『魔王城決戦。その結末』
「やった、のか……?」
思わずそう言ってしまった。
目撃したのは勇者の一撃を受けてついに倒れた魔王の姿。
その光景に、俺、ゼノ・クレイスは最後戦いの舞台となった魔王城玉座の間で立ちつくしてしまった。
だって仕方がないだろう。
長い戦いだった。
厳い戦いだった。
勇者レーン・レイ・ソードワースが俺の前に現れたあの日から約二年。
世界を救うなんて途方もない使命を背負ってあらゆる修羅場を駆け抜けた日々だった。
そしてそれが今ついに終わりを迎えたのだから、口から魂の一つや二つ抜け出したとしても、それはモゴ仕方ないモゴことだからモゴモゴモゴ。
「やった――やったよ。ゼノ。ボクたちついに魔王を倒したんだ!」
「分かってる。分かってるから、抱きつくのはやめてくれ」
「だってだって、勇者レーンと賢者ゼノの冒険はハッピーエンドだよ」
我を忘れたように飛びついてきた金髪剣士の抱擁に、俺は慌てて魂を吸い戻した。
ごっくん。
「なに勝手にご主人に抱きついてるにゃんか、レーン。早く離れてにゃんと代わるにゃん!」
その言葉と共に突然飛びかかってきた小さな獣人の戦士を俺は背中で受け止めた。
正確にはレーンに抱きつかれて身動きがとれなかっただけだが。
「ちょっとプリニャンカ。ゼノに飛び乗るのは反則だよ。ボクが先に褒めてもらうんだから順番守ってよ」
「うるさいにゃん。前々から思ってたにゃんけど、レーンは男のくせに女々しいやつにゃん。妙にご主人にべたべたして、何か怪しいにゃん」
「め、めめめ女々しいとか違うから。ボクは勇者で、男の中の男だから!」
レーンとプリニャンカが俺の体を前後に挟んで肩越しに言い争う。
もしかしてこの子たち喧嘩しに来たの?
「二人とも仲良くしないとだめだろ。せっかく勝ったんだから喜びを分かち合わないとだな、って聞いてくれないよな……」
俺の言葉をよそに、二人は俺に体を押し付けつつ空いた手足でお互いの顔を押しのけ合う。
残念だがチームワークという面では最後の最後まで薄氷を踏むような連帯感だった。
魔王を倒した今となってはかわいいじゃれ合いだと笑って済ませばいいのかもしれない。
だが、これまでの冒険の日々においては仲間割れはすなわち敗北を意味した。
普通なら何年も一緒に居ればそれなりに仲良くなりそうなものだが、どういうわけか俺の仲間たちはお互い
対抗心を強めていった感が否めない。
なので彼女たちの心のケアが俺の主な仕事だったように思う。
これでも賢者枠だったんだけどな……
「はぁ……」
俺は過ぎ去りしあの日々にため息を捧げた。
なんかすっごい疲れたよ、俺は。
「そんなあなたに妖精さんの祝福をー」
ふいに俺の頬に柔らかい何かが触れた。
何事かと思えば、見た目11歳くらいの栗毛の少女が宙に浮いていて、俺は彼女に軽く口づけされていた。
そして彼女の行動は些細な出来事とは受け取られず、また新たな火種になるのだった。
「フラウ。君までまたそんなことして!」
「ちゅーしたにゃん。こいつご主人にちゅーしたにゃん。泥棒猫は許すまじにゃん。フシャー!」
プリニャンカが俺の背中からジャンプして連続猫パンチを繰り出すが、当のフラウはふわりと空中へと逃れた。
花冠のフラウ・クラウ――
森の大精霊の加護を受けた妖精であり、自然魔法を操るほか空中を自由に浮遊する能力を持つ。
ゆえにプリニャンカの攻撃は当たらない。
ただ頭上から愉悦に満ちた微笑みを浴びせるのである。
邪悪かわいく、愉しそうに。
「妖精はいたずらするのが仕事みたいなところがあるのでー」
「にゃんですと。それは初耳にゃん」
フラウの言葉に地上の人となったプリニャンカの犬耳がピンと立つ。
獣人特有と言えばそれまでだが、根は純粋な彼女らしい反応だ。
「絶対うそだよ。そんなの聞いたことなもん!」
「うそにゃんか!」
で、騙される、と。
この場合、騙す方が悪いのか騙される方が悪いのか。
見ていてどっちも微笑ましいが、できればもう少し仲良くしてほしい。
「いえいえー。私は一日一回ゼノにいたずらするように大精霊から仰せつかっていたのです?」
「知らねーにゃん。そんなのにゃんたちに聞くなにゃん」
「って言うか、大精霊がそんな仕事を君に頼むとは思えないんだけど?」
次第に熱を帯びてくる三人。
そろそろだろうか。
賢者と言う名の調停役の出番だろうか。
この旅の途中でさんざん鍛えた仲裁スキルをとくとご覧じろ。
ただし道化と言ってはいけない。
さて今回はどうやってみんなの気を逸らそうかと俺が考えていると、ふと視界に仄青い長髪が揺れた。
見れば大鎌を携えた一人の少女がこちらを見ている。
「じー」
魔女のエルルが仲間に入りたそうにこちらを見ている。
――どうする?
「ま、混ざる?」
思わずそう聞いてしまった。
本当を言うとこれ以上参戦されても困るのだが、どんなことでも仲間はずれはいけないのだ。
「私は、いい」
エルルは小さく頭を振って否を示す。
おや。
そんな気分じゃなかったのだろうか。
もともと騒がしいのは好きではないと知っているが、それにしては視線がこっちに釘付けだ。
「じーー」
なんだろう。
明らかに何か言いたそうなのだが、その相手は俺ではなく――
「な、何かな。エルル。ボクがどうか、した?」
レーンだった。
本人も戸惑ったようにエルルに声をかけた。
珍しい。
普段からエルルは俺以外とはあまり言葉を交わさない。
目も合わさない。
なかなかにぼっち――オシトヤカなのだが、今日はレーンに対して言いたいことがあるようだ。
「レーン・レイ。私はあなたとの契約を果たした。だから対価を――支払ってほしい」
なるほど。
そういうことか。
魔女とは魔族と契約して力を得た魔術師の一種で、魔女自身もまた契約によって他人に力を貸すことがある。
と言うか、ぶっちゃけ仲間として雇ったのだ。
そしてその契約を結んだのがレーンだったから対価の支払いを求められている、と。
「あ。うん。それはいいけど、ずいぶん急かすんだね」
たしかに。
勘違いしないでほしいが、別にエルルが強突くばりというわけではない。
むしろ見返りを口にしたのは俺が知る限りこれが最初だ。
「あなたとの契約は魔王を倒すまでだった。その目的は達したから、私はすぐにここを離れてまた旅に出るつもり。あなたたちとはこれでお別れだから……」
やはり魔女であるエルルにとって魔族の王を討ったという事実は重大だろう。
何せ魔族からしたら裏切り者だし、エルルだって罪悪感や後ろめたさだってあるはずだ。
こんなところに長居したいとは思わないよな。
「分かったよ。どっちにしろパーティーは解散だからね。少し早いけど君の献身に報いるよ」
そうだな。
みんな故郷はばらばらだし、この後はそれぞれが帰途につくことになる。
最後に宴の一つでもと思っていたがここは本人の意思を尊重しよう。
「それで、たしか君が欲しがっていたものは魔王を倒せば手に入るんだったっけ。それが対価ってことでいいんだよね?」
俺から体を離したレーンがエルルと向き合う。
ここに魔女の契約が完了されるのだ。
こんな場面めったに見れないから勉強になる。
「私、月下の魔女エルルは契約によってレーン・レイ・ソードワースに求める。叶えられた願いの対価に、ゼノ・クレイスをこの手に――」
「え?」
困惑した顔でレーンが俺の方を振り返った。
そんな目で見られても困る。
むしろこっちこそ確認したいくらいだ。
二重の意味で、俺かって?
「レーン。エルルと契約した時、何て約束した?」
「し、知らないよ。こんな要求してくるなんて、ボク聞いてない」
「いや。そこは聞いとこうな!」
要求と請求の事前調整はどんな取引でも常識ですよ?
「私はあなたの求めに応じて戦ったし、ここまで連れてきたし、時には恋のおまじないだってした。次はあなたが応える番」
何かすごい個人的なお願い混ざってない?
レーンさん、あなたもしかして調子に乗りましたね?
「だ、だめだめ。それだけはだめだよ。ゼノはボクといっしょに帰るんだから。ねっ。そうだよね。ゼノ?」
「にゃんですと。ご主人それは初耳にゃんよ!?」
「私も初めて聞きましたー?」
「じーー」
レーンの言葉に全員の注目が俺に集まる。
このプレッシャーはもしかして、殺気!?
「いやあの、レーンの国で少し手伝って欲しい仕事があるって――」
約束自体は、あるのだ。
しかしそれは、手伝えることがあるなら将来力になるよ的な、ぼんやりとした話だった。
それがまさかこんなにすぐにすぐのつもりだったとは。
「ほ、ほらゼノもこう言ってるし、本当にごめんね。他のものだったらなんでも――」
「だったらあなたはその約束を諦めてくれればいい。契約の対価としては難しいことは言っていないつもり」
「難しいとかじゃなくて、ゼノの気持ちだってあるでしょ。勝手に決めるのは良くないんじゃないかなー、なんて?」
そうそう。
そういうことなんだ。
会話というのは相手の心をおもんばかることから始まる。
それがどんな議論や交渉であっても、だ。
「よし。まずは冷静になって俺の話しを聞いてくれ。そもそもこの後の予定なんだが――」
「ゼノは私が説得するから大丈夫。あなたは約束を放棄してくれればいい」
「エルルはあくまでも、譲歩するつもりは無いんだね?」
まぁ、聞いちゃいないよね。
「あのー。それはつまり私がゼノを連れて帰ってもいいということですー?」
唐突に話しに割って入ったフラウの言葉にエルルの表情が曇る。
「……どうして、そういう話になるのか分からない」
「いえー。ただゼノとレーンの約束が無効なら選んでもらう権利は私にもあるのではないかとー」
「でも契約の対価が――」
「あなたが対価を要求できるのは直接契約したレーンだけなので、私もゼノも自由にさせてもらっていいのではー?」
「そんな理屈……私は困る」
「私に困られても私も困りますー?」
意外なことにフラウの指摘でエルルの勢いが弱まる。
エルルも必死に反論を考えているようだが次の言葉を紡げないでいた。
「それではゼノは私のものということでー」
「だからボクとゼノの約束が優先だってば!」
対立構図の転換。
今度はフラウ対レーンという構図になっている。
だがエルルだっていったん燻っているだけだ。
すぐに復活してくるだろう。
困った。
最初小火だったものが、順調に延焼している。
これこそが俺が恐れていた事態だ。
これまでの冒険の旅はいつだってこんな火消しの毎日だった。
止めなければ。
最後の最後で大炎上なんて、賢者と呼ばれた俺の立つ瀬がない。
「いいか。よく聞け。みんなはっきり言って――」
「ばかなのにゃん。そろいもそろってばかばっかりなのにゃん」
まるで一陣の風のように三つの炎を吹き飛ばしたのは俺ではなくプリニャンカの声。
とたんに全員が静まり声の主へと注目が集まる。
「権利とか対価とか、そんな自分勝手な理屈でご主人を奪い合うなにゃん。ご主人は物じゃないにゃん」
プリニャンカが、みんなを諭している。
ともすれば一番子供っぽいところがあったあのプリニャンカが……
成長したなぁ。
「よく聞くにゃん。ご主人はお前らの所有物じゃないにゃん――」
そうだ。
プリニャンカ。
話を綺麗にまとめるんだ。
それでこの喧嘩もおしまいだ。
「ご主人はにゃんのご主人――つまりにゃんのものにゃん!」
成長しろー。
今褒めたとこだぞー。
「まったく、他人のご主人を盗もうなんて油断も隙もないにゃん」
「それはプリニャンカが勝手にそう呼んでいるだけなのではー」
「そうだよ。仮に主従関係があったとしても決定権はご主人様のゼノにあるはずだよ!」
「私が欲しいのはゼノだけ。プリニャンカは、いらない」
一瞬期待を持たせたプリニャンカだが速攻で集中砲火を浴びている。
大炎上だ。
まさにぐうの音も出ないとはこのことだろう。
「にゃぬぬ……」
追い詰められたプリニャンカが歯ぎしりをして悔しがる。
しかしその表情はまだ死んでいなかった。
「こうなったらお前ら全員勝負にゃん!」
「「「勝負?」」」
「簡単な話にゃん。この中で一番強いやつがご主人を手に入れるにゃん」
プリニャンカの一言に全員の表情が強ばる。
とりわけレーンは状況を飲み込めていないようだ。
「ちょっと待ってよ。どうしてそう言う話になるの!?」
「当たり前にゃん。にゃんたちは四人。ご主人は一人。だったら四人を一人に減らさにゃいと解決しないにゃん。簡単な計算にゃん」
そりゃ俺が四人に増えることはできないからな。
でもだからと言って、こんなかたちで仲間同士で決闘なんてばかげてる。
「それともお前らはご主人のためには命賭けられないにゃんか。お前らのご主人に対する気持ちはその程度にゃんか。にゃあーん?」
その挑発が決定打だったらしい。
プリニャンカの放ったその言葉が、瞬時にして全員の覚悟を決めさせていた。
「契約を守ってもらえないなら、力ずくでもゼノは渡してもらう」
「私もゼノをあきらめる気ははありませんのでー」
「どうやらゼノを手に入れるには、戦うしかないみたいだね」
「全員まとめて叩き潰せばご主人はにゃんのものにゃん!」
まずい――と思った時にはすでに戦いの火蓋は切って落とされていた。
全員が入り乱れての乱戦。
止めに入るにも近づくことすらままならない。
「ちょっと待て。うそだろ――」
戦いの中で四人が急激に魔力を高めていく。
それは今までに経験したことのないほどの力の収束。
個々人それぞれが魔王に肉薄するほどの魔力量だ。
凄すぎる――
みんながこれほどの潜在能力を秘めていたなんて思いもしなかった。
いや。
そもそも俺は彼女たちのことを何も分かってはいなかった。
分からないまま魔王討伐という目的だけを達成させ、その行き着いた果が、この結末か。
――論理や知略で組織を作ることはできても仲間を作ることはできない。
事ここに至って、今は亡き師の言葉を俺は思い出していた。
やはり俺は間違っていたのだろうか。
だとすればこの争いを止める力なんて俺の手には――
俺が自分の無力さを痛感したその時、唐突に四人の魔力が消失した。
しかし、これが神の助けではないことは明白だった。
俺は祈ってなどいないし、そいつが助けてくれないこともよく知っている。
では魔力源である四人が鉾を収めたのかと言うと、それも違う。
誰もが振り上げた武器を突然奪われ困惑している。
「これは――大魔法陣!?」
玉座の間の床一面に浮かび上がった巨大な魔法陣が神でも生み出さんばかりの力場を形成していく。
四人から魔力を奪ったのはこいつだ。
しかし突然どうして?
俺は唯一の心当たりに視線を走らせた。
その先で床に伏していた死に体が力なく頭をもたげる。
魔王クーネリア・クーネンベルク。
生きていたのだ。
そして最後の力を振り絞り四人の魔力を取り込んで大魔法陣を起動してみせた。
やってくれる!
「みんな退避しろ!」
俺は指示を出しつつ術式を展開。
大魔法陣の基幹術式に侵入して制御系の奪取を試みる。
いや。
だめだ。
複雑すぎて間に合わない。
完全に後手に回った時点で俺は負けている。
魔王クーネリア・クーネンベルク。
その執念の正体を確認したくて目を向けると相手の視線と交錯した。
だが火色の髪から覗くその瞳には怒りも憎しみもなく、まして勝ち誇っているでもなかった。
ただ何か覚悟を決めたように真っ直ぐ俺を見ている。
――なんだよ。それは。
魔王の真意が読めないまま、俺は最後の最後まで抵抗をする。
上手くいけば仲間たちが脱出する時間くらいは稼げるかもしれない。
「「「「ゼノ!(ご主人!)」」」」
ばか。
逃げろと言ったのに!
四人は退避するどころか俺に向かって駆け寄ってくる。
見捨てられなかったことは素直に嬉しい。
だがその気持ちはすぐに驚愕で塗りつぶされた。
四人の動きが急にゆっくりとなりその姿が残像を引くように延伸していく。
いや。
残像と言うよりはその瞬間ごとに自分を置き忘れているようにも見える。
おそらくはこれが大魔法陣の効力。
歪む――
空間が――
時空が――
世の理が――
そして大魔法陣を満たした魔力が爆ぜ、純白の極光にすべてが飲み込まれる。
終わった。
ゼノ・クレイスは最後の最後で魔王の悪あがきを許してしまった。
その結果、仲間を守れずに相打ちだ。
やはり俺はどこか間違っていたのだ。
仮にもういちどやり直すことができれば、その時はもっと違う結末を導けるだろうか。
もちろん神が手を差し伸べてくれるなんて期待はしない。
それでも俺は手を伸ばす。
守らなければならなかった四人の方へ。
そして空白の中で何かに触れた。
それは、俺の知らない優しい手だった気がした――