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「せっかくの手勢をあっさりと手放しますのね。どうせなら数に頼ればよろしいものを。それともあの変な男がそんなに大事でして?」
温泉卿を助けに向かったエミールたちを尻目に、この場でもっとも危険な少女は一歩も動かなかった。
それなら俺の目論見どおり。
エミールたちの安全のためにも厄介な相手はこちらで引きつけておく。
「たしかに温泉卿はおもしろい人だが、そんな市民を守るのも俺たちの使命だからな」
「そのために三人だけでわたくしたちと戦う、と。目がくらんでまともに動けない一人はすぐにでも片付けられそうですけれど?」
その言葉と共に獲物を見るような視線がプリニャンカにそそがれる。
だが庇うように広げられたレーンの剣がその視線を遮る。
「敵の弱いところを狙うのは戦いの基本だけど、ボクの騎士道はそれを許さないよ」
レーンはさほど状況を理解できていないだろうに、それでもあれだけ警戒していたプリニャンカを守ろうとしている。
こういうところが、騎士として人間としてレーンが真っ直ぐな証拠だ。
「……お前、にゃんが嫌いじゃなかったにゃん?」
「好き嫌いじゃないよ。君が猫族に狙われてるなら、少なくともボクたちは敵じゃないってだけだよ」
どうやらプリニャンカが猫族、ひいては魔王軍と戦っていることをレーンもようやく信じる気になってきたらしい。
「そう言うわけで、ボクの敵は君だよ。なんでこんなところに猫族がいるのか知らないけど、どんな企みも阻止してみせる」
「勇ましいことですわね。このわたくしを相手にいつまでその大口が続くか見ものですわ」
「どうかな。さっきは互角だったと思うけど?」
「冗談はおよしになってくださいまし。わたくしと貴方が互角だなんて、思い上がりも甚だしいですわよ」
「たいした自信だね。思い上がりかどうか、次の一撃を受けてくれたら分かると思うよ」
宣戦の言葉と共に突きつけられる剣の切っ先。
しかしここで真正面から一対一を仕掛けるにはあまりに危険だ。
「待ってくれ。レーン。さっきのは向こうも全力じゃない。俺の光の魔術で目を焼かれてて本気を出せてなかったんだ」
それは一周目に彼女と戦った経験から間違いない。
あの魔王軍の幹部はさっきまではただ突進をしていただけ。
そんなものは到底本当の実力ではない。
「大丈夫だよ。ゼノ。ボクだってまだ全力じゃない」
「にゃんも目が治ってきたにゃん。今度はこっちの番だにゃん」
「違う。今目の前に居るのは魔王軍の幹部だ。正面からじゃ勝ち目が無い」
「魔王軍の、幹部?」
「本当かにゃん。あいつそんなに偉いのかにゃん?」
俺の言葉にレーンもプリニャンカも驚いたような顔をした。
無理もない。
そんな相手とこんなところで遭遇するとは俺だって想定外だった。
「俺も直接見るのは初めてですが、うわさに聞いていた容姿の通りです」
本当は一周目でさんざん戦っているのだが、当然ここでは初対面を装っておく。
だからあまり詳しい情報を喋ることはできない。
「うわさを聞いただけなら本物とはかぎらないにゃん。あいつそんなにすごそうには見えないにゃん」
「いや。見た目は魔王軍の幹部って感じとは違いますが、ご主人様もうわさで聞いたことは無いですか?」
たしかに彼女はどこぞのご令嬢のような雰囲気の持ち主だ。
魔王軍に参加している猫族の戦士たちの長にはあまり見えないかもしれない。
「そんなの聞いたこと無いにゃん。にゃんはあんなやつの名前も知らないにゃん」
名前か。
それくらいなら俺から教えても不自然ではないだろうが……
「貴方、犬族のくせに猫族を率いるわたくしを知りませんの。そちらの殿方と違って学の無いケモノなのですわね?」
「お前さっきから偉そうにゃん。もしかして自分を中心に世界が回ってると思ってる痛いやつにゃん?」
「失礼ですわね。わたくしたちの種族はお互い宿敵なのですから大将首の名前くらいご存知あそばせ」
たしかにその通り。
部族間の闘争に限らず指揮官や指導者は最優先かつ最重要の標的だ。
その相手の名前さえ知らないということは、倒すべき敵を知らない、つまり戦いのやめどころを知らないようなものだ。
「知らないのなら教えて差し上げますわ。わたくしは――」
だからこそ彼女は名乗るのだろう。
部族の名を背負い、仲間たちの運命を守るために。
「――魔王軍獣王戦士団将軍ニャンデリカですわ!」
「ニャン……?」
「……デリカ、にゃん?」
嘘のような本当の話。
厳つい肩書に対してかわいすぎる本名。
そのギャップには、レーンもプリニャンカも意表を突かれた様子だった。




