セクション4
「は、はよ! はよ教えてんか!」
環がクッションから絶望的な顔をあげた。涙目だった。
無視して亮子は、こちらに向き直った。まっすぐ、うるんだ目で。
「『FCaT』さんがうちの掲示板に書き込んだ動機は、もしそれを知っているひとがいたら教えてほしかったから。チャイムのせいで聞きとれなかった言葉を」
「そんなの、そこにいたひとに聞けばいいだけじゃん」
「だから彼女、友だちいないんだって。しかも盗み聞きしてたわけだし。それが原因で、また嫌な目に遭う可能性もあるのよ?」
「うーん。で、いたの? その、フォーラムで知ってるひと」
「いたらここで、こんな話しないわよ」
それもそうだ。
「ちなみにね。これ『FCaT』さんに聞いたんだけどね」
「うん」
「住所のところ、『秘密』になってたじゃない?」
「あ、それ聞きたくないやつだ」
「隣の市だった」
「き、聞いてへんで!」
「いや、あんたがっつり聞いてたじゃん」
「無責任やないか! もしそいつが来たら、なんて答えたらええねん!」
「それを考察するのが、斎河高校探偵団じゃない」
これ以上は時間の無駄とばかりに見切りをつけると、亮子は手を叩いて立ち上がった。カバンから革の手帳を取り出してページをめくる。
その手帳は、亮子の虎の子である。
不思議な話を蒐集する際に使っている、いわば取材ノートのようなものだ。ちなみにどんなことが書かれているのか、いまだかつて見ようと思ったこともないのだが、私たちのあいだではひそかに、『中二病ノート』と呼ばれている。
そもそも彼女が一方的に設立した「斎河高校探偵団」というのは、だいたいが亮子が持ち込んだ事件に、私たちを巻き込んでめちゃくちゃにしている感じで。
ただ、なんと言うか。このいかれたオカルト好きの友人が、その小さい体で無鉄砲に無茶苦茶やるのが、ちょっとだけうらやましくて。ほんとちょっとだけなら付き合ってやってもいいかな、というのが私個人の感想でもある。
他の二人がどう思っているのか知らないけど。
「ねえ、りょっぺ。あのさ」
葵里がくちびるに指をあてながらたずねた。
「その『FCaT』さんと会ったの?」
「は? なんで?」
「うん。あのね、住所聞いたって言うから。プロフィールで『秘密』にしてるぐらいだから、他の人が見るところに書き込んだりしないでしょう?」
「ああ、直接メッセージのやり取りができるのよ。フォーラムに入ってるメンバー同士で。メールアドレスとか知られないでやれる」
「あ、そうなんだ。それじゃあさ、『FCaT』さんに直接会ったらだめなの?」
なるほど。それは手っ取り早い。なんなら、他の生徒に聞き込みすることだってできるだろう。
葵里はいつものほほんとしているのだが、この四人のなかでは一番成績がいい。思考が飛躍することが多く、すぐ回答を導きだすが、自分でも計算式を理解していない場合があったりする。
「だめね」
即座に亮子が否定した。
「……は? なんで?」
私が聞き返しても彼女は答えず、勝手に話しはじめる。
「これはいわゆる『正解を答える』タイプの怪異ね。類似系では、学校の怪談で出てくる『赤マント青マント』かしらね。地域によっては『赤い紙青い紙』だったりするみたいだけど。知ってる? 『赤いマントと青いマント、どっちがほしい?』って聞かれるやつ。どっちもトレイに現れるんだけど」
「知らん。正解は?」
環が保身のために乞う。そんな彼女に冷たい一瞥をくれて、亮子は続ける。
「『赤い紙がほしいか、青い紙がほしいか』っていう派生もあるわ」
「は? どう違うんや。で、正解は?」
「赤マントを選ぶと血まみれで死ぬ。青マントだと血を抜かれて死ぬ。ちなみに紙の場合も同じ」
「そんなん、選択肢の意味ないやん! ……で、正解は?」
「環、顔色悪いわよぉ。もしかして、青選んだ?」
「やめ言うとるやろ! もうホンマたのむさかい、正解教えてぇな!」
「あらあらァ、ちょっと震えすぎじゃない? ひょっとして、白だったのかしら。それとも黄色?」
亮子はにやにやしながら、手帳のページをめくった。
「し、白? 白や黄色ってなんや! 赤と青やないンか?」
「まあだから理屈としては、正解を答えれば回避できるものになるわね。これもおそらく」
「さすがに可哀想だよ、りょっぺ……」
葵里が同情的に環の腕をとった。
「アオリンだけが味方やな。女神さまや」
まあ亮子にしてみれば、いつもやられているので仕返ししてるんだろうけど。
「仕方ない。今回はこのへんで勘弁してやるか。ちなみに、『どっちもいらない』が正解だから」
「『どっちもいらない』!」
「どっちもいらない」
環がすばやく叫んで、葵里が笑顔でつられた。
「……ああ。血だらけにもならず、血も抜かれず、ってことね」
私は合点がいってうなずきかけたが、すぐに首をかしげる。
「でもさ。これ、『いる』でも『いらない』でもアウトじゃん」
いると答えれば手足が増えて、いらないと答えたら手足がなくなるのだから。手がない。あ、いや。言いかたがまぎらわしいな。
「そうだね」
「うーん、でもさ」
葵里が指摘する。
「これって、都市伝説ってやつでしょう?」
「分類としてはそうなるのかもね」
「都市伝説って口裂け女や人面犬とかの?」
「有名なとこではね」
なんだ。私は拍子抜けした。
ならこれは、フィクションじゃないか。
もっと早く気づくべきだった。そもそも赤マントは学校の怪談だし、そういうのと同系列。すなわち、いるかもわからない四時ババアを封じるのと同じ。
指摘したほうがいいんだろうか。それとも、空気を読むべきか。
私は――、亮子のようにオカルトにかぶれてはいない。幽霊はいるんじゃないかと思う。宇宙人はいてもいいと思う。妖怪は概念だと思うし、神様は信じたい。
では、四時ババアや赤マントは幽霊だろうか。それとも妖怪だろうか。
個人的な見解だが、現実にすり寄ってきたフィクションだと思う。いるかもしれない。いないと言いきるには弱く、いると断言するには乏しい。それが都市伝説の立ち位置だ。
要は――、楽しんだもの勝ちなのだ。平凡でないことに夢中になれる亮子がうらやましいし、本心で言えば私も楽しみたかったのだ。それも環のように、あくまで安全な場所でだ。さながら本をひろげて、陰惨な無差別殺人事件をながめるように。ページの外で安楽椅子を揺らす存在として。
「葵里さ。さっき『FCaT』さんに会えば、って言ったよね」
亮子はもう一度、『from』の『FCaT』さんのプロフィールページを開いて見せる。
「あ、あれ……?」
葵里はなにかに気づいたように声をあげた。言葉が少し震えていた。
その写真――鏡に向かっての自撮りである。
半袖のTシャツはやや大きめで黒い。そのプリントも、いかにもオカルトのフォーラムっぽいと思うのは偏見だろうか。そこから伸びる右腕は細く、スマホをにぎった手を顔の前で構えている。インカメで撮ればいいのにと思ったが、顔を隠すためなのだろうと納得する。顔が小さい。中学生にしては小柄なほうだろう。チビの亮子と同じか、それよりもっと小さいか。さらさらのストレートロング。そして左手は……
写っていなかった。
「結論から言うと、彼女は片腕を失ったの。図書室でその話を聞いた日の夜。そう――、来たというのよ」
手ぇいるかぁ?
足いるかぁ?
そこで彼女はなにかを答え、その結果、片手を失った、というのか。
「あ、足は……?」
環が震えながらたずねた。
「無事みたい」
困惑げに眉根を寄せて、亮子が肩をすくめる。
「まあそんな状態だから、ずっと引きこもってるらしいのよね。とても誰かと会いたいとは思えないわよね」
「そう……、よね」
「ネットではやり取りできるし。それにほら、『from』の登録日も私より古いから、彼女なりに調べられることは調べたんじゃない? そのうえで、新規のウチのフォーラムにもコメントしたんでしょうね」
プロフィール欄の『開始日』という項目には、四年前の日付が表示されていた。たしかに『魎呼』は二年前だ。
「なんて答えたんや、彼女?」
「教えてくれないの」
環が絶望的な悲鳴をあげた。
「なんでや!」
「正しくない、からじゃないかしら」
亮子はもう一度小さな肩をすくめた。
「……ちょっと待って」
私はとっさの疑問を口にする。
「なんか、ちょっと出来すぎじゃない?」
「なにが?」
「だって、たまたま聞いてたこの人に、たまたまそういうことが起こるなんて。だって、人口だって何万人もいるわけでしょう?」
「来たらしいわよ」
亮子はこともなげに、さらりと答えた。
「この話を聞いた全員のとこに」
「え」
「ただ、他の人は回避を方法を知っていた。彼女は知らなかった。ただそれだけ」
「待ってよ。待って」
私は混乱してきた。息があがる。
亮子が手帳のページをめくる。黒革の、それは禍々しい。
「これはつまり、よくある『聞くと呪われる』タイプの話だったということかしら。この『呪われる』にはバリエーションがあって、ざっと『死』『発狂』『行方不明』なんてのもある。ただ『行方不明』というのは生死不明の状態だから、『死』もそこに含まれるのかもしれないけど。それから、今回の『失う』――」
めまいがする。
「なぜ、呪われて『死ぬ』のか。というより、誰が『殺す』のか。ソレを見てしまったがために『狂い』、あるいは何処かへ連れ去られてしまって、『行方不明』になったりするのだとしたら」
「ソレ」
「この『聞くと呪われる』系は、話の存在を呼び寄せるの」
「呼ぶ」
葵里がまたくり返す。
「……呼ぶ?」
それから私たちは、一斉に亮子を見た。彼女の眉が、すとんと下がる。
「……巻き込んだわね。――また」
「さ、さあ。なんのことかしら?」
「あんた、自分とこに来るかもしれないから、びびって私たちに話したのね」
「し、知らないわよ?」
「おい、誤魔化すな。こっち見ろ」
亮子は絶対に目を合わせようとしなかった。
夕方のサイレンが、ただただいつものようにうなり声をあげるのだった。