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「うう。炎の巨人かわいそうだよぉ……」
エミールの話が終わるころ、レーンの涙腺はすっかり緩んでいた。
一方プリニャンカの方はケロッとしている。
「お前どこで泣いたにゃん。泣きどころが無いにゃん。泣きどころが」
レーンは赤くなった目元を隠すように俯いて歩き、プリニャンカはそんなレーンの顔を覗き込もうとして逆に自分の顔を押し返されている。
「勇者のくせにあんな話、真に受けてなさけない奴にゃん。ただの子供だましにゃん」
「いいから人の顔勝手に見ないでよ。し、つ、れ、い、で、しょ!」
引くことを知らないプリニャンカの顔は、ぐいぐいされてまるで別人のようだ。
ふむ。
実に対象的な二人の反応だが、今は泣きどころについての議論はやめておこう。
もう少し有益な情報を得るため俺はエミールと話すことにする。
「つまりルルド温泉郷の源泉というのは、その炎の巨人の眠る場所ということですか?」
「実際に炎の巨人が沈んでるのかはわかりません。でもその源泉に不思議な力があったのは本当です」
「ふしぎな力?」
「はい。怪我や病気を治したり、人間を成長させたり、色々です」
「そう言えばうちのご主人様もそういうことを言っていましたが、本当の話だったんですか?」
「そんなことないにゃん。にゃんはぜんぜんパワーアップしなかったにゃん。だまされたにゃん」
「い、いえ。だますっていうか、うわさに尾ひれがついて広まっちゃったと言うか……賢者様はトリスタンに会ったでしょう。じつは私の兄弟も温泉で不思議な力を手に入れた一人なんです」
「あの温泉卿って言うと、まさかいきなり水中から現れたり居なくなったりするあれのことですか?」
「なんて言うか、それも含めて、そうなんです」
「み、水から急に出てくるなんて、何かすごそうだね……」
「たしかにすごかったな。誰も居ないはずの温泉の中から急に裸の男が飛び出してきたんだから」
「え? それはさすがにすごく怖いよ?」
「て言うかそんな能力要らないにゃん。やっぱりだまされたにゃん」
いや。
本当、二人の言う通りだ。
温泉に入るだけで力を授かるなんて奇跡のような話なのに、実際の仕上がりが残念すぎる。
「でも力を得られるのが本当だとして、ご主人様にはなんの変化もなかったのは何故です?」
「それも噂の尾ひれです。不思議な力が得られたのは源泉だけで、町まで流れてきた温泉には疲労回復程度の効果しかありませんでした」
「なるほど。そういうオチでしたか」
決まった順番で温泉に入れば特別な力が得られる、か。
たしかに話としてはおもしろいし、真偽はともかく一度行ってみたくなる。
その場を盛り上げるために噂の内容がどんどんと盛られていくのはよくあることだ。
だからこの期におよんで問題になるのはそこではない。
「それで、さっきから過去形で話すのはルルド温泉郷の源泉に何か問題が起こったからなんですね?」
――源泉には不思議な力があった。
――町まで流れてきた温泉には疲労回復程度の効果しか無かった。
果たしてエミールは温泉の効果について、二度、過去形で話している。
それはつまり、今は違うという意味に取れる。
「最初に気づいたのはトリスタンでした。少し前に温泉の力が弱くなってるって言い出したんです」
「それはさすがと言うかなんと言うか、彼にはそういうのがわかるんですね」
「はい。そのあとしばらくして、持病のある領民たちからも温泉が効かなくなったって声がいくつも上がったから私も本当のことだって信じました」
「それから原因を調べに源泉に行った、と?」
「もちろんです。でも原因は見つかりませんでした。特別変わったところはなかったし、トリスタンにもわからなかったみたいで。一応温泉の水質も調べたんですけど、少なくとも毒とかは大丈夫みたいでした」
なるほど。
対応としては真っ当だが、相手が炎の巨人ではな。
「領民たちも気味悪がってあまり温泉に入らなくなっちゃって。あ、でも本当、体に悪いわけじゃないですよ。普通の温泉になっちゃっだけで私たちも一日一回は入ってますし」
「それを聞いて安心しました。俺たちも入りましたし」
「とは言え放ってもおけないから、源泉を定期的に見回るようにしたんです。元々は禁足地だったんですけど、こういう時なので兵に交代で行かせました。そうしたら今日になって見回りの兵が魔族に襲われて」
「魔族?」
妙だな。
一周目の時はここには魔族は居なかった。
「襲われた兵たちが命からがら逃げて来てきて、それを聞いたトリスタンが飛び出して行ってしまったんです」
「あの温泉卿が?」
「トリスタンは誰よりも温泉を愛していますから、それに害を与えている犯人が分かってじっとしていられなかったんです」
「それで一人で魔族の討伐に向かってしまったわけですか」
「正確には猫族みたいですけど、状況としてはそういうことです」
それは良くない。
兵士や温泉郷の人たちにとってもそうだが、何よりもプリニャンカ二とってたいへんよろしくない。
「出たにゃん。どうりで鼻につく野良猫の臭いがすると思ったにゃん」
「何か感じるんですか、ご主人様?」
「上からにゃん。温泉のにおいにまざって猫臭がするにゃん」
「なら源泉の方で間違いないです。気をつけてください」
「平気にゃん。にゃんが全員ぶっ倒してやるにゃん!」
プリニャンカは言うが早いか飛び出して山道脇の獣道を駆け上がっていく。
まずい。
一人で行かせては危ない。
俺はすぐにあとを追う。
「ゼノ!」
背後からレーンの声が追いすがる。
「狭い獣道で猫族とやりあうのは分が悪い。レーンはそのままみんなを守りつつ山道を上がってくれ」
「わかったよ。出来るだけ急ぐから上で合流しよう」
俺は首肯して獣道へと飛び込んだ。
しかし、プリニャンカを追って源泉へと向かった俺は、大量の湯気によって彼女を見失ってしまったのだった。




