代案
「どうして……?」
どうして西島ふじみがどんな傷も受けつけない不死身の化物だと知っている。
「すみませんすみません。質問は受けつけてないんですよ。私が質問するので、それに答えてくれるだけでいいです。それでは不死身の化物。あなたのことを教えてください」
小須戸は腰の低い態度はそのままに、西島のことを『化物』呼ばわりする。
人間と思っていない。人間として接していない。
珍しい取材対象。『化物』としか思っていないのだ。
「聞こえていますか? なんでもいいんですよ? 知ってることすべて話してください」
小須戸はなにも答えようとしないので催促する。それでも西島は口を閉ざしたままだ。
「化物はなにを食べるんですか? まさか人間を食べるってことはないですよね? 傷つかないことはわかりましたが、心臓を突き刺してもすぐに治してしまうんですか? どうなんです?」
「……」
「あなたはなにか知りませんか? この化物といっしょに住んでいるのですよね?」
西島が話さないから僕に聞き始めた。
なにか一つでも西島に関することを伝えてしまったら、大量の嘘で塗り固めた記事にされてしまうだろう。
「なにも知りません。知っていたとしてもあなたに話すことはありません」
「すみませんすみません。だけど、これも私の仕事なんですよ。わかってください」
小須戸は自分の都合を押しつけるばかりで、西島の都合というものは一切考えないらしい。
「仕事のためなら、取材のためなら相手を傷つけても許されると思っているんですか? 警察に通報します。いえ、すぐに学園の警備員と教師を呼んできます。それが嫌なら……」
「いえいえ、そんな無駄なことをするくらいなら取材に協力してください。私は確かに化物の指を傷つけましたが、それも一瞬で治ってしまいました。傷つけられた被害者もいないのに警察を呼んでも無駄に終わってしまいますよ? それなら話す方が楽ではありませんか?」
校門前から移動したのは失敗だった。
思えば小須戸は、僕らが移動した瞬間を見計らったように刃を忍ばせた名刺を渡してきた。
きっとこいつも教員や警備員の視線に気づいていたのだ。
「確かに傷痕が治ってしまえば被害にあった証拠にはなりません。しかし、学園の防犯カメラを確認すればあなたが西島さんを刃物で切りつけた犯行が映っているかもしれませんよ?」
「すみませんすみません。そんなことをされたら私も困ってしまいます」
小須戸はカバンの中をひっかきまわすように何かを探している。
「それならすぐに取材をやめて帰ってください。そしてもう二度と現れないでください」
「いえいえ、それでも帰るわけにはいかないんです。ああ、ありましたありました」
彼女が取り出したのは小型のビデオカメラだった。本体の上部の赤いランプが点灯している。それはカメラが撮影していることを表している。
カバンには、人の手によって開けられたらしい大きな穴がある。きっとそこからレンズだけを出して今までの様子を撮影していたのだろう。その中には西島の傷が治る様子も収められているはずだ。
「あなたは本当に雑誌を売るためならなんでもするんですね」
僕は怒る気にもなれず、嫌味を込めた言葉を独り言のようにもらした。
「すみませんすみません」
小須戸は気持ちのこもっていない口ばかりの謝罪を返してきた。
西島の指を傷つけた瞬間から治るまでを捉えた映像。
これは大量の嘘で塗り固める必要もないほどの重大事実だ。
「その映像を破棄すること、今後一切西島さんを取材しないこと、そして記事にもしないこと。そのためにはなにをすればいいですか。教えてください」
僕は苦々しい気持ちをなんとか抑えて相手の要求を聞く。
「ああ、よかったよかった。話が早くて助かります」
この瞬間、小須戸は初めて心の底から笑った気がする。だがその笑顔は、汚くて醜いものだ。
「0番街の怪人がいるバーは寂れた歓楽街の一角だからあまり人目につかずに行けます。さつき野めい子さんは不審者だからなにをやっても許されます。その二つは読者が気軽に真偽を確かめられることがウケたと思うんですよ」
口を開いたらそれ以上に汚くて醜い言葉を吐き出す。そしてそれは本心からの言葉だった。
「不死身の化物も気軽に真偽を試せるという点では売れると思うんです。どんなに傷つけても不死身なら問題ないですからね。しかし、高校生はまずいです。ええ、まずいです。以前にも高校生のことを記事にしたんですが、教員や保護者にバレてしまった時はもう大変で……」
「つまりあなたは、不死身の化物以上のネタを出せ、と言いたいのですか?」
「そうですそうです。そうなんです。本当に話が早くて助かります。秋功学園は校則が厳しいみたいですが、マスコミに対してもなかなか厳しいところなんですよ。別の出版社のカメラマンがここの生徒さんの写真を撮って販売したら学園から訴えられたって話もあるんですから。雑誌が売れるためならなんでもしますが、訴えられるのは面倒ですからね。あはは」
「必ず雑誌の記事のネタになるものを探して提供します。それまで絶対に西島さんのことを記事にしたりビデオカメラの映像を誰かに見せたりしないでください。いいですね?」
僕はにらみつけながら何度も念押しして約束させる。
「取材へのご協力ありがとうございます。それではご依頼の件、よろしくお願いします」
小須戸は腰を低くして何度も頭を下げてから帰っていく。
初めて見た時の印象と今の印象は全く違う。
彼女の本性を知った今となっては、いい人そうとはとても思えない。
いや違う。小須戸は本性を隠していたわけではない。
あれが彼女にとっての常識で、本人はいたって普通に過ごしているつもりなのだろう。
化物のように化けの皮を被っているわけでもなく、詐欺師のように人が良いふりをしているわけでもなく、人でありながら人でなしなのだ。
小須戸文哉がゴーストライターと呼ばれる理由がよくわかった。
幽霊のように突然現れ、いつまでも付きまとってくる。迷惑で不気味で人から怖がられる存在。
嫌というほどよくわかった。人は見た目で判断できない、
「西島さんはどうしたらいいと思う?」
隣で呆然と立ちつくしている西島に尋ねてみたが、返事はおろか反応すら見せなかった。
「このままだとあることないことを雑誌で書かれるかもしれないんだよ。それでもいいの?」
今度は少し脅かすように尋ねてみた。そこでようやくこちらに顔を向けてくれた。
「私は化物ですから。すでに不死身の化物と恐れられている存在ですから」
問題ないとか大差ない、そう言いたいのか。
だがそれは違う。今は学園内でその名前と存在が一部の人に知られているだけで済んでいる。
しかし、雑誌の読者が真相を確かめるためにこの町へ訪れないとは限らない。
0番街の怪人もさつき野めい子さんも、物好きな読者がわざわざ来ているのだから。
そして本当に不死身かどうか確かめるため、西島に石を投げつけたり刃物で傷つけたりする奴が出てきてもおかしくない。
「もう一度聞くよ。西島さんは本当にそれでいいの? 殺してくれるなら誰でもいいの?」
以前、西島は食卓でこんなことを言っていた。
僕が殺してくれないから化物探しを始めた、自分を殺せるなら同じ化物だろう、と。
あの時は場の空気に飲まれて言えなかったけれど、今なら言える。
あれは嘘だ。今でも彼女は騙り部の僕に殺されたいと願っている。
これは自惚れでも嘘でもなく事実だ。
「雑誌に不死身の化物がこの町にいると書かれたら、もしかしたら誰かが殺しに来てくれるかもしれない。でも西島さんはそれでいいの? どこの誰かもわからない人に殺されていいの? 不死身のふじみがそんな簡単に殺されていいのか?」
長い沈黙が流れた後、西島が顔を上げて重い口を開いた。
「それは……嫌です。どこの誰かわからない人に殺されるのは嫌です。あなたでなければダメです。なぜなら私にとって騙り部は……あなただけですから」
今、笑った……?
一瞬微笑んだように見えたけれど、気のせいだろうか。
「騙り部さん?」
西島が首をかしげながらこちらに問いかけてきた。そこにはいつも通りの顔があった。
「ううん。なんでもない」
どうやら気のせいだったらしい。
それでも顔色は良くなり、目にも少し輝きが戻っている。
少しでも元気を取り戻してくれたならよかった。
「それより、その呼び方はやめてって何度も言っているよね。西島さん」
僕が苦笑しながら言うと、彼女は少し残念そうな顔をしたような。
あれ、どうしたのだろう。何度もやっているやりとりのはずなのに。
「不死身の化物以上のネタを考えようか」
取材に来たという発言に嘘はなかった。
けれど取材対象は学園ではなく西島ふじみだった。
しかし、あいつはどうして西島の不死身の力を知っているのだろう。
いつ、どこで、誰から聞いたのか。
学園の生徒がネットに書いたのか、それとも出版社に連絡でもあったのか。
「そういえば、傷はもう大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
思えば指を刃物で切られたことも僕の責任だ。
名刺を渡すという行為の裏にある刃物を見抜けなかった。
「秋功学園七不思議の一つ、幸福のもみじはどうでしょうか」
西島の提案が思考の闇に沈んでいく僕を救い出してくれた。
「【幸福のもみじ】か。確かにいいかもしれない。そういえば知っている? あのもみじの木の下で結ばれた初めてのカップルはうちの両親なんだよ」
「え!?」
今度は見逃さなかった。西島がとても驚いた表情を見せてくれたところを。
化物を自称して殺されたいと言っているが、やはり感情は死んでいない。
それを見てホッとする。
だがこちらの表情を見て気づいたのか、すぐにまたいつもの硬い表情に戻ってしまった。
しかし今となっては見慣れているし、愛嬌があってかわいらしい。
そう思うのは……。
「惚れた弱みかな……」
「お義父さんとお義母さんのことですか?」
西島がきょとんとした顔を見せながら聞いてくる。
まずい。言葉に出してしまっていた。
「……うん。そうだよ」
彼女は首をかしげたままだったが、そういうことにしておいた。
「ただ、あいつは幸福のもみじのことをもう知っているかもしれない」
「あそこは有名な告白スポットですものね。特に秋になると、他校の生徒さんも来ますし」
「ドラマや映画の告白シーンとして使われたこともあるらしいからね」
それからまた別の案を考え始める。
だが、いくら考えても案は浮かばない。
「昔から秋葉市を治めてきた権力者、秋葉一族の秘密っていうのはどうかな?」
「なにか知っているのですか?」
「同じ学年の生徒に秋葉家の奴がいたはず。そいつから何か聞き出そうかと思って」
「それだと私の代わりにその人が辛い目にあってしまうかもしれません」
「ごめん。今のなし。できれば聞かなかったことにしてください」
僕が深く頭を下げてお願いすると、小さな笑い声が聞こえた気がした。
「私は騙り部さんの、そんな優しいところが好きです」
西島が言ったことに嘘はなかった。だから恥ずかしくて頭があげられない。
「騙り部さん? どうかしましたか?」
どうかしたのか聞きたいのはこちらの方だ。
今、自分が何を言ったのかわかっていないのか。
しかし、おかげでいい案を思いついた。
「そうだよ。騙り部だ」
僕はそうつぶやくと、すぐに西島の手をつかんで走り出した。




