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不死身の少女を殺す話  作者: 川住河住
第一章【0番街の怪人】
9/25

昔話

「ああ、そうか。そうだったんだ」

 知らず知らずのうちにハンカチを固く握りしめていた。

 すぐに怪人の方を向き直り、答えを忘れないうちに大きな声で告げる。

「この子の名前は西島ふじみ。聞こえたか? 西島ふじみだ。その目でしっかりと確かめろ!」

 僕は色あせたハンカチを怪人に見せつける。

 そこには彼女の名前がしっかりと記されている。

 何度も洗われて色あせてしまっているのに、なぜか名前だけはしっかりと残っていた。

「正解。あんたの勝ちだよ。さすが騙り部を名乗るだけのことはあるねぇ」

 怪人はニヤリと笑った。

 僕は笑わなかった。



「あれ、騙り部さん……?」

 遅れて西島の意識が戻った。

 顔を上げて眠い目をこすりながら声をかけてきた。

「おはよう西島さん。大丈夫? どこか痛いところはない?」

「大丈夫です。私は眠っていたのですか?」

 やはり意識を、名前を、存在を奪われている間の記憶はなくなっているらしい。

「うん。店主さんのご厚意で休ませてもらっていたんだよ」

 心配をかけないためとはいえ、やはり嘘は嫌いだ。気分が悪いし心も痛む。

 怪人はその様子をニヤニヤと笑みを浮かべて見ていた。

「そうですか。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。すぐに帰りましょう」

「まだ休んでいて大丈夫だよ。僕はこの人ともう少し話すことがあるから」

「でもそれは……」

 申し訳なさそうにしている西島に怪人が声をかける。

「気にしなくていいよ。帰りは彼氏の背中に乗っけてもらえばいい」

 それから指をパチンと鳴らした。

 その瞬間、西島の頭がゆっくりと前後に揺れ動いて少しずつまぶたが落ちていく。

「すみません。それではお言葉に甘えて。もう少しだけ休ませていただきます」

「うん。ゆっくりおやすみ」

「ありがとうございます。あの、騙り部さん。一つだけ聞かせてください」

 なんだろう。

 意識を失っている間の記憶はないはずだが、なにか気づいたのだろうか。

「どうして泣いているのですか? なにか悲しいことがありましたか?」

 知らぬ間に両目から涙が流れ続けている。

 何度ぬぐっても止まることを知らずあふれ続ける。

「あれ、ごめん。なんで止まらないんだろ……。悲しくなんてないのに……」

 奪われた西島の存在が戻ってきてくれてむしろ嬉しいはずなのに。

 それから僕は無茶苦茶に両目をこすり始めた。

 誰かの両手が僕の両手を優しく包み込んで目をこするのをやめさせる。

 目の前には西島の顔があった。そしてゆっくりと口を開く。

「泣いてもいいですよ。私は騙り部さんの、その正直なところが好きですから」

 それだけ告げるとゆっくりバーカウンターに頭を置いて寝息をたて始めた。



「嘘しか言わない騙り部に正直者と言うなんてこの子もなかなかの嘘つきだねぇ」

 いや、彼女の言葉に嘘はなかった。つまりはそういう意味なわけで……。

「泣き止んだと思ったら今度は顔を真っ赤にさせて忙しい奴だねぇ、あんたは」

 怪人が呆れたような物言いでようやく気づいた。もう涙は止まっている。

「それで、あたしに話ってなんだい? 勝負はもう終わり。あんたは勝ったんだから、さっさとその子を連れて帰ったらどうだい? そうしないと今度はあんたも……」

「どうして僕を勝たせてくれたんだ」

 怪人の話をさえぎって問いただす。

「はぁ? なにを言ってるのかわからないよ」

「騙り部に嘘が通用すると思うなよ。お前の言動や行動からは嘘しか感じられない」

「あたしはあんたの頭からその子に関する記憶を全て奪った。事実、あんたはその子の名前をすぐに答えられなかった。その名前が書かれたハンカチを見つけるまでは」

「それだよ」

「は?」

「そのハンカチがおかしいんだ」

 僕は手に持っていたハンカチをもう一度広げて見せた。

「お前が0番街の怪人でないことはこの際どうでもいい。けれど、お前の力の本質はおよそ見当がついている。お前は人を騙す以上に人から奪うことを得意とする化物だ。そうだろ?」

 僕の問いに対して怪人は否定も肯定もしなかった。ただ黙って話を聞いている。

「お前は彼女が名前を言った時、一瞬にしてそれを奪った。同時に意識も奪った。というより、彼女の存在そのものを奪ったんだろうな。あの瞬間、この世に彼女の居場所はなくなっていた」

 その問いに関しても怪人はなにも答えない。口を固く閉じてこちらを見ている。

 僕の記憶を奪ったというのは嘘、というよりも認識の違いだろう。いくら過去を振り返っても思い出せるわけがない。

 なぜなら、この世に『西島ふじみ』という女の子は存在していないことになっていたのだから。

 存在を奪う力を持つ化物。そんな強大な力を持った化物がこの町にいる。そう考えただけでゾッとする。八代目の祖父は、九代目の父親は、こいつの存在を認識しているのだろうか。

「人間一人の存在を奪う力。いかにも化物らしい力だよ。すごいと思う。でもそんなすごい力を持っているのに、どうしてハンカチの名前だけは残っていたんだ?」

 ハンカチの名前だけ奪い忘れた、なんて下手な言い訳はさせない。こいつほどの化物がそんな初歩的な間違いを犯すはずがない。やろうと思えば僕も彼女も一瞬で消せる力を持っているのだから。獅子はウサギを捕らえるにも全力を尽くす、と言う。それは化物でも同じだ。

「答えろよ。0番街の怪人を騙る名前のない化物」

 ずっと黙ったままの怪人を問いつめる。

「やっぱり騙り部はおもしろいねぇ」

 幼女の顔の皮が破れるかと思うほど笑う。顔全体を歪ませるような不気味な笑み。

 文字通り、人間離れした化物にしかできない笑いだった。



「むかしむかし、人里離れた山奥に人間を騙して楽しむ化物がおりました」

 突然、怪人が語りだした。

 顔は幼女そのものだが、声は老齢の獣のような声をしていると思った。

「その化物は何百年、何千年と人間を騙し続けておもしろおかしく毎日を過ごしてきました。しかし、世間で化物のことが噂になっていくうち、山を訪れる者はほとんどいなくなりました。化物も最初のうちは気にしていませんでした。けれど、しばらく人を騙せない日々が続くと、人間に会いたくて騙したくて、いてもたってもいられなくなりました」

 まるで親が子に昔話を読み聞かせているかのような見事な語り口だった。

「けれど化物は、その山を離れることができません。なぜなら化物はその山でしか生きられず、その山を離れてはいけない決まりになっていたのです。なぜそんな決まりがあるのか、誰が決めたのか、何千年も生きてきた化物はとうの昔に忘れてしまっていました。それでもその決まりだけは覚えていて、今も忠実に守って暮らしているのでした」



 僕は黙って怪人の話を聞いている。今のところ嘘が一つも感じられない。

 なにより興味深い。土地に縛られた化物……か。

 人間の社会もわずらわしい規則はあるが、化物の世界にもそういったものがあるのか。

 化物は欲望のまま生きているのかと思ったが、実はそうでもないらしい。



「それから化物は、食べることも騙すことも何もかも忘れて眠り続けました。人が全く来ないのでなにもできないのですから。しかしある日、うるさくて目を覚ますと、一人の人間が立っていました。久しぶりの人間で寝起きだったということもあり、すぐに食ってしまおうと大きな口を開きました。すると人間は怖がることも逃げることもせずにこう言いました。

『なんだなんだ。その大きな口は人を騙すためにあるのではないのか。騙すことが得意な化物と聞いていたが、それはお前のことではないな』と」

 なんだろう。どこかで聞いたことがあるような話になってきた。

「その言葉に怒りを覚えた化物は、自分こそが騙すことが得意な化物だと言いました。すると人間は、大いに喜んで騙し合いをしようと提案してきました。化物が呆気にとられていると、そいつは勝手に話を進めていき、次のような条件付きの勝負をすることになりました。『化物が勝ったら人間はなんでも言うことを聞く。そのかわり人間が勝ったら化物はなんでも言うことを聞く』化物と人間の騙し合いは三日三晩続きました。普通の人間なら長くても数時間で騙されてしまうのに、そいつは違いました。いくら言葉巧みに嘘をついても瞬時に見抜き、逆にこちらを騙そうとしてきます。こんな人間はこの世に生まれ落ちてから初めて会いました」



 隣の席で眠っている西島の体がピクリと動いて右に少し傾いた。

 僕は彼女が落ちないか気にかけながら化物の話に耳を傾ける。



「決着がついた時、空には大きな月が浮かんでいました。勝ったのは……人間でした。化物は生まれて初めて人間に騙されてしまいました。けれど悲しくも悔しくもなく、むしろ清々しい気分でした。そして人間と化物はお互いの健闘を称え合ったそうです」

 語りきった怪人は、とても満足気な表情を見せている。

 その顔は幼女なのに、何千年も生き続けた歴史が詰まっているような表情だった。

 怖いとは思わないし、気持ち悪いとも思わない。

 それよりもほんの少しだけ見とれてしまった。そして怪人の見事な語り口に聞きほれた。

「めでたしめでたし……」

 僕は昔話が完結したことを示す台詞を代弁した。

「ああ、そうか。人間はそうやって話を締めるんだったねぇ。すっかり忘れてしまっていたよ」

 怪人は気恥ずかしそうな表情をしながら頭をかいた。

 もしかして、以前にもどこかで誰かに昔話を聞かせたことがあったのだろうか。


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