いつか晴れた日に
「あの、すみません。最後に一つだけいいですか」
その背中を西島が呼び止める。
「まだなにかご用かしらん?」
女性がゆっくりとこちらに戻ってきてくれた。
「どうして黒い傘をさしているのですか?」
「は?」
「え?」
その質問に僕も女性も間の抜けた声が出た。
「どうしてって……おかしいことを聞くわね、あなた」
「すみません……」
「別に謝らなくてもいいわ。こんな格好で歩いていたら嫌でも目立つでしょ。だから私は雨の日だけさつき野駅周辺を歩いているの。そして黒い傘で顔が見えないようにしているのよ」
なるほど。そういう理由だったのか。
先ほどは顔が見えず、ロングスカートしか見えなかったから女性だと僕は判断した。
だがその口ぶりは、空模様と同じくらい明るくない。
きっとそうするまでに悲しいことや辛いことがあったのは想像に難くない。
「失礼かもしれませんが……」
「なにかしら?」
「あなたにはもっと明るい色の傘が似合うと思います。そうすればもっと綺麗に見えます」
西島は思ったことをそのまま正直に言葉にする。そこには一切の嘘がない。
「それから晴れの日にも出かけてみませんか? 日光にあたるのはとても気持ちいいですよ。秋葉駅に足をのばすのもいいと思います。あ、蒸気亭を知っていますか? そこは……」
「知っているわ。秋功学園の生徒なら知らない人はいないんじゃないかしら。あそこのほうじ茶と蒸気パンがとってもおいしいのよね。もうずっと食べていないわぁ」
蒸気亭とは、秋葉駅の東口から歩いて数分のところにある喫茶店だ。
ずっと昔から秋葉市民に愛される店で近隣の高校生もコンビニやファストフード店よりも利用することが多い人気店だ。もちもちとした食感と黒砂糖の素朴な甘みの蒸気パンというお菓子が名物だが、その製造方法は不明である。
「ぜひ行ってみてください。いえ、もしよろしければごいっしょしますよ」
空模様とは正反対に明るい声で話している。
表情は硬いのに、こんなに楽しそうな西島の姿は珍しい。なにが彼女をそうさせているのだろうか。
「あなたっておもしろい子ね」
「そうでしょうか」
「ええ。私が言えたことではないけど、あなたは変わっているわ」
「ありがとうございます」
「ほらまた。普通の人ならそこでお礼なんて言わないわよ」
女性は楽しそうに微笑んだ。その表情はとても明るい。
「でも、そうね。たまには晴れている日に歩いてみたり、遠くまで出かけたりするのも悪くないわね。それから傘は、もっと明るいものに変えるわ」
またこちらにウィンクして見せた。
彼女には申し訳ないが、その姿は僕の背筋を凍らせる。
そして去り際に耳元でささやいた。
「あなたがもう少し早く生まれていたら良かったのに……」
それを聞いた僕は慌てて西島の傘に避難させてもらう。
その動きを見て、ロングスカートの女性は笑って歩いて行く。その足取りはとても軽やかだ。
「さつき野めい子さんは、いなかったのですね」
女性の姿が見えなくなってから西島は残念そうにため息をつく。
0番街の怪人がいないとわかった時も残念そうにしていた。
彼女はそれほど真剣に探し求めていたということだろう。
「体は男でも心は女……か」
僕は西島の傘に入れてもらったままぽつりと言葉をもらす。
「たとえ体が男でも、戸籍が男でも、誰もが男だと言っても、私だけは女だと言いたいです。なぜならあの方は誰よりも女性らしく綺麗であろうと努力しているのですから。でもこれは……傲慢な考え方でしょうか」
彼女がこちらに問いかけてくる。
僕はその問いに対して正直に答える。
「いいんじゃないかな。とても人間らしい考え方だと思うよ」
それを聞いた西島は、ほんの少しだけ間を空けてから諦めたような声で話す。
「いいえ。私は化物です」
悲しいことに、その言葉に嘘はなかった。




