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あの賢者タイムをもういちど  作者: 妖怪筆鬼夜行
二章『湯けむりの向こう、約束の場所』
42/91

2-1

 呼吸――

およそすべての生命に必要なその(いとな)みは、果たしてどれほどぞんざいに繰り返されてきただろう。

生物は呼吸をしなければ生きてはいけず、それゆえ必要性に支配された呼吸を繰り返して生きている。

走れば激しく、寝れば静かに。

本能の求めるまま、己の身体の都合によって呼吸をして生きている。

だからすべての命は孤独なのだ、とパルメディアは言った。

曰く、生きることは世界と関わること。

関わることは(つな)がること。

ゆえに息する時もまた世界と繋がらなければならないのだ、と。

教えは単純で、難解だった。

人は肺によって息をする。

肺を膨張収縮ぼうちょうしゅうしゅくさせる横隔膜(おうかくまく)の運動によって息をする。

その生理的な自己完結が世界からの隔絶(かくぜつ)をもたらし、ならばこそその自己完結からの脱却(だっきゃく)が世界と繋がる最初の一歩になるのだという。

そこに求められるのは一切の自発的呼吸の停止。

気道を広げ、肺の内の空気と外界の大気の流れを一致させる。

風がそよげばそのように、嵐が吹きすさべばまたそのように、世界を巡る風の流れと同調し己の肺の内へと引き入れる。

それこそが今や滅亡したエルフ族の持っていた呼吸の哲学(てつがく)、その独特の息づかいなのだ、とパルメディアはそう言った。


――そんなこと言って、先生は普通に息してるじゃないですか。


 そう指摘してもパルメディアは恥じるでもなく悪びれるでもなく、ただ一言の弁明(べんめい)さえすることはなかった。


――だって面倒くさいだろう。


 そう。

パルメディアは普通に自然体でひねくれていたのだ――


(しかしエルフの息づかいがこんな時に役立つとは……)


 修行時代に思いを()せつつ、今現在俺はかつて師から教わった呼吸法で気配を殺し、(きり)(けむ)山林(さんりん)で身を潜ませていた。

エルフの息づかいとは本来は瞑想(めいそう)し集中力を高めるための呼吸法だ。

しかし自発的呼吸をしないという特性には気配を消すという使い方もある。

……いや。

さっきとっさに思いついただけなのだが。


「探せ。近くにいるはずだ!」

「人間め。見つけ出したらただじゃおかないぞ」


 すぐ近くでいかにも物騒(ぶっそう)な声がしている。

もちろん言うまでも無く彼らが探しているのは俺だ。

見つかったらただではすまないらしいのでこうして息を潜めて隠れているのである。


(しかしなんでこうなってしまったんだ……)


 いまさらだが俺は自分の置かれた状況を呪った。

仲間とはぐれ、敵陣の真ん中にただ一人。

ここはひとまず離脱(りだつ)して仲間を探そう。

そうと決まれば長居は無用。

俺は周囲を(うかが)い追手が居なくなったことを確認する。

そして次の瞬間――


「見つけましたわよ。かくれんぼが得意なようですけれど、あまり猫族(ケットシー)嗅覚(きゅうかく)()めないでほしいですわね」


 背後から。

唐突に投げられたその声に俺は逃走の出鼻を挫かれていた。

振り向けばそこに居たのは尊大かつどこか気品のある一人の少女。

猫耳と尻尾を持つ獣人の追手がそこに居た。

知らない相手ではない。

一周目の冒険でも戦った魔王軍の幹部。

その一人との、予定外の遭遇(そうぐう)だった。


「どんなねずみかと思えば、これはずいぶんと育ちがよさそうな殿方でしてね。こんな山奥には似合いませんことよ?」


 そう言われた俺はヘビににらまれたカエル、いや、猫ににらまれたねずみだ。

ここは怒らせないように口に気をつけよう。


「お互い様だ。君みたいな美人はこんなさびしい場所にはもったいない」

「あら。うれしいことを言ってくださいますのね。けれど時間(かせ)ぎだとしたら下手くそですわよ。目を見れば本気かどうかはわかりますもの」

「あいにく緊張しているんだ。君みたいな人を相手にどうすればいいのか分からないっていうのが本心だ」

「ふふ。それは嘘ではなさそうですわね。ただし、わたくしを女として見ているのか敵として見ているのかで言葉の意味も変わりますけれど」


 まずいな。

俺の下手な世辞など完全に見透かされている。

それでも会話を楽しむ余裕を見せてくるあたりお互いの立場を理解しているのだろう。


「まぁ、いいですわ。たくし、貴方(あなた)には聞きたいことがいろいろとありますの。素直に答えてくれれば良し。さもなくばまごころ込めて歓迎することになりますわ。ねぇ、みなさん?」


 気づいた時にはすでに殺気の群れに囲まれていた。

前後左右すべてとその上方。

(かすみ)の向こう、いたるところに爛爛(らんらん)と輝く眼球がこちらを捉えている。


(囲まれたか)


 さすがにまずいな。

ここまで完全に包囲されては俺の足では逃走は不可能だろう。

かと言って一人で戦って切り抜けられる状況でもない。

あとは仲間の救援(きゅうえん)に期待するのみなのだが――


「にゃーっはっはっは。飛んで火に入る何とやらとはこのことにゃん。心配で様子を見に来てみればこのざまとは片腹痛いにゃん」


 どこからともなく響き渡ったにゃんにゃんボイス。

その瞬間にこの場の全員が停止していた。


 これは、プリニャンカだ。

間違えるわけがない。

声の主は俺がもっとも信頼する四人の仲間の一人、獣人戦士プリニャンカ。

まさか俺を助けに?

なんてばかな。

たしかに俺がここに来たのは彼女を探してのこと。

しかし、今の俺は敵に囲まれたねずみ状態。

一人で助けに出てくるなんてあまりにも多勢に無勢すぎる。

いや。

プリニャンカは俊敏(しゅんびん)さが取り柄の獣人戦士。

俺では逃げることさえ難しいこの状況でも彼女ならあるいは――


「将軍。怪しいやつをもう一匹捕らえました」


 まるで狩猟された四足獣のように。

手足を縛られた状態で棒に吊るされたプリニャンカが二人の猫族に(かつ)がれて運ばれてきた。

あらまぁ。

ばっちり捕まっていらっしゃる。


「にゃはは。助けにきたつもりが助けて欲しいのはこっちの方にゃん。ヘルプミーにゃん。ギブミーチョコレートにゃん」


 よく分からないがどうやら面倒事が増えたようだ。

本当、どうしてこうなってしまったのか。

それを思い返せば始まりは昨日のことだった――

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