セクション2
私は、ひどく平凡な人間であると思う。
「平凡」というのは、「一般的」ということであり、「平均的」ということでもある。
すなわち、とりたて秀でたところはないが、目立って劣っているところもない。きわめて普通の(なにを基準にそう呼ぶのかは知らないが)、どこにでもいる標準的な一女子高生だ。
そう。私がまず何者であるかを説明するためには、この「女子高生」という肩書きは外せない。
所属というのは、個人を表す修飾のなかで一番外側にある。初対面の人間の第一印象を、外見に求めるような認識だ。
社会人が名刺交換するとき、名前より先に社名や役職に目がいってしまうのは、まず相手がどういう立場であるかを知り、その情報を元に円滑に応対できると思っているからである。
つまり所属というやつは、最も他人行儀な存在であると同時に、最も本質であるのかもしれない。
橘舞子というのが、私の名前である。
所属の次に気になるのが名前だろう。名前というのは、唯であり全でもあるからだ。
つまりまず、こう言いたい。橘舞子は、ひどく平均的な高校一年生である。
平均的というのは、標準であるとも言い替えることができる。
どのくらい標準かというと、身長に体重、学業成績にいたるまで、自分でもあきれるぐらいに模範的なのであった。
思春期まっさかりの多感な年頃ではあったが、さすがにこの時期特有のテンプレ、自分が何者であるかなんてことにはさすがに思い悩みはしなかったものの、この「普通」であるということには、少なからぬ違和感というか、腑に落ちないものを抱かずにはいられなかった。
要は、「普通」は個性になりうるか、という問題である。
そもそも小学生時代から、テストの結果は常に平均点。当然、通知表もオール3ラウンダーである。しかしながら、高校生からは違う。私は生まれ変わるのだとばかりに猛勉強したものの、これはもう逆にある種の才能なのではないかしらと開き直らずにはいられない中間テストが終わった、六月のはじめのことである。
「よーし、くそ。今日は反省会だ反省会。舞子んチ集合な」
むくれた亮子が、涙目で宣言した。校門を出たところだ。さらさらの軽めのボブが幼さを引き立てる。彼女のキューティクルには結構嫉妬している。
「え、また?」
「ほなら、まずは買い出しやな。お煎にキャラメル、ガールズトーク」
三つ編みにメガネの環は、大福みたいなほっぺを揺らす。その隣で、手のひらを合わせて可愛い女の子アピールに余念のない、そばかすの葵里。
「いつものスーパーね! やっふー、あそこお安いよねー」
「待て。あんたら、まず私に確認しなさいよ、私に!」
「あー、オッケーオッケー。いいよー、勝手にあがってー」
「なんであんたが返事すんの!」
「ぁ痛っ! 見た? いまの見た!? 殴ったわよ、この女。いたいけでうるわしい、可憐な少女の頬を! 傷口に粗塩を塗り込むかのように!」
ちなみに亮子は、代表して佳代ちゃんに愛ある教育的指導を受けてきたのだ。それを見た生徒は口をそろえて言う。誓って折檻ではないと。
それから、B棟にある鏡すべてに貼りつくした百八枚のお札を剥がしてくれた用務員さんに謝りに行ってきたのだが、良い人でよかった。
テスト明けで午前あがり、それにくわえて部活もない。天気はいいし、しかもウィークデイ。みんなが浮かれないわけがない。
カラオケ行こうよ、と帰りがけに別のグループにも誘われた。いささか魅力を感じないではなかったけど、今回は見送ることにした。ほっぺ腫らした小さいのが、じっとりこっちをにらんでいたから。
自然とみんなの足は、慣れた私の通学路に向いていた。
私の家は、わりかし学校の近くにある。少なくとも徒歩圏内だ。亮子と葵里は電車通だし、環は自転車である。わずか三ヶ月のうちに、橘家はすっかりたまり場になってしまっていた。
「あ! 今日、月刊レムールの発売日じゃん!」
小さいのが、とてつもない重大なことを思い出したかのように、往来で老舗オカルト雑誌の名前を叫ぶ。
「……あんた、影でレムールってあだ名ついてんだから、教室で読むのやめなね」
数少ない友だち代表として忠告すると、メガネザルの名前をつけられた彼女は、いかにも不満そうに片頬をつりあげた。
「言わせたいやつには言わせときゃいいのよ。群れることしかできない烏合の衆めが」
「りょっぺカッコイイ!」
「いやいやアオリン、つけあがるからそんくらいにしとき。こやつナリが小さいもんやから、すぐ大きう見せようとしおるさかいな」
「うっさい、でかいのはだまってろ。いつかやつらは裁きにあう。せいぜい悶え苦しめ」
「あー……、そらあかんわー。もろ脅迫罪やわ、亮子。刑法第222条」
「いつか人は死ぬ、て言ってるだけじゃないかバカ! そしたら、田舎に貼ってる黒い看板みんな訴えられろ!」
私は地獄があるならばもしかしたらと、このすこーし残念な友人に同情の念を寄せることにした。
葵里は駆けだして、スーパー『リンリン』の前で手を振っている。ロゴがパンダの、私が生まれるよりずっと昔からある、近所のぼろいスーパーだ。全国を侵食しつつあるどでかいモールの魔手を巧みにかわす地域密着型だ。
「あとで本屋寄りたい。売り切れたら困る」
「わかったわかった。定期購読しなさいよ」
環が店の駐輪スペースに自転車を停める。鍵をかけるのを待って、私たちはリンリンの自動ドアに向かった。
「ねえ舞子、あんた『from』やってないんだっけ」
亮子は有名なSNSの名前をあげた。聞いたことぐらいはある。五年ぐらい前から流行りだして、あっという間にSNSの代名詞みたいな扱いになった。もっとも最近は人気も下火のようで、最盛期の登録人数の約半分以下までに利用者が減ったそうだ。
「やってない。おもしろいの?」
「やりなよ。おもしろいから」
「うん、今度ね」
私の哲学なのだが、何事も他人から勧められておもしろかった試しはない。たとえばお薦めの本とか。雑誌で有名人が紹介してたりしても、私はそれを鵜呑みにしない。おもしろいものは自分で見つけてこそだ。
店内に入ると、もはやあたりまえのように環が買い物カゴを持つ。
「お茶でいいよねぇ? コップ出してもらえばいいし」
葵里が二リットルのペットボトルを抱えて持ってきた。
「あとクッキー系? お昼まだだし、パンも入れていい? みんなでわけれるように、おっきいリングのパンでいいよね」
「おう、どんどん入れや。まだ月始めやからな」
勇ましく言いながら、環はスナック菓子をふたつカゴに放り込んだ。すでに葵里が入れたせんべいとチョコチップクッキーがある。
「はぁ? ふざけんな。自分基準で考えんなよ。誰がそんなに食うんだよ。会計4対2対2対2だからな」
「お、うっかりしとったわ。サラダ油を忘れとった」
「おい、無視すんな」
御影亮子は実際性格は悪いし、当然のように口も悪い。
「あったあった。この安いのでええか、亮子? いやでも、ブランドにこだわりそうやなぁ。まあ、費用対効果はあるみたいやな」
「え。りょっぺ、油飲んでるの? だから、いつもそんなに口まわるの?」
葵里はびっくりしたように亮子を見た。
「うわ、カロリー高っ! あ、いやそういう問題じゃなくて、飲むか! いじめか、おまえら」
環がカゴにどんどん突っ込んでいく後ろで、私は冷静にそれらを元の場所に戻していく。
「そういえば、このあいだ姉さんからもらった紅茶があるんだった。ごめん、葵里」
承知と葵里は、ペットボトルを戻しに行く。
「ナイスだよ舞子。立派な主婦になれる。あたしが保証する」
亮子が笑顔でほめた。こいつは本を買う予定だから、あんまりお金がないのだ。
「……で、『from』がどうしたって?」
代表して葵里がお会計するのを見ながら、私は隣の亮子にたずねた。
「ん? あんた、やってないんでしょ?」
「やってない」
「環は? ……ってか、疑り深いからなぁ。葵里はそもそもやるわけないし」
「なに、やらせたいの? 招待制だっけ?」
「いや、説明すんのが面倒だから、やってれば楽だなぁと。――あ」
なにかに気づいて、亮子がレジのほうへ走っていく。サラダ油がスキャンされたところだった。
「え。りょっぺ飲むって言ってなかった? え? 違うの?」
「だから、誰が飲むか!」
こういう場合、葵里はわりと本気で言っているのであなどれない。
「今度なんか作ったらええやん。舞子んチ置いとこ」
「油で? なに作るのよ。さすがにこんなに使わないでしょ」
あいにく我が家は、最近サラダ油の買い置きをそろえたばかりである。しかも姉の希望で、わりとヘルシー志向なやつだ。
「ふふん。ここはてんぷらパーティを推したいとこやな」
「わ! 素敵!」
「いいわねぇ。みんなで具材持ち寄って?」
「来た、闇てんぷら!」
「ちょっと亮子、悪い顔になってるよ」
「よし、ほなら来週な」
「……んん? ちょっと待って。会場どこのつもりよ? 却下却下」
レジのおばさんに生あたたかい目で見られながら、サラダ油を返品する。
買い物袋を抱えた葵里が笑顔で戻ってくるのを待ってから、私たちはスーパーをあとにした。ビニール袋は、駐輪場で環のハンドルに掛ける。
「よし行こう」
亮子が先頭に立つ。
次の目的地は、近所の書店である。そこも、かろうじて有名大型書店の洗礼を逃れて、細々と経営している。
「やった。あった」
愛読書を手に入れて、彼女はほくほくである。人類を支配するアルファベットのカードに陰謀論をにらんでいる亮子は、この本屋を贔屓にしていた。彼女の家も個人商店というのもあるのだろうと私は思っている。
ここから橘家は、徒歩五分圏内だ。猫の額ほどの庭のついた、画一的な建売住宅である。
私がまだ小さい頃、このあたりが土地改革のあおりで新興住宅地として開発され、それまでこの近くの古い家に住んでた私たち一家もなんとなくその新しいものに惹かれるように引っ越してきたのだ。だからまだ築十年も経っていない。
「ほんと舞子んチ、あこがれるなぁ」
玄関でローファーを脱ぎ捨て、亮子がぼやいた。
「どこが? ふつうだよ」
私は苦笑した。葵里が亮子の靴もきちんとそろえてから、お邪魔しまーすと無人のリビングに声をかける。
「ふつう? よく言うわ。普通は高校生の娘置いて、両親が海外で生活するとかないから。アニメかって」
「姉さんいるからよ。私ひとりじゃ無理無理」
私には四つ年の離れた姉がいる。短大を卒業して、去年からローカルな情報誌なんかを扱う会社で働いてる。
「超美人! 遺伝子疑うわ」
事実、姉は家族のひいき目を抜きにしても美人なのである。残酷だ。そのうえ、もともと彼女はなにをやらせても優秀なものだから、ことあるごとに平凡たる妹は比較され続けてきた。
「舞子のお姉ちゃんすごいよね」と言われ、「舞子のお姉ちゃんはすごいのにね」とも言われ、「舞子はお姉ちゃんみたいにすごくないよね」というとこまできた。
いや。出来すぎた姉をもつ平凡な妹のコンプレックスなど、いまはどうでもいい。
「うらやましい。私も大学行ったらひとり暮らしするんだ」
亮子がひっひっ、と不気味なふくみ笑いをもらす。
勝手知ったる他人の家とばかりに、環はキッチンでお湯を沸かしはじめた。
「マイ。紅茶出して?」
葵里は食器棚を開けてティーカップを並べはじめてるし、亮子はお皿にお菓子をセッティングしだす。こいつらの手際の良さにはおそれいる。
その後、葵里が得意のオムライスを作ってくれたり(食材は橘家のものだが)、亮子がさっそく特典のDVD鑑賞をはじめて、怖がりな環に強制的にコンセントを抜かれたりと、いつものように私たちは、お腹もふくれて、わいわいとばかみたいにはしゃぎ、意味のない会話に満足しながら、窓から差し込む日差しも心地よくて、だらだらと、こんな日々がこれからもずっと、今日の延長のまま続いていくことに、なんの疑いも抱かなかった。
あるときに――、なにかの拍子に、ふっと会話が途切れる瞬間がある。亮子はそれを、空間の呼吸と呼んでいた。
ひとの心に魔が差す瞬間も、それによく似ているそうだ。
その瞬間に、空気が変わる。
「そういえばさ――」
ずっとそれを待ちかねていたように。亮子はその空間の呼吸に、自分の呼吸を乗せるのが抜群にうまかった。だから、私たちもいつも乗せられてしまうのだ。
「おもしろい話をしよう、と言って話しはじめると、おもしろさが半減するものよ。――だから怖い話をしよう、とは言わない。そうね、怖くない話をしましょう」
反射的に環がばっと手をあげて、両耳を覆った。
「……こ、怖い話をするんやな?」
彼女は怪談が大の苦手なのだ。
「あんた、あたしの言うこと聞いてた? 怖くない話」
「毎度毎度も騙されるかいな、詐欺師め」
「ひと聞き悪いこと言わないでよ。あたしがいつ騙したってのよ」
「ひょっとして、さっきの『from』のこと……?」
「さすがは舞子」
亮子はにやりと笑った。
「……『from』って出会い系か?」
「聞きたくないんだったら、口はさむんじゃない。出会い系じゃなくて、健全なSNS」
不満そうに環は、クッションをひっぱってきて顔をうずめた。こうなると彼女は、話が終わるまで岩のように動かない。
「わたし、『from』のオカルトフォーラムで管理人やってるの。……ああ、別に誰でもなれるのよ。自分でスレ立てして、書き込んでくれたひとには挨拶して、コメントにはレスつけて、荒らしは排除して――普通の掲示板よ。まあ、そんなに活発なとこじゃないけどね」
「掲示板」
葵里が反芻した。この子はよく他人の言葉をそのままくり返すが、特に意味があったりはしない。
「わたしほら、『実録・百物語』書いてるじゃない? ネタ集めの一環よ」
文芸部に所属しているが、それとは別にネット上で、彼女がそういう、あまり趣味が良いとは言えないものを書いて公開しているのを知っている。
「そこで、ちょっと不思議なことがあってね。みんなに助けてほしいのよ。正直、知恵を借りたい」
普段は強気な亮子にめずらしく、助けてほしいなどと頭をさげるのに、私は少し興味をもった。
なにせ私は、姉の影響もあってだがミステリの愛読者である。謎があるとうずく。
「この話を持ってきたのは、中学生の女の子だった。『from』が運営してるフォーラムだから、書き込むとプロフィールもそのまま表示されちゃうのよ。で、ハンドルネームは『FCaT』さん」
亮子はモバイルで、『from』の画面を見せてくれた。『FCaT』さんのプロフィールと、該当のフォーラムでの書き込みの箇所だった。よく見れば昨日である。テスト期間中になにをやってるんだ。
「出身地が『秘密』になってるわね」
「職業は『学生』だね。年齢が『14』」
私と葵里がこぼす。
プロフィール画像は、鏡に向かってケータイで自分を撮影している女の子の写真だった。端末とフラッシュがいい具合に顔を隠しているが、幼い感じで、たしかに中学生ぐらいに見える。半袖Tシャツがまぶしい。その違和感に、私はすぐには気づけなかった。
書き込みについては細かくて長くて、ちょっと読む気がしない。スマホを借りようとしたら、「ちなみに私のはこれなんだけど」とたのんでもいないのに、亮子が自分のプロフィールページを見せてくる。
画像は極限までアップにしたせいでぼけている、目のドアップだった。まあ特徴的なので、わかる人が見れば亮子と判別はつくが。
「……えっと。ごめん。これ、『りょうこ』って読むの?」
当て字にもほどがある。『魎呼』とか。
「はァ? それ以外に読めないでしょう。馬鹿かおまえ」
イラッとしたが、……まあいい。
亮子は画面を消すと、小さく一度せきばらいをした。
「『FCaT』さんの書き込みはこうよ――」