第74罠 王の帰還
異世界生活74日目。
今朝は久々にジルの部屋へ、ミティと一緒に来た。
驚いたのはミティがランドールの姪にあたる血縁関係で、アーベスト家に入ることだ。
俺がせっせと海上で肉を焼いている間に、そんなことになっていたらしい。
今後はランドールがミティの教育にも携わるようだが、具体的に決まるまではジルのところに通い続けるのは変わらないのだとか。
たった数日で見違えるように淑女へと変わってきたミティは、もしかしたらこれが本来の姿だったのかもしれない。
これなら即位式にも出られそうだと満足げに頷くジルが、ミティを抱き寄せてソファに座らせた。
「……ひとつ、問題があってね」
「問題? どうしたんだ」
そう話すジルがルーファスを呼ぶと、眉間に皺を寄せたルーファスが一枚の手紙を見せてくる。
「……これは?」
「私の兄、グリフィスからの手紙です。ジグヴァルド王の執事として別荘にただ一人付き添っているのですが」
「父は誰にも会いたくないと、それはもう酷い有り様でね。心の病ならば別荘で静養するのもいいかと思っていたのだが」
手紙には、突然ジグヴァルド王が回復し王都にすぐ戻りたいと言っていること、迎えが来るまでの間肉が足りないのでたくさん送って欲しいことが書かれていた。
「……突然、良くなったって」
「おかしいだろう? それまでは食事には全く手も付けず、ベッドでただ横たわって毎晩泣いていると報告されていた。回復したのは喜ばしいが、あれだけ嫌がっていた王都に帰りたいなどと」
「……しかし、ジルウェイン王子。即位式にはジグヴァルド王が出ないことには成り立ちませんので。王都に戻って来れるのは僥倖と思うしか……」
魔法板を取り出したルーファスが、何やら難しい顔で操作をする。
「……ジルウェイン王子、突然別人のように変わる場合の可能性ですが」
「……ああ、教えてくれ」
「まず、グリフィスの報告が詐称であること、これは可能性としては低いと考えます。このようなバレやすい嘘をつく男ではない。次に、ジグヴァルド王を語る偽物と入れ替わった可能性。これも、グリフィスが見破れないとは考えにくい。ええ、そもそもグリフィスが既に殺されていてこの手紙自体が偽物である可能性ですが、筆跡と込められた魔力は間違いなくグリフィスのものです。ここまでで何か」
「ルーファスがグリフィスを信用しているのは分かったが、判断が鈍る原因になる。情は抜いて考えてほしい」
冷静に告げるジルウェインに、ルーファスが顔を曇らせた。再び魔法板に目を走らせ、話を続ける。
「……過去の文献から、人間に擬態するモンスターの存在は僅かに記載がありますが、あくまで岩や木など環境に擬態し身を隠すようなもので、言葉巧みに騙すような知性の高いものとなりますと……」
「人語を解するというだけで、ランクはSS以上と決まっている。会話ができ、人間を装い騙すなど……上級の魔族くらいじゃないか?」
「ドラゴンやカーバンクルなら話せるけど、俺も他には知らないな。上級魔族って、そんなに簡単にいるものなのか?」
「いるわけないだろう、そんなものがいれば国一つ滅ぼすなど容易いことだ。肉を求めていたが、ティムの肉で魔力を強化したとなるとかなり厄介だな……」
要は、ジグヴァルド王に何かが起きている、ということ。
正体が何であれ、まずは確認する必要がある。
「……それで、俺に見に行ってこいってことか?」
「行ってこい、じゃない。僕も、ルーファスも一緒に行く」
***
空間移動で着いた先は、モリウスの魔物研究所よりもさらに南の森の奥。
ポツンと、一軒だけ建っているのがその別荘だ。
門から中に入り、ルーファスが玄関の扉を叩く。
「グリフィス、いるか?」
中から返事はなく、扉は開いていた。
「……入りますか?」
「入るに決まっているだろう。ティム、念のため結界を頼めるか」
「ああ、もうかけてる」
「よし、じゃあ行くぞ」
扉を勢いよく開けて、中に突入する。
実際には慎重に中に入ったのだが、気持ちだけはそんな感じだ。
「……グリフィス? 居ないのか?」
平屋建てのこじんまりとした屋敷には、リビングとそれに続くキッチン、寝室が二つ、それに食糧などを入れる倉庫がある。
グリフィスの部屋は、と寝室を覗くとルーファスが慌てた様子で声を上げた。
「グリフィス兄さん!」
寝室の机にうつ伏せたまま、ぐったりとしているグリフィス。
ルーファスが声をかけるも反応はない。
「……息は、ああ、まだ生きている」
「けど、意識がないのはまずいな」
「どうして、こんなことに……!」
「……あぁ、迎えが来たのか。ご苦労だったな」
聴き慣れた声とともにキィ、と扉が動いた音で振り向く。
そこに立っていたのは、紛れもないあの、ジグヴァルド王だった。
王都を去る前よりも、少し若返ったような精気に溢れた顔をして、こんな状況なのに余裕たっぷりの表情は何を考えているのか分からない。
「……ジグヴァルド王、これはどういうことでしょうか。兄のグリフィスは一体」
「ルーファスか。よく来てくれた。なに、グリフィスは疲れて寝ているだけのこと。王都で休ませてやって欲しい、私のためによく仕えてくれたのだからな」
意識のないグリフィスを前にして、何とも思っていないとも取れる発言。
これがただ寝ているだけに見えると言うのか。
「……ジグヴァルド王、お元気そうで何よりです。私の肉屋から肉をたくさん持ってきましたので、良かったら召し上がりませんか」
「おお、それはありがたい。遠慮なくいただくとしよう」
「では、調理して参りますのでそちらでお待ちください」
「肉は焼くならレアで頼む、腹が減っているのでちょうど良かった」
キッチンへジルと二人で行き、ルーファスにはジグヴァルド王の相手をしてもらうことにした。
「……おい、どういうつもりだ」
「どういうって……早速ボロを出したじゃないか。あれは偽物だ」
先程、肉を持ってきたと話をしたのは俺ではない。
ジルがまるで俺のように振る舞って話をした。
「全然、気づいてなかっただろう? ティムも名前を出さずに話をしていてくれ。何なら即位式の話でもしてくれるといい」
「……最初からわかってるくせに。どうせ鑑定したんだろ」
「……っ、ふふ。ティムには何でもお見通しだな。……さぁ、騙し合いといこう」
ほとんどレアな焼き加減のオーロックスのステーキを持って行くと、ジグヴァルド王は嬉しそうに笑って肉を頬張り出した。
「王都に戻るご予定ですが、お食事の後にすぐ戻るよう手配いたしましょうか」
「そうだな、早く王都に戻りたい」
「即位式もすぐなので、準備もありますからね」
「ええ、ジ……お父様がいないと即位式が出来ませんから」
危なかった、ジグヴァルド王と言うところだった。
慌ててお父様、などと口がむず痒くなる言い方に変える。
「王都に戻ればこの肉も毎日食べられるのだろう? ここは周りに何もないからな、腹が減ってかなわん」
「ええ、もちろんです。即位式の料理も素晴らしいものをご用意していますよ」
「時に、ジルウェイン。準備をしていて申し訳ないが、即位の話は白紙にしたい。まだこんなに小さいではないか、王になるのは成人してからでよかろう」
俺の両肩を持って、にこやかに話すジグヴァルド王……の偽物は、あろうことか即位を取り消すと言い放った。
……まずい、ジルの目がめちゃくちゃ怖い。
「……誰に、言っておられますか」
「我が息子、ジルウェインに決まっておろう」
「ジルウェインは、僕です。まさか息子の顔さえお分かりにならないとは、これは余程の重症かと」
「む、では此奴は……」
「魔王ティムの顔まで、まさか忘れたとは言わないよな」
俺とジル、二人の顔を交互に見るジグヴァルド王。
「ふ、ははは! 忘れたと言えばいいか? それとも、……真実は知らない方が身のためだと思うが」
「さっさと白状した方が楽じゃないか? ……なぁ、ダークルビーデーモン」
名を呼ばれカッと見開いた目が、空間を震わす。
前に伸ばした手からほとばしる閃光が、天井から全てを崩れ落とした。
瓦礫と砂煙で一瞬視界を失うと、次の瞬間には意識のないグリフィスの首を絞めたジグヴァルドが不敵に笑っている。
「グリフィスと言ったか、これの命が惜しいのはお前たちだけだろう?」
「……あいつ、本当に上級魔族か? 下級の間違いなんじゃねーの」
「……なっ……! 俺様を侮辱するとは、いい度胸してるなぁ!?」
「ぷ、ほら口調も崩れてきた。やっぱり、若いデーモンみたいだね。じゃなきゃもっと上手くやるでしょ」
みるみる顔が赤くなっていくジグヴァルド、もといデーモンの表情が怒りで崩れる。
「どうやら、ここで殺されたいようだな。……いいだろう、この国ごと滅ぼしてやるよ」
ふわりと宙に浮いたダークルビーデーモンは、グリフィスを乱暴に投げ捨てた。
亜空間にグリフィスを回収し、ルーファスに回復薬を渡して一緒に入っていてもらうことにする。
「ジル、お前も亜空間に入っておくか?」
「……なめないでよ、僕だって戦える」
「わかった、背中は任せたからな」
空から大きな炎の塊を投げつけてきたデーモンが、すでに瓦礫の山になっている屋敷を燃やす。
空中へ飛ぶと、ジルも飛んでついてきた。
「ジル、飛べるんだな」
「魔法なら全て使える。……まだ、レベルが低いだけだ」
「ははっ、そりゃ楽しみだ」
次々と投げつけてくる火球が、地面にぶつかって大きく爆発する。見ると、炎の中がマグマのように渦巻いていた。
火球をかわしながら上へと進むと、今度は特大の炎が波をうって襲いかかってくる。
「貴様の肉で魔力が漲っているぞ! さぁ、業火も浴びてみるか?」
ごうごうと空を燃やす赤い炎が、黒く変わる。
黒い炎はぐるぐると渦巻いた後、無数のモンスターの形を成して襲ってきた。
「……他愛も無い。魔王も大したことがないな」
上空から、見下ろすダークルビーデーモン。
辺り一帯は漆黒の炎で包まれ、何も見えない。
当然だ、この業火で生き残った人間などいないのだからと、デーモンが笑う。
「……誰が、大したことがないって?」
「……何っ!?」
デーモンの眼下には、無傷の二人がいた。
「……馬鹿な、あの業火で無傷な訳が」
「お前の攻撃なんか、一切効かないんだよ」
信じられないとばかりに、火球を高速で連発する。
至近距離でこれだけ当てたのだ、さっきのは何かの間違いだろうと、もう一度とどめとばかりに業火を放った。
「……だから、同じだってば」
再び、何もなかったかのように現れる二人の少年の姿が近づく。
「ひ、ひぃっ……!!」
「じゃあ、今度は俺たちの番かな」
デーモンの前まで飛んだジルが、ウォーターボールを投げる。
バシャリとぶつかった水球は、あっさりと弾けてデーモンの体を濡らした。
「ふ、ふはは……! その程度の魔法で我を制せると思ったか!」
「お前の頭が浅はかで助かるよ」
「なっ……、何だ、これは……っ! 水が纏わりつき、体が、重く……っ」
弾けた水球の水分が粘性を帯びたものに変化し、次第にそれは重力を纏う。
「グラビティ……、地面まで落とすから後はティムの番だ」
「ぐ、ぐあぁ……っっ!!」
強い重力に逆らえず落下していくデーモン。
派手に地面に落下したのは、さっきのグリフィスの仕返しか。
……それにしても、実の父親の顔に向かって容赦がない。
さすがジル、といったところか。
「じゃあ、しっかり反省するんだな」
「な、何……っ、ぐわぁ……っ!!」
落下したと共に、さらに落とし穴に落とされるデーモン。
恒例の、中はぬるぬる五倍増し。
「ゔぁ、あああっ!? 何だこれは!? 出せ!
出せえぇ!!」
いや、出すわけないよね。
……10分程眺めていると、少し大人しくなってきた。
ーーさぁ、ここからだ。
「一応聞くけど、その体の持ち主……ジグヴァルド王ってさ、生きてるの? ……それとも、お前が殺した?」
「……っ、馬鹿なおっさんだ。俺に名付けをして魔力切れで死にやがった」
「へぇ……、なんて名前?」
「……聞いてどうする。お前も死ぬか? 俺と契約できる魔力の人間なんざ、いないがな」
「……そんな口が叩けるならまだ元気そうだ。俺に土下座したくなるまで行ってこいよ」
「……は? 行くって、どこに……っ、ぐああああ!!」
落とし穴の底が、高速で回転する。
うねうねした内壁がデーモンの頬を高速でビンタすると、足元がパカリと開きまた落ちていった。
***
デーモンが落ちた先は、狭い通路。
「何だ、どこだここは……」
洞窟のような岩肌で、人が一人通るのがやっとの細い道だ。
全体的に傾斜のついたその通路の、上側から何か音が近づいてくる。
「……岩!?」
ゴロゴロと転がってくるのは、巨大な丸い岩。
傾斜のついた道で速度を上げてくるそれは、通路の幅ギリギリの大きさで迫ってくる。
「このような岩くらい、砕いてくれるわ!」
炎の矢を大量に撃ち込み、火球を投げつけ爆発させる。
あまり威力が強すぎるとこちらにも影響があるので、威力はピンポイントで岩だけに集中させた。
「……は、どうだ……」
無傷の岩が、先程よりも速さを増して迫ってくる。
……逃げるしか、ない。
飛ぶ隙もなく、ひたすら全速力で走る。
「くそ、……っ、この体、重たいんだよ!!」
走り続けること、数百メートル。
息も絶えだえでようやく目の前にある扉をくぐる。
「……何だ、こいつらは」
目の前には、一万羽のコッコたち。
『コケ!! コケーーーー!!』
号令のような掛け声とともに、一万羽のコッコが総攻撃を仕掛けてくる。
「くそ! お前ら、雑魚のくせに!! いだ、いだだだ!!」
火球を手当たり次第に投げつけるが、全く無傷のコッコたち。
「……お前らまで、無傷なのかよ……!」
突かれ、蹴られ、ボロボロになったところで、突然コッコたちの動きがピタリと止まる。
クチバシを開き、こちらを向けたかと思えば眩いばかりの光がクチバシに集束していく。
……これは、絶対に死ぬやつ。
「も、申し訳ありませんでしだぁぁぁぁ!!!!」
ーー盛大に土下座をかましたデーモンが、そのまま再び足元から落ちていったのはさすがにジルも笑いを堪えられなかったらしい。
「……それで、反省したのかな? オニキスくんは」
「な、なぜその名前を……!」
「僕ら、鑑定持ちだから。最初から全部バレてたの、気づかなかった?」
土下座のまま泣いているオニキスが、ティムとジルの二人に見下ろされながら話をする。
「……あの、何でもしますから、どうか……」
「へぇ、何でもする、って言ったね?」
「ああ、俺も聞いた。オニキス、まぁ悪い話じゃないとは思うぞ?」
「……王都に、ジグヴァルド王としてこのまま戻って欲しい。即位式に王がいないなんてあり得ないからね。……完璧に、演じきるんだ。出来るね?」
「……は、い……」
「肉ならいくらでも食べさせてやるよ。な、悪い話じゃないだろ?」
ニッ、と笑った二人が、オニキスには自分より余程悪魔に見えた。
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