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あの賢者タイムをもういちど  作者: 妖怪筆鬼夜行
二章『湯けむりの向こう、約束の場所』
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2-47

 退魔の力。

それはソードワースの血脈に受け継がれる魔力を無効化する力だ。

この力を持つが故に、レーンは神聖魔法を受け付けない魔王クーネリア討伐の任を与えられ勇者となった。

だが魔力を打ち消すという能力は、何も魔術戦だけに有用なわけではない。

現にレーンは巨人の呪いの一部をあっさりと切断してみせた。

高台から放たれた光の斬撃が巨人の魂にまとわりつく呪いの腕を全て切断したのだ。

むろん、呪いそのものを消滅させたわけではなく、魔力によって操られている触手を部分的に消し去っただけだ。

それでも触れれば命を吸い取られてしまうようなものから巨人の魂を分離させることができた。

これは退魔の力無くして不可能なことだった。


「これでとりあえず一段落、です……」


 魂魄の魔術と退魔の力によって巨人の魂を摘出(てきしゅつ)した俺は、魔力の念糸を伸ばしてそれを引き寄せた。

一方で、存在としての核を失った巨人の体からは呪いの腕が無数に伸びて宙をさまよっている。

失った魂を探しているようだが、それ以上のことはできないだろう。

空っぽの巨人の体ではもう移動できないのだから、近づきさえしなければ危険は無いと言えるだろう。


 それを確認し、俺は少しだけ気を緩めることができた。

いや。

さすがにそろそろ限界かもしれない。

急に足に力が入らなくなってきた。


「はぁ、はぁ……」

「だ、大丈夫かにゃん? 顔が真っ青にゃん」

「ちょっと、血を流しすぎたかも、しれませんね」


 まずいな。

足だけではなく体全体から力が抜けていく。

もはやプリニャンカに支えられて立っていることすらできない。

俺はずり落ちるように地面に膝をついた。


「レーンを、呼んでください。もう少しだけ、やることが……」

「しっかりするにゃん。死ぬにはまだ早いにゃん!」


 プリニャンカが俺の肩を揺すり顔を覗き込んでくる。

だが今の俺には返事をする気力も残っていない。

できればこのまま休んでいたいのだが……


「本当に、分かりませんわね」


 突然の声に顔を上げると、そこには部下を引き連れたニャンデリカの姿があった。

満身創痍(まんしんそうい)の俺と違って相変わらず優雅な立ち姿。

俺たちが巨人を止めるのをどこかで高みの見物していたのだろう。

そして今になって再び目の前に現れた。

それ自体は予想していたが、それに対処するだけの余力を俺は残しておけなかった。

俺自身にはもう、戦う力は残っていない。


「やっぱりまだ居たにゃん。巨人にびびって逃げたくせに、しつこいやつらにゃん」


 再び姿を現したニャンデリカたちに、プリニャンカの表情に(けん)が浮かぶ。

放っておくと自分から飛びかかりかねない。

俺はプリニャンカの手を掴んで引き止める。

あとはもう、ニャンデリカの出方を


「わたくし、これでも慎重な性格のつもりですの。勝ち筋の見えた戦いでも負け筋へと繋がっていないか常に先を見据えますし、罠をはるときも逆に罠にはめられないか注意を怠ったことはありませんわ」

「……?」


 なんの、話なのか。

この期におよんで攻守の決断を迷っているのなら、それは指揮官として蒙昧(もうまい)だ。

だがニャンデリカがそんな凡愚(ぼんぐ)の将ではないことは一周目の経験から知っている。

まして今はそんな話をする時でもない。

彼女が気にしているのは何かべつの問題。

そういえば最初にもそんな素振(そぶ)りを見せていたのだったか……


「もう一度聞きますわ。貴方、どうしてこんなところに来ましたの。本当にわたくしたちの討伐が目的なら、順序がおかしいことになりますわ」


 順序……?

ああそうか。

キャンデリカは初対面のはずの俺やレーンの情報を知っていた。

つまり彼女の部隊がここに現れたのは俺たちを狙った罠のつもりだった。

だが当の俺たちが猫族の存在を知って討伐に来たのなら、むしろ彼女たちこそ罠にかけられおびき出されたことになる。

ニャンデリカがずっと気にしていたのはそういうことなのだ。


「……」


 分かってしまえば当然の疑問だ。

この状況を仕組んだ黒幕の思惑には俺も興味がある。

だが、本当にもう限界だ。

思考が、意識が遠のいていく……体が崩れ落ちて、頬に土の固さを感じた。


「さすがにその大怪我ではしかたありませんわね。命が持てば捕虜(ほりょ)にしてさしあげますけれど、だめならそっちの犬っころを拷問ですわ」

「フシャー。やれるもんならやってみる――にゃ!?」


 プリニャンカが啖呵(たんか)を切ろうとした瞬間、猫族の戦士たちが一斉に飛びかかる。

一人目を殴り、二人目を蹴り飛ばし、三人目に組み付かれてからはあっという間に押し倒され押さえつけられる。

それでもなお抵抗するプリニャンカの姿が、俺にはどこか遠いものの様に見えていた。

その騒乱(そうらん)は無音。

エルフの呼吸でもないのにひどく緩慢(かんまん)な光景。

それを眺めながら、俺の視界は暗転した。

一面の黒だった。

無音の暗闇だった。

何も見えず、何も聞こえず、俺の意識はただ横たわっている。


 一歩。

頭の横を、静かに通り抜ける一つの気配を感じた。

聞こえてもいないのに、聞こえなくても理解した。

自然の調和に合わせた足運びの音律。

がさつなくせに、まるで自然そのものの足音。

それが誰のものであるのか、見なくても分かる。

それでも目を空け、俺はたしかにそこに見た。

未だに続く騒乱の中を歩く一人の女。

ローブを(まと)い、長い金髪をなびかせるその後ろ姿だけでそれが何者なのか俺には理解できてしまう。


パルメディア――


 それはあまりにも懐かしく、あまりにも遠い思い出。

ここには存在しない、俺の弱さが見えるまぼろしだ。


 パルメディアの幻影は誰にも見咎(みとが)められることもなく立ち止まり、プリニャンカたちの騒乱を一瞥(いちべつ)した。

そして顔を上げ、山林に横たわる炎の巨人の体を指さす。

……分かっている。

俺にはまだ守らなければならないものも、やらなければならないことも残っている。

まったく、まぼろしのくせに注文が多い。

俺は本当に最後の力を振り絞り呪文を唱える。


「――偶像(イドロ)


 生み出したのは術式が織りなす人型の形代(かたしろ)

半霊の体に様々な命令術式が浮かんでは消える、半自律の傀儡(かいらい)魔術。

それを巨人の体へと飛ばすと、無数の呪いの腕の奥へと飲み込まれるように埋没(まいぼつ)していった。


「貴方、今、何をしましたの!?」


 ニャンデリカ詰問(きつもん)がじみた声を上げるが気づくのが遅い。

俺の術式はすでに巨人の体を制御下に置いている。


「……立ち上がれ。力を、示せ」

「オォ――!」


 隆起(りゅうき)するような起立。

再び立ち上がった巨人は、猫族に対して明確な敵意をもって雄叫びを上げた。

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