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不死身の少女を殺す話  作者: 川住河住
第二章【さつき野めい子さん】

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15/25

正体

 それは思っていたよりもすぐにやってきた。

 行き止まりに捕まり、いくら走ってもその先には行けない。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 僕が歩みを止めても雨は止まない。さらに雨のせいで呼吸がしづらい。

「はぁ……やっと……はぁ……追いついた」

 少し遅れて男性が追いついてきた。あちらも全速力で走ってきたから肩で息をしている。

 ロングスカートには雨で濡れた染みがついている。

 途中から傘を畳んで走っていたからその染みは大きい。

 そのせいで顔の化粧も崩れかかっている。

「なんで逃げるのよ!」

「す、すみません……」

「どうして逃げたのよ!」

「あの、急に声をかけられて怖くて逃げてしまいました。すみません」

「ねぇ、あなた……」

 ロングスカートを履いた男が尋ねてくる。

 今はもう黒い傘をさし直しているけれど、顔についた雨粒が化粧をなおも崩していく。

 それのせいで少しずつ本来の顔が見えてくる。

 彫りの深い顔の溝に水滴が流れていく。

 眉は細く整えられ、厚い唇には真っ赤な口紅が彩る。

 どこかでぶつけたのか、頬や目尻には切り傷や擦り傷が見られる。

 首のあたりにも青紫色の(あざ)のようなものがあってなんとも痛々しい。

 遠目なら男性か女性かわからないかもしれないが、これだけ近くで見れば嫌でも男だとわかってしまう。

 暗い色のカーディガンを羽織っていてもがっちりした肩幅と筋肉のついた太い腕は隠せていない。

「な、なんでしょうか」

 いつまで待ってもその後の言葉が来ないのでこちらから尋ねる。

 すると、ややあってから相手も口を開いた。

「私って綺麗?」

 化粧が崩れかかった不気味な顔で問いかけてきた。

 嘘か本当か聞き分けなくても本気で尋ねているとわかる。

 だから半端な気持ちで答えてはいけない。



「ねぇ、答えてよ。私って綺麗?」

 僕が黙っていると再び男が問いかけてくる。

 その間も化粧はさらに崩れていく。血の色よりも赤い口紅がだらりと雨粒とともに(したた)り落ちる。

 この人は僕よりもずっと背が高いから見上げる形になる。

 長い髪とその化粧もあいまって口が大きく裂けた女性の化物にも見えてくる。

 けれど僕の目には人間の男性にしか見えない。

 人間の男性が化粧して女性の服を着ているようにしか見えない。

「それは……その……」

 綺麗か、綺麗でないか。その答えはすでに出ている。

 だがそれを答えると、この人は怒るかもしれない。

 落ち込むかもしれない。

 なぜなら彼が求める答えは一つしかなくて、僕が出した答えはもう一つの方だから。

 女性の化物に見えていたらまた違う答えが出ていた可能性もあるけれど、それは難しい。

 人間は人間だし、化物は化物だ。



「ねぇ、私って綺麗?」

 人間の男が再度尋ねてくる。

「ねぇ、言ってよ……」

 それでも僕は沈黙を続ける。

 だがそれはすでに答えているようなものだろう。

「嘘でもいいから……綺麗って……言ってよ……お願いだから」

 それこそ無理だ。

 僕は嘘が嫌いだから。

 嘘でも冗談でもお世辞でも人の容姿を褒められない。

「誰か……誰でもいいから……一言でいいから……綺麗だって……それだけで私は……」











「綺麗です」

 男も僕も驚いた。

 なぜならそれは、僕が言ったわけではないから。

「あなたは綺麗ですよ」

 男がその大きな体を横にずらして振り返る。

 彼の背後にはビニール傘をさした女の子が立っていた。

「西島さん……?」

 状況を理解できない僕は間の抜けた言葉を発してしまう。

「ねぇ、あなた……私が綺麗だと思うの? 本当にそう言っているの?」

 突然の来訪者とその答えに驚いた男が聞き返す。

「はい。あなたは綺麗ですよ」

 西島はもう一度同じ言葉を伝える。

「やめてよ。さっきのは冗談よ。そんなこと無理に言わないでいいわ」

 男はその言葉を受け入れられないのか、それとも信じられないのか、頭を大きく横に振る。

 けれど西島が言っていることは事実だ。

 嘘でも冗談でもなく本音を言っている。

「あなたは綺麗ですよ」

 降り続ける雨に消されないほどしっかりと通る声でなおも告げる。

 もちろん、それにも嘘の要素は一切ない。

 これだけ何度も真剣に伝えられたら信じるだろう。

「あなたは嘘でも冗談でもお世辞でもなく本当にあたしのことを綺麗だと言ってくれるのね。あなたの目には私がどう映っているの? 教えてくれるかしら?」

 男性は先ほどよりも落ち着いた表情と声になっている。

 その姿はとても紳士的と言った方がいいのか。

 それとも淑女(しゅくじょ)のようだと言えばいいのか。


 

「私の目には人間の女性に見えます。その長い髪は毎日きちんと手入れなさっているのでしょう。お化粧も今は崩れてしまっていますが、ムラなく丁寧にされていたのがわかります。このさわやかな香水もあなたにピッタリの香りだと思います。とても素敵な女性ですね」

 人間の女性。たしかに西島はそう言った。

 僕の目と彼女の目で見えるものは違っているらしい。

「ああ……ああ……ああ……ああああ……!」

 突然、ロングスカートの男がうめき声をあげる。

 そのまま大きな体を揺らしながら西島の方へ進んでいく。

 なにかするつもりかと思ってすぐに先回りする。

 男と彼女の間に入って両手を広げて立ちふさがる。

 0番街では守れなかったが、今度はあんな過ちを犯さない。

「失礼ね。なにもしないわよ。ちょっとその子と話をするだけよ」

 彼は野太く低い男の声で話す。それでも僕は態勢を変えない。

「あなたはさつき野めい子さんですか?」

 背後にいる西島が尋ねる。

「私のことをそう呼ぶ奴がいることは知っているわ。まったく、失礼な話よね」

 落ち着いた表情と声で話をしているが、怒りの感情がこもっているのは明らかだ。

「私のことを何だと思っているのかしら。化物? 怪物? 不審者? 変質者? 本当に好き勝手言ってくれちゃってもう……ふざけんなっつーの!」

 大声で男が叫んだ。

 腹の底で煮えくり返っていた怒りを口から一気に放出したような叫び声だ。

 一切の嘘偽りもない憤りが僕の耳に飛び込んでくる。

「私は私よ! 決めるな! 勝手に決めつけるな! さつき野めい子さん? 誰だよそれ! 知らねぇよ! お前らが決めるな! 私は私なんだよ! 人間よ! 私は人間の女よ!」

「女……?」

 つい疑問に感じたことをもらしてしまった。

 僕の目や耳、その他五感の全てを使ってもこの人が人間の男性だとわかる。

 どんなに上手く化粧しても、どんなに上手く振舞っても、性別を偽ることはできない。

「女よ。こんな見た目でこんな声でも私は女よ。男の顔で化粧をしていると笑ってもいいわ。男の体でスカートを履いていると笑ってもいいわ。だけどね、誰がなんと言おうと私は女よ!」

 僕は勘違いしていたのかもしれない。

 目に見えるもの、耳で聞こえるもの、それが全てだと思っていた。

 けれど人間はそんなに単純ではないのだ。



 0番街で化物に言われたことを思い出す。『半人前の騙り部』。

 まったくその通りだ。

 僕には嘘も真実も見えていなかった。

「先ほどは申し訳ありませんでした」

 きっちりと姿勢を正してから頭を深々と下げる。

「あなたはずぶ濡れになった僕を心配して傘に入れてくれた。それなのに、ご厚意を無下にしたこと、それからあなたのことを男だと思っていたことです。申し訳ありませんでした」

 頭を下げたまま相手の反応を待つ。

 ロングスカートの彼、いや彼女は口を開いてくれた。

「へぇ。最近の若いのもちゃんとした謝り方を知っているのね。なんて、じじ臭いかしら」

「そこはババ臭いでは?」

「あら、言うじゃないの。生意気なガキは嫌いだけど、そういうセリフは嫌いじゃないわよ」

 本音で話してくれているのはわかる。だが化粧の崩れた顔でウィンクされると驚く。

 というか正直怖い。背筋が凍りつくかと思うほど恐ろしい。

「まあ、でもね、本当は私もわかっているのよ」

 怒りの感情のみで話していた彼女の声に悲しみの感情が加わったことに気づく。

「たとえ心が女でも、男の体をした私がこんな格好で外を出て歩いていたらゾッとするわよね。化物、怪物、変質者、不審者呼ばわりされるのも無理ないわ。やっぱり私は化物なのよ」

 その言葉を否定することが僕にはできない。

 つい先ほどまで僕も人間の女だと認めず、人間の男だと決めつけていたのだから。

 そんな僕に彼女の言葉を否定する権利はない。

 それに、ここで僕が発言しても嘘っぽく聞こえるだけだろう。

 心のこもっていない上辺だけの言葉は嘘よりも人を傷つけることになる。

 僕は嘘が嫌いだし、騙り部は人を傷つける嘘を言わない。



「いいえ。あなたは人間です」

 西島が一歩前に進み出てはっきりと告げる。

「あなたの体は人間です。あなたの心は人間です。だからあなたは人間なのです」

「ありがとう……。ありがとうね……」

 感謝の言葉を述べながらロングスカートの女性がその場にしゃがみこむ。

 それから右手を差し出してくる。その手は僕に向かって伸びている。

 なにかと思って手を出すと、小さくて硬いものが手の平に載せられた。

 顔に近づけて見ると鮮やか朱色のもみじのバッジ。秋功学園の校章バッジだ。

「それ、あなたのでしょう」

 女性はしゃがみこんだまま話しかけてくる。

「あ、はい。僕のです。ありがとうございます。でも、どうしてわかったんですか?」

 僕が尋ねると彼女は立ち上がって指だけを使って両目にたまった涙をぬぐった。

「昨日、その子といっしょに歩いているところを見てたからよ。大事なものなんだから、なくしたらダメでしょう。今でも校門前でやっているのかしら。朝と放課後の服装チェック」

「……朝はやっています。放課後はやっていません」

「あら、そうなの。いっそのこと、朝のチェックも廃止すればいいのに。ねぇ?」

 その人は懐かしそうに話している。もしかして秋功学園の卒業生なのか。

「さてと、渡すものは渡せたから。そろそろ帰るわね」

 黒い傘と大きな体をくるりと一回転させて、その女性はゆったりとした歩調で歩き始める。


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