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月と雪と眼鏡の縁

作者: 藤泉都理

【第一話】




 ゆきがふる。

 いつもいつも。




 あわゆき。

 かわきゆき。

 きりゆき。

 こおりゆき。

 こごめゆき。

 こなゆき。

 ささめゆき。

 ざらめゆき。

 しめりゆき。

 たまゆき。

 はいゆき。

 はなびらゆき。

 べたゆき。

 ぼたゆき。

 みずゆき。

 もちゆき。

 わたゆき。




 いつもいつも、

 ゆきがふる。

 ふりつづける。

 つもらないゆきが。











「ああ。変わらないなあ」


 庭に佇んでいた少年は短い赤髪をつまんでは、無造作に放った。

 じんわりと涙が込み上げる。


 この雪に触れて髪の毛の色が変わらない人間は特別ではないのだ。

 この雪に触れて髪の毛の色が変わる人間は特別なのだ。

 銀の色に変わる人間は。


「兄さまは」


 変わったのになあ。

 


 











(2023.7.28)



【第二話】




(ああ、またか)


 兄は庭に佇んでいる弟を見つけて、ひそやかに嘆息した。


 常に降り続ける多様な雪に触れて髪の色が銀に変わった人間は選ばれた人間。

 などという事実を帯びてはいるものの、仰々しさが目立つ言い伝えのせいなのか。

 以前は屈託なく接して来た弟が近寄らなくなってしまった。

 誰に吹き込まれたわけでもなく。

 弟は自ら距離を置いている。


(この銀髪がいけないのか?)


 兄は頬にかかっていた長い銀髪に触れては、つつと撫でた。

 艶があり撫で甲斐のある、素晴らしい銀髪だった。


 選ばれた人間であることは否定しないので、成人の仲間入りをする十五歳の誕生日という相応しい日に触れた雪で銀髪に変わるのは至極当然だったのだが、まさか弟に距離を置かれるとは誰が予想できただろうか。

 否、できようはずがなかった。

 あんなにも。

 あんなにも、兄は選ばれた人間だぞと常日頃から言っていたのだ。

 銀色に変わる前からずっと。

 そうだ。

 その頃は兄さま、兄さまと、愛らしい声で、愛らしい顔で、愛らしい動きで、いつもいつも傍に居てくれたというのに。


 なにゆえ。

 銀髪に変わった途端に、離れるのか。

 選ばれた人間なのだ。

 銀髪に変わることは容易に予想できたはずなのに。

 なにゆえ。


(弟よ)


 なにゆえ。


 切なさで瞳を潤わせたのち、兄は銀色の長髪を扇状になびかせては、弟に背を向けて歩き出したのであった。











(2023.7.31)



【第三話】




「なに?弟が一人で町に出かけたのか?」

「はい」


 緑色の三つ編みの執事に告げられた報告に、兄は居ても立っても居られずに執務室兼自室から飛び出した。


(そろそろ一人で町に出ても差し支えない年齢だと。確かにあと一年もしたら弟も十五歳。私たちの仲間入りをするわけだが。だからと言って、まだ十四歳………いや、もう十四歳、か)


 走馬灯のように全身を駆け巡ったのは、弟との大切で甘やかな記憶。


(もう、十四歳、か)


 最初の勢いはどこへ行ったのか。

 走る速度を徐々に落とした兄は、一度立ち止ま。ろうとしたが、やはり止めて、速く速く、初速よりも速く駆け出した。

 距離を置かれようが、弟への想いに陰りが生まれようか。

 距離を置かれているから、己も距離を置こうと考えるのか。

 否。


(見守るだけだ。見守るだけ。例えば、弟にどのような困難や危険が立ちはだかろうと、も!見守るだけだ!)


 強い決意の下、兄は走った。

 走って走って走った。

 最愛の弟の元へと。











(2023.7.31)



【第四話】




(………眼鏡屋?)


 町に突入して石畳の道を駆け走ること、十分。

 店の壁の下の三分の一が石張りで、上の三分の二が硝子張りの眼鏡屋にて。

 素早く銀の長髪を頭の上部でお団子に纏めては、常備している紅のハンチング帽を被って目元と髪の毛を隠していた兄は弟を発見、眼鏡屋の向かい側にある移動式図書館にて、弟の様子を窺うことにしたのであった。


(しかし、弟は視力は悪くなかったはず。もしや私が知らぬ間に視力を悪くさせたのか。っは。お洒落眼鏡というやつか。来年は成人になるのだ。外見を整えようとしてもおかしくはない、上に、何でも似合う弟のことだ。店の眼鏡を全部買い上げることは容易に予想できる。っく。金は。金は足りるのだろうか。私が行っ。いやいやいや。出がけの決意を忘れたのか、私!どんな困難も危険も手助けはせずに見守ろうと決めた。が)




 私だと気づかれなければ。

 いいのでは。

 ない、だろう、か。











(2023.8.1)



【第五話】




(いやいやいや)


 兄は華麗に頭を振って、悪魔の囁きを吹き飛ばした。


(見守ると言ったら、見守るんだ。私。私の弟だぞ)


 兄は戻しかけた本を再度持ち直し、読む姿勢を取りながら弟の様子を窺った。


(ん。あれは店主か。なかなかどうして上品そうな老齢男性だ。うむ。信用できそうだな。弟に所望の品を尋ねているのか。弟は具体的な要望はあるのだろうか。具体的にないのならば、やはりすべてのお洒落眼鏡を、いや、お洒落眼鏡とは限らないが。とにかく。必要な眼鏡はすべて買い上げればいいのではないだろうか。もし金が足りずとも、家名を告げてあとで届けさせると言えばいいしな。うむ。ん?弟が店主に言っているな。なになに)




 縁が銀色の眼鏡がほしい。












(2023.8.6)



【第六話】




 私は選ばれた人間だ。


 ぼくと一緒に寝がえりをしながら、兄さまは言った。

 ぼくと一緒にずりばいをしながら、兄さまは言った。

 ぼくと一緒にはいはいをしながら、兄さまは言った。

 ぼくと一緒に掴まり立ちをしながら、兄さまは言った。

 ぼくと一緒に伝い歩きをしながら、兄さまは言った。


 よく覚えているねと驚かれる、魂に刻まれた記憶。

 とても幼い頃からずっと、今の今も、兄さまは言い続ける。

 背筋を伸ばして、胸を張って、自信に満ち満ちた顔をして。

 いつだって、兄さまは月のように煌々と輝いていた。




 かっこいい。

 多分絶対、この世に誕生して、一目見た瞬間から、心を奪われた。

 兄さまみたいに、かっこいい人になりたい。

 絶対絶対、銀髪に変わってみせるって。

 自分磨きに励まなくっちゃ。

 勉強も武芸も日常生活全般も。

 兄さまみたいになりたいなら。

 兄さまみたいになりたいから。






 初めて一人だけで町に出た。

 自分一人だけで買い求めたかったから。

 銀の縁の眼鏡。

 兄さまが文字の読み書きをする時にかける眼鏡。


 兄さまと同じ眼鏡をかけるなんておこがましいかもしれないけど。




 兄さまが選ばれた人間だって知っていた。

 知っていたけど、実際に選ばれた人間だという証である髪の毛の色が銀に変わった瞬間。

 兄さまがとても、手を伸ばしても、駆け走っても、届かない遠くへと行ってしまったような気がした。

 とても、とても、自分に自信がなくなってしまった。

 早く、早く、自分も銀髪にならなくちゃ、傍に居ちゃいけないような気がした。

 だけど、毎日毎日雪に触れているのに、赤い髪が銀に変わる事はなかった。

 兄さまに近づいちゃいけない。

 そんな事はないのに、どうしても、前みたいに近寄る事ができなくなった。

 嫌だった。

 前みたいに話したい。

 自信を持たなくちゃ。

 でもどうしたら自信を持てるようになるのか。

 自分に自信を持つ方法を探して、探して、そして。






「に、兄さま」

「何だ?」


 庭園にて。

 弟は久方ぶりに兄に自ら話しかけた。

 お守りである銀の縁の眼鏡をかけて。


「ぼく。ぼくも必ず、兄さまに追いつきます!」

「追いつく?」


 兄は冷たいとも捉えられる薄い微笑を浮かべたのち、背中に流していた銀の長髪を大きく払って、次いで、追い越してもらわなければなと満面の笑みを浮かべた。

 ビリビリビリっと、全身に電流が駆け走った弟は大きく跳ね飛んでは、兄に抱き着いて、満面の笑みを返して大きく返事をしたのであった。













(2023.8.8)




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― 新着の感想 ―
[一言] お互いを想い合いながら、それ故に距離が生まれてしまったふたりの繊細な心の動きが印象的でした。 普段はクールであろうお兄さんが弟を前にすると心の声が乱れてしまうのが可愛らしかったです笑。 弟が…
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