2-25
色々考えた結果、再びルルド温泉郷に到着してすぐ俺は全員の個別行動を提案した。
なぜなら今回の巻き戻りはクーネリアに魔術で吹き飛ばされたことが原因だからだ。
あれさえ無ければプリニャンカに覗きと間違われ嫌われることもなかった。
蹴られたことも不本意だが、巻き戻りの原因はプリニャンカに嫌われたことだろう。
だから同じ轍を踏まないためにもそのきっかけを作ったクーネリアとは距離を置いておきたい。
決してあの偽妹にびびっているわけではなく、あくまでも戦術的判断である。
本当本当。
「とにかく、プリニャンカと二人きりになれれば一周目と同じように仲よくなれるはず……」
それがいかに儚い希望であるのか、それはレーンの時の苦労でよく分かっている。
仮に一周目を踏襲した行動をしていても、思いもかけない形でループに捕われてしまうことだってある。
だからクーネリアを遠ざけて、なお俺は警戒感を持ったままその扉を開いた。
それはとある浴室の入り口だった。
ルルド温泉郷には様々な種類の温泉があるが、この浴場の温泉にはとくに高い薬効があるという。
そしてそれを目当てにやってくる湯治客がくつろげるように、一人一湯の貸し切り湯となっている。
俺がこの浴室に入ったのは、一周目でプリニャンカと混浴したのがここだったからだ。
もちろんここは個人向けの貸し切り湯であって、ましてや混浴でもない。
それなのにここでプリニャンカと鉢合ったのは純然たる事故だ。
その時、俺は初めてプリニャンカの本当の猫耳を見た。
そしてそれを賢者特有の包容力で受け止めることで彼女の信頼を得たのだ。
それを今から再現する。
「しかし落ち着かないな……」
何せすでに一度プリニャンカに蹴り飛ばされている。
クーネリアという原因を排除したところで、レーンの時のように理不尽な固定ループに入ってしまうのではないか。
今度は裸パンチならぬ裸キックループなのでは……
そんな不吉な予感が俺の中にはあった。
だから可能な限り万全な態勢を整えておこうと思うのだ。
まずは手早く体を洗って湯船に浸かっておくこと。
そうしないと危ない。
このあとの展開が一周目と同じであれば、入り口を間違えたプリニャンカが飛び込んでくるはずだ。
そうなった時、俺が湯に浸かっていなければプリニャンカの裸を見るだけではなく、俺の裸まで見せてしまうことになる。
それはもちろん最悪だ。
目には目を、素っ裸には素っ裸を、ではさすがの俺もフェアな等価交換は装えない。
見かたによっては男にとっての丸儲けだ。
丸出しだけに。
とにかく、事故を防ぐため俺は大急ぎで体を洗う。
そんなに言うなら体なんて洗っていないでさっさと湯に浸かっておけ、と言う意見もあるかもしれない。
しかし公衆浴場でそれはご法度だ。
浴場とは清潔さを保つための施設であるはずなのに、不衛生な浴場は病気が蔓延する原因となる。
どんな理由があってもきれいに使わなければいけない。
入浴前に身を清めておくのは最低限のマナーだ――と思って急ぎ過ぎたのだろうか、うっかりせっけん石鹸を手から滑らせてしまった。
個人向け貸し切り湯と言ってもそこは温泉。
浴室はそれなりに広い。
その床を滑っていった石鹸を拾うべく、俺は立ち上がってそのあとを追った。
そして身をかがめて石鹸を拾う、とツルツルしたそれは再び俺の手を逃れた。
必然、俺はもう一度手を伸ばし、石鹸はさらに逃げ、三度手を伸ばし、ようやく捕まえたかと思ったら両手の中で鰻のように暴れ、そしてついに空中へ飛び出し、湯船の中に飛び込んでしまった。
「しまった」
俺はなお急いで石鹸を拾い上げようとして、その手を温泉の中へ突っ込む直前で動きを止めた。
さすがにこんなに泡だらけの手をそのまま突っ込むのはよくない。
一度手を引いて後ろで腕を振ってみる。
しかしそれでは完全に泡を飛ばすのは無理だった。
こうなると一度洗い流さないとだめだ。
そう思って桶を探して周囲を見回していると、不意に目の前に手が伸びてきた。
その手は俺が湯船に落としたはずの石鹸を握っていた。
「え? ありがとうございます?」
反射的に受け取って、俺はその手をあらためて凝視した。
温泉の中から、人の腕が突き出ていた。
なんだ、この手は?
プリニャンカ……ではない。
どう見ても大人の、男の手だ。
しかしそんなものがどうして温泉の中から出てくるのか。
たしかに湯船自体は何人も入れるくらいには大きいがここは貸し切り湯。
俺以外の入浴客などいないはずだ。
まして温泉の中に沈んでいるなんて……
俺が怪訝に思っていると、温泉から突き出た腕がゆっくりと引っ込んでいった。
つられて湯船の中を俺は覗き込んだ。
しかしにごり湯だったために何も見えない。
そこへブクブクと泡が湧き上がってきて、温泉が爆ぜた――
「ルルド温泉入浴礼法がひとぉーつ。温泉に石鹸を投入すること無かれぇーぃ!」
そして水面を割って飛び出た裸体の男。
俺は声なき悲鳴を上げ後ろにひっくり返った。




