第十三話「こんなはずじゃなかった」
おじさんは、小さな車を所有していた。それで私をここから連れ出してくれるのだと言う。
「赤城に、小生の父母が使っていた家があります。美依ちゃんは、しばらくそこで英気を養うと良いと思います」
今の状態を世間一般で言えば「家出」を唆している状態であり、私の年齢を考えれば誘拐だと言われても遜色ない。
「うん、良いよ、どこでもいいから連れ出して」
黄色い帽子を被って、学校に登校している年端もない少女は……
まるで、駅前のスーパーに車を出してもらうような体で、少し前まで名前もさえも知らなかった他人に、運命を委ねようとしている。
リーンカーネーション 輪廻の扉
第十三話 「こんなはずじゃなかった」
「空気がとっても良い所です。水道水も山の水を使っていて、お風呂は温泉水を引いています」
年齢的に、まだ身体のどこにも悪くなっている感じはないが、正直、東京の住環境に不満があった。
「大丈夫、そこで良いよ」
まあ、どれくらいの期間になるのかは分からないが、身体を休めるのも良い事だと思う……
それに、あの態度の悪い継母が父の勘気を被る姿を想像するのも悪くない。精々、これまでの怠惰を窘められればと思うと、これ以上もなく気持ちが良い。
「後悔はさせませぬよ」
おじさんは、勤と言う名前なのだと言う。
「名前で呼んで下され、呼び捨てで構いませぬ」
軽自動車(カプチーノと言うらしい)のハンドルを操作するおじさんは、昼間見たカメラを繰るおじさんより、少し凛々しく見えた。
「…………(うん)」
が、それは錯覚なのだとすぐに思った。
おじさんの左手が、私の身体をザワザワと弄る。まるで、芋虫のような手のひら。
……高速道路だから誰の目にもつかない。そう思っての事だろう。
「おじさん」
私は、その気持ちの悪い手のひらには構わず、運転をしている右側に座っている男に、目も合わせず言った。
「今、貴方がしている事は、私を著しく愚弄している。そうは思わなくて?」
ビクッと、身体を触る手が反応し、元あるべきのハンドルの左側に添えられた。
「すみませぬ、つい」
「……私が欲しいなら、もっと勇気を持ちなさい」
軽率でしたと詫びるおじさん。
恐縮しているのか、額に脂汗をかいていた。
「…………」
その脂ぎった額に、そっとハンカチーフを当てて、汗を拭った。
「み、美依ちゃま、小生が間違っておりました」
「……良いから運転に専念しなさい」
私は、やたら小さくなっているおじさんを許してあげる事にしたのだった。
…………………
「着きました。美依ちゃま」
家は、文字通り山の中にあった。
赤城山と言う山らしい。
通って来た峠道の所々に「熊出没注意」との看板が立てかけてあった。
私の中では恐らく初めての、「自然に面した環境」と言う事になるのだろう。
「今、ストーブを点けますので」
いそいそと、部屋の隅に置いてあった薪を暖炉の中に積み上げる。
「あれ、シケっているのかな」
細く切った新聞紙に、ライターに火を着け、薪の間に差し込んで見るが……
一向に火が熾る様子はない。
「あれを付ければいい」
部屋の壁板に設置されたエアコンを指差して、おじさんに部屋を暖かくするよう指示するが……
「申し訳ございませぬ。電気は明日に開通させますので」
ほぼ、思いつきの逃避行。
勿論、用意など整えてある筈も無かった。
………………
赤色の絵の具
火の粉を描く
青色の絵の具は
水の色
空色の絵の具で空を塗り
茶色の絵の具で土を塗る
世界の色が定まれば
自ずと時間が動き出す
私が描いた理は
世界を動かす軸になる
………………
寒い……
俺たちがこの星に降下する為に使った揚陸艇は、すでに機能を停止している。
即ち、暖を取るには何らかの手筈を整えるしかない。
「テントを」
「資材置き場を」
仲間達が、血眼になって働いている。
二十四時間以内に「住処」を人数分整えないと、待っている結末は恐らく死なのだと思う。
「あ、姐さん」
丁度よく、俺ら先遣隊のリーダーである、ミィ様がキャンプに帰って来てくれた。
確か、テラなんとかの最中で忙しいみてーなんだけど、とにかく此処に帰って来てくれたのは何よりの僥倖だ、頼みてー事はもぅ、山ほどあるんだ!
「何かよう?」
けれども俺は、年甲斐もなくその様子にギョッとするしかなかった。
姐さんが、余りにも憔悴していたからだ。
……ううう、とにかく、いつもの様な姐さんの、人の良い明るさは、何処にも見られなかったんだ!
「私、眠いんだ。テント、借りるね」
俺と、姐さんの姿を見つけて集まって来た仲間達は、ただただ姐さんが寝床に入りに行くのを見送る事しか出来なかった。
……………
「寒いね」
「申し訳ありませぬ、小生の日頃の精進が足らずに」
人選を誤ったのだろうか。
誠実な人物ではあるのだろうが、それだけでは困る事もある。
山の中の一軒家に私を誘い込む事に成功したのだから、その次も期待をせざるを得ない。
「コンビニで、何か買ってきます」
おじさんが言うには、前橋まで車で降りれば当然、コンビニも何もかもがある。
そう言う類いの事を言っている。
「私は寒いって言っているの」
少し、怒気を込めて言った。
どうやら、この人は尻を叩かないと何も出来ない男の様に感じる。
「貴方がコンビニに行っている間に、私は風邪を引きます」
イライラした表情をワザと作り、伏し目がちなおじさんに詰め寄る。
「後悔を私がすれば良いのね」
少しだけ面白くなってきて、この無策な朴念仁を少し、懲らしめる事にした。
…………
「ミィは別に寒くないんだけど」
「うちら、寒くて死にそうなんです」
サハギン。
移民船内で遺伝子を組み替えて作られた人夫達。
あんまし、頭の回転が良くない。
「姐さん、頼みます。火を俺たちに」
揃いも揃って男たちが、伏して私に懇願する。
「何の用意もして来なかったの?」
私は少々呆れた。
私はテラ・フォーミングで忙しいのに。
ああ、もぅ……
忙しいのにさ……
…………
月曜日に市場で買い物を
一番大きなお魚の
干して薫した立派なそれを
暖炉に薪を焚べましょう
花瓶に花も生けましょう
壁に係った水彩画が
斜めになっているから直してね
ゆっくり
ゆっくりと時間が回るから
私たちは明日を待ち遠しく
夢を見る事が出来るのだから
…………
「火、着いてるよ」
ふふ、いじめすぎたかも。
おじさんが、グシャグシャの顔で泣いている。
「あ、あれ本当だ」
振り返ると、薪ストーブの中に赤い火柱が一筋、立ち上がっている。
先程まで自身の無能さを詫びて、文字通り伏して謝罪していたのだ。
……そんな、おじさんだったのだが、不意に熾った火の気にまるで、神様がここに降りて来たのかの如く、小躍りを始める。
「これで、美依ちゃまに風邪を引かせる事はありません」
まるで、自分の手柄の様に誇るおじさん。
正直、期待をこれ以上彼の身の上に乗せる事は、到底出来ないだろうと思った。
…………
「あったけーーー」
「ありがとう姐さん」
広場の中心に、魔道で火柱を作成した。
サハギンたちが皆、嬉しそうに暖を取っている。
「これでウチらも働けるってもんです」
…………
「これで、美依ちゃまに風邪を引かせる事はありません」
…………
やっぱり私、一人で生きていかないとダメになっちゃうんだね




