嘘?本当?レディファーストの起源について
◇◇◇
レディーファースト、それはできる大人の男のマナー。レディーファーストをそつなくこなす男は確実にモテる。
でもネットだと、「実は起源は全然逆だったとか知ってる?弾除けのためや窓から捨てる汚物除けに女性を使ってたんだよ」みたいな噂がまことしやかに囁かれていますね。
今では信憑性の低い仮説や個人の行き過ぎた独自解釈じゃないかと言われていますが、内容が刺激的だったために拡散され、まあまあ有名になっちゃったので、それが揺るぎない真実だと信じちゃってる人も多いのではないでしょうか。
なんだかどや顔で語ってる仮説、それ、本当???
そこで今回は、歴史から紐解くレディーファーストの誕生秘話についてざっくりご紹介したいと思います。
まあ、ウィキペディアでも軽くググればすぐに出てきますが、レディーファーストの元は中世の騎士道から始まりました。
騎士道のルーツはアジアの遊牧民サルマタイの、武具、戦闘方法、規範意識などにあり、戦場での武勲を第一とする戦士としての規範を参考にしたものが始まりだと言われています。騎士道というといかにも西洋ってイメージですが、元々はゲルマン民族の教えにインスピレーションを得たというのが面白いところ。
実はサルマタイの戦士としての規範は日本の武士道のルーツでもあり、西洋では騎士道として、日本では武士道としてそれぞれ進化を遂げました。
中世初期、西洋の騎士道に深く影響を与えたのがキリスト教です。10世紀末ごろから封権領主たちの傍若無人な行いを見かねた教会の働きかけにより、南フランスに「神の平和」運動が起こりました。農民や婦女子を害さないことを誓わせる活動を積極的に行い、教会の教えに従わない場合は破門するという厳しい処罰を下したのです。
さらに11世紀末ごろ、第一回十字軍の活躍により騎士の社会的地位が飛躍的に高まると、騎士とは「神の戦士」であるとの認識が広がるようになりました。「神への献身」「異教徒との闘い」「弱者の保護」こそ騎士の責務だとする騎士道の基礎が成立したわけですね。
ただしこのころの実際の騎士たちの行動は騎士道には遠く及ばず、やっていることは賊と変わらないものでした。そこで根気強く教会が教えを広め、騎士としての規律を浸透させていったのです。
中世の騎士道は宗教的色合いが強く神への献身を誓うもので、1275年に騎士であり神学者であるラモン・リュイが記した『騎士道の書』は、中世において騎士の必読書であり、聖職者の教本としても親しまれたと言われています。ここでも騎士は神の剣であり、婦女子、寡婦、孤児、病める者など、弱者の守護者たれと説いています。
ちなみにこのころの騎士は「神の騎士」なので、洗礼を受けてクリスチャンにならなければ騎士になることはできませんでした。異教徒に対しての容赦のなさは騎士の美徳だったんですね。敵には容赦するなという戒律があります。騎士の強さに対する美徳はここからきているようです。
しかし近世になると、国家主義の概念が形成され、今までの「神の騎士」として神に忠誠を誓う騎士から「主君に忠誠を誓う」騎士の姿へと変化を遂げることになります。また、中世後期から流行した騎士の活躍を詠った武勲詩や叙事詩、アーサー王と円卓の騎士を題材にした騎士道物語が、実際の騎士道に影響を与えるようになりました。
騎士道に宮廷的価値観と貴婦人に対する献身的愛情というロマンス要素が加わり、「弱者の守護、異教徒との闘い、神への献身」を核とした騎士道は「主君への忠誠、名誉と礼節、貴婦人への愛」を骨子とした宮廷人の価値観へと変化したのです。
こうしたロマンス騎士道をフランス、イングランドに広めた存在として知られるのが、中世盛期の西洋において最も裕福で地位の高い女性の一人であった、アリエノール・ダキテーヌです。
子孫が各地の君主及び妃になったことから「ヨーロッパの祖母」として知られており、自身もフランス王妃、イングランド王妃として在位していました。当時一流の文化人であった彼女は、ベルナール・ド・バァンタドゥールらの吟遊詩人を庇護して、華麗な宮廷文化のパトロンとして多くの文芸作品を誕生させました。
アリエノールから着想を得たベルナールは彼女をモデルにした架空の恋愛詩を制作し、彼女への思慕とプラトニックな愛を表現した作品を数多生み出しました。アーサー王物語に組み込まれた数多くの物語を生み出した物語作家たちもアリエノールの宮廷に集まり、騎士道物語と宮廷恋愛が混じり合った作品として開花し、ヨーロッパや東方へと広まっていくことになります。
ここで面白いのは、アリエノールはアーサー王物語を当時の粗野なイングランド宮廷を洗練させるために利用したこと。さらにポワティエでも、粗野な貴族の子弟たちの教育のために恋愛の規定を作り、それを通じて貴族たちの振る舞いを洗練させることにしたのです。
『愛の宮廷』という、男女間の恋愛を疑似裁判に持ち込み婦女子が判決を下す空想の遊びを行い、こうした疑似裁判を通じて男性が女性に愛を捧げる騎士道精神を宮廷恋愛の理想とした『恋愛論』の思想がヨーロッパ宮廷に広まることになります。
その後も、騎士の愛する貴婦人への服従は主従関係に擬せられ、貴族階級の流行となりました。さらに宮廷文学は彼女の子孫である王妃たちによって受け継がれ、ブルゴスやトレドにも広まっていきました。
とまあこんな感じで、元々のレディーファーストはこうした身分の高い高貴な女性が華やかな宮廷文化と共に広めたものであり、根付いたもののようです。アリエノールさんの波乱万丈の人生は実に面白く、当時莫大な財産を持つ女性相続者がいかに強い権力を持っていたのかを伺わせますね。
高貴な身分の男性のマナーとして定着したレディーファーストは、根付いた国で階級を超えてマナーとして定着する一方で、時代の変化によって廃れたり、国によっては定着しなかったり。そこには宗教的思想や国による価値観の違いなどが大きく関わっています。
日本には大正時代から明治時代に入ってきて西洋式マナーの基本として学ぶことになりましたが、堅苦しい作法としてはあまり定着しない一方で、「道路側を男性が歩く」「重い荷物を持つ」「良い席を女性に譲る」などの行為は一般的に数多く見られるそうです。
マナーというよりも、日本独自の「思いやりの心」や「道徳観念」に基づいた行動が、たまたま西洋のレディーファーストと重なることがあるのかもしれませんね。
レディーファーストは女性が「こんな男性素敵!」と思う夢を詰め込んだものって気がします。それに乗っかってくれたのは、男性が狙った女性を手に入れる手段としても非常に有用だったからでしょう。
今も昔も、愛され大切にされるお姫様でいたい。みたいな。
精神的ゆとりのある人は、ぜひ実践してみてください。すごくモテるかもしれません。
「けっ!ずうずうしいわっ!女など俺の食事が終わるまでそこに立ってろ!」
みたいな方もいるかもしれないので、別に強制しませんけど。モテないよ。
おしまい。