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セクション1

 怖い話をしていると、なんとも言えない独特の空気に包まれることがある。

 ひっそりと友人同士でする怪談話であったり、ネットや本でその手の話を読んでいるときなんかもそうだ。

 なんとなく、「見られている」ような不穏な気配と、首の後ろの神経がきゅっと圧迫される嫌な感触におぼえがあるだろう。

 無論、ふり返ってみたところで怪談の主は見えない。かといって、その視線が背後からともかぎらないから、後ろを見たって消えたりはしない。

 やはりそれは、「包まれている」と言える。

 なにも自分が、その内にいるときだけではない。

 気配は空気を伝う。少し離れたところからでも、それはたしかに届くのだ。

 放課後、教室の隅からこぼれる囁きは、まるで少女たちの秘め事であるかのよう。耳をすませば、じっとりほの暗いうわさ話。

 ――夜中、廊下のきしむ音で目が覚めて。

 ――でもこんな時間に誰かがいるはずもなく。

 ――のぞいてみたけど、やっぱり誰もいなくて。

 ――布団に戻ろうとしたら電話が鳴って。

 ――入院中のおじいちゃんが亡くなったって。

 怪談に正体はない。

 匂わせながらも言及しないことにより、恐怖は想像に支配される。

 つまり、個人差があるのだ。

 恐怖を作りだしているのは自分だ。

 その感情は、原初よりそなわっている。ひとが道具や言葉を使う以前から。

 それは、死に直結しているからに他ならない。危険を回避せよと脳からの指示なのだ。すなわち「逃げよ」と。

 だから、恐怖を楽しむという行為は、死をも覚悟しなければならない。心霊スポット巡りなど言語道断だ。

 そのため怪談は、本来秘め事などではなく忌み事なのである。

 放課後を告げるチャイムの音。

「――えー、以上でホームルームを終わる。お疲れさん。みんな、気をつけて帰るように」

 佳代ちゃんの言葉が終わるより早く、クラスはざわめきにあふれる。

 駅前にできたアイスクリーム屋さんの話題、今夜のテレビドラマのおさらいから予想、部活の先輩の文句に、新譜の話題。

 思い出したように話題が、まるでこれまでの時間の延長であるかのように、あたりまえのような顔で戻ってくる。

 金曜の放課は、学生にとってパラダイスだ。週末の特別感が空気をきらきら輝かせ、浮き足だった鳥のように体を舞いあがらせる。

 そのうえ今日は、中間テストの最終日でもあったから、解放感もまたひとしおである。

 私は私で、なぜ三日目は英語と数学が重なって襲ってくるのか、これは学年主任の陰謀に違いないとひそかに憤り、早くも来週の結果発表に戦々恐々と、そしてまた憂鬱な気分で落ち込んでいたのであった。

 そこへ容赦なく現実の声が、追い打ちをかけてくる。

「あーっと、言い忘れた。橘、御影、長谷川に如月――って、いつもの四人! あとで職員室に来るように!」

 強めの語調で言い残すと、担任の滝川佳代先生は足音高めに教室を出ていった。ああ、やっぱり来たかと思った。

 極力考えないようにしていたが、やはり見逃してもらえるわけもなく、さらなる憂鬱に私は沈痛の息をついたのだった。

 隣を見れば、当の張本人はすずしい顔で帰り支度をはじめている。彼女の特技のひとつに、都合の悪いことは聞こえない、というのがある。

「……呼ばれたわよ、亮子」

 背が小さくて目の大きなクラスメイトが、普段からは想像もつかないほどさわやかな顔でふり返った。

「え? なにが?」

 地声は高く、キンキン響くタイプであるが、いまはそれに輪をかけた作り声である。すっとぼけの表情は堂に入ってるし、演劇部の私よりも空々しさは上だと思う。

「さぁってと、帰ろうかなぁ。あ、そうだ。今日はお店番たのまれてるんだった」

 彼女の家は花屋である。ドス黒い腹できれいな花を売っているのだ。

 立ち上がる亮子の襟首を、まるで猫を扱うように後ろの席から環がつかんだ。

「おぉっと、亮子。どないしたん? お腹でも痛いんか? よーし、薬もろてこよな。佳代ちゃんとこで。ちぃとばかし苦いかもしれへんけどな」

 関西のイントネーションで低く、環が歯を見せた。

「は、放しなさいよ、この馬鹿力……!」

 身長一四〇センチ台の亮子にとって、バレー部の環では相手にならない。くわえて環は重量級である。

「あん? 馬鹿はどっちや馬鹿は」

「うっさいわね! ちょっとデカイからっていばってんじゃないわよ。民主主義の世のなか、暴力で解決しようなんて野蛮、通用するもんかっ」

「小動物は首根っこつかむとおとなしうなるいうで」

「あたたたたっ! いた。いたい。だから、いーたーい! っての!」

「よーし、このまま職員室に連行やな!」

 さすが環。亮子のあつかいに慣れている。そうして脱出ポットのごとく放りだして、無事に戦線離脱してくることだろう。

「いってらっしゃーい」

 私はひらひらと手を振って見送ることにした。

「はぁ? ちょっとちょっと耳腐った? あんたも呼ばれてたでしょうが」

 涙目で小動物が抗議した。

「ふふふー、なにかなぁ。わたし褒められることしたかなぁ」

 のんきな声で、にこにこ顔の葵里が輪にくわわる。

 私はあきれてため息をついた。

「逆だと思うよ、葵里」

「逆」

 葵里がきょとんと反芻する。本気でわからないらしい。この子は時々おめでたい。

 環とは保育園からの親友で、亮子も葵里もそれぞれ別の中学からの生徒で、高校に入ってからの友だちだ。いわゆるこれが、私たちのグループである。

「あ、あたし心当たりないし。やだなぁ知らないなぁ」

 ようやく環の手を振りほどき、そそくさと方向転換した亮子を、今度は私がつかんだ。あくまでとぼけて、堂々とボイコットが通用すると思い込んでるらしい。

「……私はあるわよ、亮子」

「え、そうなの? やっぱり舞子が悪いの?」

 さりげなくアーモンド型の大きな目をそむけてる。絶対に私を見ようとしない。これ知ってる。ネコが叱られるときにするやつだ。

 私もにっこり笑って、笑顔のまま渾身の力で腕を抜こうとする彼女を、意地でも離さなかった。

「亮子」

「なによ舞子、痛いわ。広い心よ、ピースマインドよ。イッツアスモールワールド」

 私はぶちっ、といった。

「あー、もう! 昨日、B棟踊り場の鏡にベタベタとお札貼りまくったの誰よ! あんたでしょう! だから言ったじゃん、怒られるに決まってんでしょ!」

 すぅっと、大きな目が濃いまつげに半分閉ざされる。安いうわっつらの仮面がぼろぼろ落ちる瞬間だった。

「はぁ? なに言ってんの、もしかして封印のこと? 学園の危機を救ったってのに心外だわ。生徒が四時ババアに襲われるのを食い止めたんじゃない」

「あのね。どこに危機があったってのよ」

「はん! 警察みたいなこと言うのね。被害に遭ってからじゃ遅いのよ。だから、未然に防いだわけ。言わば正義の味方よ?」

「あー、はいはい。だったらきっと褒めてもらえるから、ひとりで職員室行きなよ。と言うか行け。手柄のひとり占めさせてやる」

「はぁ? そういうのはね、誰がやったかわからないからかっこいいんじゃない。正義は語らずよ。だいいちね、おもしろがってB棟の鏡という鏡にお札貼りまくったの、あんたたちだって共犯なんだからね!」

 クラスメイトたちの痛い視線を感じながら、私は怒りに叫びだしたくなるのを必死に堪えて、最後に残る精一杯の良心で笑顔をつくった。

「亮子。いい、亮子。あのね、これは単純な問題なの。ひとりの内申に、ちょーっとだけ傷がつけばすむていどの。亮子ならわかるわよね。無関係な私たちに、どうか友情の尊さを教えてちょうだい」

「ゆうじょう! 友情! その口が語るか、舞子! 斎河高校探偵団のメンバーとして恥を知れ!」

「あ・の・ねぇ。何度も言うけど、私は演劇部。環はバレー部で、葵里は帰宅部。そして、あんたは文芸部でしょうが! わけのわかんない所属に入れるな! はずかしい!」

 ドンと机を叩く。クラスの注目が一斉に集まった。

「おー、なんだなんだ。言い分が通らなくなった途端、すぐ大きな音をたてる。理知的な行動とは言えなくってよ、舞子さん? ……あ、舞子は理知的じゃなかったっけ。あははは!」

「言ったな、チビクソが。いままで見なかったことにしといてあげたけど、制服のそでの折り返し、ちょっと大きいんじゃない?」

「それはひがみ? あたしが萌えそでにした日には、ファンたち悩殺まちがいなし。かわいさセーブしてんのよ、わかんないかしら」

「ファン? あんたが毎朝餌付けしてる近所の野良猫の話か? でもよかったわねぇ、相手がせめて哺乳類で」

「なんだと! 舞子の好きな男子の名前バラすぞ。一年――」

「うわっ! わ! ま、待って! 待って、ごめん! ごめん!」

 環が廊下の方を向いて、渋い顔をしたのが見えた。葵里が小さく私のそでを引いたことも。

 佳代ちゃんが、目尻をぴくぴくさせながら立っていた。

「いつまでたっても来ないと思ったら、よそのクラスからクレーム。あわてて戻ってみれば、ここはいつから動物園になった? 橘、御影、長谷川に如月! おまえら、いいかげんに――!」

 放課後の一年A組に、大きなカミナリが落ちた。

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