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「はー。やっと着いたね。ボクもうお尻が痛くて死にそうだよ」
馬車に揺られることおよそ半日、到着した目的地に降りるなりレーンは両手を添えて臀部を気にするそぶりをした。
生まれ故郷のエルミュット王国では一等騎士に叙されるくらいの剣士なのでその体は引き締まっていて、当然お尻の方も騎士道精神たっぷりである。
うーん。
これはあんまり見ると目の毒だ。
だが逆に言えば用法用量を守れば薬でもあるはず。
その効能の境がどこにあるのか調べるため、ここはもう少し観察を――
「痛っ」
クーネリアにうしろから尻を蹴られてしまった。
おやおや、何ともやさぐれた目をしていらっしゃる。
あんなに睨まれては学術調査どころではない。
さっさと宿に入ろう。
ということで、俺たち三人はルーシアを旅立ったその日のうちに隣国カルクトスに入っていた。
いかにルーシアが小国と言えども、この移動速度はジェームス王が用意してくれた上等な馬車のおかげだ。
ただ速いぶん馬車もそれなりに揺れたので俺を含めてみんな疲れている。
早々に風呂にでも入って休まなければ明日からの行動に影響が出そうだ。
「ゼノ。こっちこっち。部屋空いてるって」
レーンがさっそく宿泊先を見つけたようだ。
それは全体が板張りの簡素な建物だが大型かつ二階建ての立派な宿だった。
あちこち黒ずんではいるが造り自体はしっかりしていて、入り口を閉ざしてしまえば野党の類もそうそう押し入って来られないだろういい建物である。
よしよし。
この宿には見覚えがある。
今日泊まるのは一周目の時と同じで間違いなさそうだ。
もう日も暮れてきているからここで空き部屋を確保できなければ野宿しなければならなかった。
そのぶん宿代は足元を見られただろうが、今日はどうしてもこの宿に止まらなければならない。
もちろんただ疲れたから野宿がいやだということではなく、一周目ではここでとても大事な出来事が起こったのだ。
だからその出来事をもう一度経験するため、俺はクーネリアの無言の圧力を背に受けながらもレーンの待つ宿の入り口をくぐった。
「ちょうど二部屋空いてたから両方借りたよ。二人は兄妹だからいっしょの部屋でも大丈夫だよね?」
「ええー?」
そこでいやそうな顔をするな、いやそうな顔を。
「ちょっと待って。部屋割りはもっとよく相談して決めましょう?」
「なんだ、お前。もしかしてレーンが美形だからって同じ部屋を狙ってたのか?」
「別にそんなこと言ってないじゃない。たしかにレーンはお兄ちゃんよりかっこいいけど、べつに同じ部屋がいいなんて思ってないわ」
「ふーん。だったらお前が一人で俺とレーンが同室ならいいのか?」
組み合わせ的にはそれが最後の選択肢だがこの組み合わせはだめだ。
正直、俺だってできることならレーンと同室がいい。
でも性別の問題を置いておいたとしても今日だけは同室になるわけにはいかないのだ。
「違うわよ。あたしとレーンがそれぞれ一部屋ずつ使えばいいじゃない」
「それじゃあ俺はどこで寝ればいいんだ。計算が合わないだろう?」
「そうね。お兄ちゃんは階段で寝れるようにあたしが宿の人に掛け合ってきてあげる」
「おいおい。せめて平らな廊下くらい用意してくれ」
猫じゃあるまいしそんなところで寝られるわけもない。
というか階段なんて嫌がらせを通り越して軽い拷問では?
「えっと、ボクが違う部屋の方がお互い気を使わないって思ったんだけど、不公平だったら今からでも大部屋に入れないか聞いてみようか?」
どうやらレーンは一人一部屋でなかったことが問題にされていると解釈したようだ。
しかし、常識的に考えて個室に泊まるというのは庶民には贅沢に過ぎる。
普通はレーンの言う大部屋でどこの誰とも知れない旅人たちと寝起きを共にするのがあたりまえだ。
むしろ三人しか居ないのに二部屋も借りてくれたレーンはやさしいのだ。
「いや。俺たちは同じ部屋で大丈夫だ。とりあえず荷物を置いてから食事にしよう」
「何で勝手に決めるのよ。お兄ちゃん。あたしまだ――」
「いいからとりあえず部屋まで来いって」
俺は未だに抵抗を続けるクーネリアを引っ張って部屋へと向かう。
今日これから起こる出来事を上手く運ぶためにはこいつに同室を認めさせなければならない。
そうでなければレーンとの関係が一周目の時と変わってしまうのだ。