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最近よく後頭部を打つ気がする。
少なくとも直近で二回連続ぶつけられている。
その二回は外的要因、プリニャンカとクーネリアの物理攻撃によるものだった。
しかし、今回は少し毛色がちがう。
突如として温泉の中から飛び出てきた全裸マン。
それに驚かされてひっくり返った拍子に浴場の床に後頭部を打ち付けてしまったのだ。
そう。
それだけ、たったそれだけのこと――ではない。
「あんたいったいなんなんだ。いきなりびっくりするだろう!?」
後頭部を押さえつつ体を起こして抗議する。
立ち上がるにはまだダメージが回復していない。
だが言わずにはいられない。
温泉の中から出てくるなんて非常識なやつだ。
「失敬。しかし君から温泉への敬意が感じられなかったものだからつい」
「温泉への、敬意だって?」
男は奇妙なポーズで奇妙なことを言った。
彼は水中から現れてからずっと、螺旋を思わせる奇妙なポージングで肉体美を誇示しつつ、しかし肝心なところだけはツイステッド内股によって絶妙に隠し通している。
これを奇妙と言わずしてなんと言うのか。
「私が言いたいのは石鹸のことだよ。温泉とは常に清浄であるべきもの。それを汚す行為は取締の対象なのさ」
「あれはちょっとした事故……というか取締って、あんたまさか……」
「その通り。私は温泉を愛し、温泉に愛された男。そしてこのルルド温泉郷の安心と安全を司る守り人。その名もトリスタン・ピエール・ド・ルルド。人呼んでルルド温泉卿とは私のことだ!」
しなやかな跳躍。
温泉卿と名乗った男はトリプルアクセルからの華麗な三点着地で俺の目の前に降り立った。
いちいちポーズをキメないと喋られのだろうか。
いや。
それよりもさっきルルドと名乗ったな。
つまりこの男は領主の一族の可能性が高い。
だとすれば入浴管理局の局長ということもあり得る。
「然るに君。温泉に石鹸を投げ入れるのは入浴礼法に反する非常識極まりない行為だよ」
スクっと立ち上がったルルド温泉卿は体を斜に構えて腕を組んだ。
その際、向こう側の足を半歩引いているためギリギリのラインで|見えていない《NOT KONNICHIWA》。
見切れていないと言うか、見切っていると言うか……
「言いたいことはわかるがそっちだって似たようなものだろう。貸し切り湯の中に潜んで監視しているなんて行為のどこに常識があるんだ?」
「チガウチガーウ。私は潜んでなどいないよ。君のマナー違反を察知して駆けつけただけさ」
「駆けつけたって、どう見ても外からは入って来なかっただろう」
いくら俺が体を洗っている最中だったとしても一つしかない入り口の扉が開けば見逃すはずがない。
だから絶対にルルド温泉卿は外からは入って来ていない。
「そこはまぁ、温泉卿だからね。温泉に愛されているからね。フッ」
「説明になっていないだろう。温泉に愛されていたらなんだって言うんだ?」
「それは君が温泉を愛してくれたら分かることさ」
いや。
本当に説明になっていないだろう、それ。
「では、そう言うことで精進してくれたまえ。とう!」
「あ。おい!」
バク転からバク宙を決め、最後には頭から湯船に飛び込んだルルド温泉卿。
その一連の行動に俺は思わず手を伸ばした。
この浅い湯船に対してあんな真っ逆さまに飛び込んだら思いっきり頭をぶつけてしまう。
そんなのは分かりきった結果だった。
しかし――
「き、消えた?」
ざぷんと音を立てたかと思うと、それきりルルド温泉卿は浮いてくることはなかった。
溺れたとか沈んでいるとか言うレベルではない。
ルルド温泉卿の体は、それこそ温泉に吸い込まれるように消えていった。
状況を飲み込めない俺は、湯船に駆け込んで大きな湯船の中を歩き回った。
しかしやはり俺の足がルルド温泉卿の体にぶつかることはなかった。
本当に居なくなっている。
「あいつ、いったいなんだったんだ?」
俺だってパルメディアの弟子だ。
今まで怪奇幻想摩訶不思議を目の当たりにしたことなど一度や二度ではない。
しかしあんな不審なものにはなかなかお目にかかった記憶が無い。
実際一周目の時だって彼とは出会わなかった。
と言うかプリニャンカはどうした。
本当なら今頃二人仲よく混浴を楽しんでいたはずなのだが?
「――」
「――――ッ」
何か声が聞こえる。
言っている内容までは分からないが、どうやら外で誰かが言い争っているらしい。
トラブルかもしれない。
少し不安だが見に行こう。




