと思います。多分。