第32罠 Sランク昇格試験②
スウィンの目の前に現れてすぐ、2メートル離れた先に移動する。
追いかけるように前に一歩足を出したスウィンが、つるりと……滑った。
「う、うわ!? 何だ、この床は!! 滑る、滑るぞ!!」
ーー罠、『滑る床』。
足元の床に設置したそれは、つるつると次の一歩、その次の一歩も滑り続ける。
何とかバランスを取ろうと必死なスウィンは、まるで道化師の様で。
観客席から起こる、くす、くすという笑い声が、次第に大きくなっていく。
「ええい、笑うな! 滑る床ごときで、この俺が、」
次の瞬間、スウィンの頭上に銀色の物体が現れた。
垂直に落下してくるそれを、目視した瞬間に額で思いっきり受け止めると、ゴイーーンと鐘のような音が大きく響いた。
『フォールベイスン』は、罠と言うのかよく分からないがバラエティでよくある上から落ちてくる金だらいだ。
何だか分からないけど、これだけは絶対に当ててやろうと思っていた。だって面白いから。
金だらいに頭をぶつけてバランスを崩したスウィンが、滑る床に負けて派手にすっ転んだ。
足が上に放り出され、頭から床に落ちる、と一部の観客が目を瞑った瞬間、スウィンは消えた。
ーー消えたのではなく、落ちたのだ。
そう、観客が気付いたのは、地面から呻くスウィンの声が聞こえたときだった。
「うおぉ……!! ここは何だ、ぬるぬるしていてうねうねと、出られん、くそ……っ!!」
落とし穴の中で抵抗するスウィンの様子を、出来るなら映像でお届けしたかった。
肩周りの真っ白なファーがべたべたになって、抵抗するスウィンの声も次第に小さくなっていく。
……そろそろ、結界で縛って終了としようか、と思った時。
「ティム、お前だけは許さん……!!」
べとべとの髪とマントのスウィンが、宙に浮いている。
すみませんね、その落とし穴ぬるぬる5倍にしてみたんです。設定できるのこの前知って、ずっとやってみたかった。
髪のベトベトを触って顔を顰めたスウィンが、何か詠唱する。瞬時に、髪もマントも元通りに綺麗になった。
「殺さないでやろうと思っていたのが悪かったな……。こんなふざけたスキルでSランクになろうと思うのが間違いだ! 喜べ、お前はここで俺が責任持って葬ってやる」
激昂したスウィンが、高威力の魔法を息つく間もない程に連発してくる。同時に繰り出す大剣の連撃は、きっと結界がなければ一撃で葬られていることだろう。
「くっ、これも効かないか! ならば、こうだ!!」
ひたすら、ありとあらゆる攻撃を続けるスウィン。
ノーダメージの、俺。
ただ突っ立ってるのも変だし空間移動で逃げてみると、逃げてばかりで卑怯な! とか言われるし。
「……っ、はぁ、はぁ……。……っこれも、効かないのか……」
スウィンが、ガクリと地面に膝を落とす。
落とし穴に落とすには絶好のタイミングだけど、何だか今じゃないだろ、という雰囲気だ。
「スウィン、もう充分だ! 頑張ったよ」
「そうだ、そんなに強いティムによくやった!」
「もう、負けを認めて楽になれよ……」
……ん? 何だか、立場が逆転してないか?
観客からスウィンを慰める声援が聞こえ始め、俺にはトドメを刺してやってくれ、ほらさっきの面白いやつ、なんて言ってくる人までいた。
俯いたスウィンの目から、一雫の……涙。
これは、俺にしか見えていないのだろうが。
「魔力が、尽きたのか。……仕方がない。……お前のせいだからな」
ボソリと、スウィンが呟いた。
ゆらりと立ち上がったスウィンが、俺に剣先を向ける。
「……人に試したことはないが、この際仕方がない」
剣先に、吸い込まれるような感覚。
結界が……吸い取られている。
「驚いているようだな。お前の魔力、吸収させてもらう」
「魔力を、吸収……?」
「そうだ! 俺はモンスターから魔力を吸収するスキル、ドレインで無限に強くなれる」
俺から吸い取った魔力で、スウィンがアイスニードルを放ってくる。
本来それ程威力の強くないアイスニードルだが、柱程もある大きな尖った氷塊が100は降ってきた。
「ふ、ふははは……!! どうだ!!」
あまりの威力に、放ったスウィンの膝が笑っているが大丈夫だろうか。
こちらは、吸い取られた結界を瞬時に補強したので変わらずノーダメージだ。
「これでも無傷とは……。もういい、その結界が作れなくなる程、全て魔力を吸ってやる」
剣先が、額に触れる。
……吸われていく感覚は、エレベーターに乗ったときみたいなちょっとだけふわりとした感じ。痛くも痒くもないが、周りの観客は心配そうにこちらを見ている。
『ティム!! 逃げなさい!! 魔力を全部吸われたらあなた死ぬのよ!?』
コロッセウム中に響く、エレノアの怒声。
試合中は口出ししてはいけないルールのため本当ならやってはいけないことだ。にもかかわらず叫んだということは、本当に魔力を全て吸われたら死んでしまうのだろう。
……逃げればいい、ただそれだけのことだ。
けれど、俺にだけ見えているスウィンの涙が、逃げるなんて選択は許さなかった。
吸わせるだけ吸わせたら、満足するのだろうか。
……子どもみたいなスウィンの泣き顔が、笑顔に変わってくれるのだろうか。
考えている間にも、どんどん魔力が吸われていく。
結界は、薄くなって補強してを繰り返していた。
魔力が枯渇したら、どうなるんだろう。
気分が悪くなったり、急に意識がなくなったりするのか。
今のところ、自分の体にその兆候はない。
「……そろそろ満足ですか? 僕は何ともないですけど」
「っ、これだけ吸われて平気なのか……? アースドラゴンの時よりも多くの魔力をもう吸ったはずだが」
「……もしかして、こうやってモンスターを殺してきたんですか?」
「……そうだが、スキルを使って何が悪い? お前も卑怯なスキルを使ってきたのは一緒だろう」
……魔力を吸い取って殺すなんて。
ユルムの森で、魔力が枯渇して周りのモンスターに僅かな魔力を分け与えてなんとか暮らしていたアースドラゴンだぞ?
魔力がただでさえ少なくて困っているときに、魔力を吸われれば死ぬに決まっている。それも、ひどくお腹を空かせて死んだに違いない。
「スウィン、……やっぱり、お前だけは許せない……!!」
足元に、勢いに任せて複数の罠を発動させる。
「おおっと、同じ手にはかからないさ」
ふわりと、宙に浮いて見せるスウィン。
網を投げつけるが、業火で瞬く間に燃やされてしまう。
悔しいので、フォールベイスンを10個続けて落としてみた。3つは当たったが、残りは大剣で払われてしまった。
「ふ、すごいな……、お前の魔力は。これまで吸収したどの魔力よりも純度が高く濃い魔力だ。お陰で、……お前を殺すことが出来そうだ」
背丈の倍程も高く燃え上がった魔法剣が、高速で襲いかかる。避けきれずにまともに剣が当たった肩の結界に、ヒビが入る。
「はは!! ついに結界が壊れ始めたか。あれだけの魔力を吸われて、普通なら立っていることさえ出来ないはずだ。……早く負けを認めたほうが、いいんじゃないか?」
勝利を確信し高らかに笑うスウィンが、さらに剣先から魔力を吸っていく。
……さすがに、ちょっと体が、だるいかもしれない。
「あぁ、きつくなってきたな? 早く、負けを認めるがいい!! ……死ぬことになるぞ?」
燃え盛る大剣がさらに、ごう、と火力を強めた。
魔力の吸い方が、速くなっているようだ。
どんどん加速するように魔力を吸い続けるスウィンと、比例する様に燃え上がる大剣の炎。
会場の温度が、ぐっと上がる。エールは美味しいだろうが、明らかに危険な域に達していた。
「さぁ、負けたと早く言うがいい!! ……ゔぐ、っ……」
ーースウィンの表情が、苦痛に歪む。
炎が一気に燃え上がり、それは瞬く間にスウィンの体を包んだ。
「ぐあぁ……っっ!! う、ぐぅぅぅ!!」
宙に浮いたままのスウィンが、炎の中でもがきながら上に浮かんでいく。
スウィンを中心に、炎が球状に渦巻き出した。
丸い球状の炎は中心から噴き出すように火力を強めていき、形作る丸い境界線がはち切れそうになっている。
….…爆弾のようだ。ふと、そんな感覚が頭をよぎった。
「皆さん!! 急いでここから離れてください!!」
見ている観客に向けて、できる限りの大声で叫んだ。
全員には伝わらなくても、せめてエレノアに。
会場全体に、一刻も早く伝えてほしい。
エレノアの方を見ると、分かった、とばかりに頷いてくれた。
コロッセウム全体に、エレノアのアナウンスで避難指示が伝えられる。
悲鳴とともに逃げ惑う観客を、ティムティムミートの移動販売員が誘導して出口に案内していた。ジェミィの教育が行き届いているのだろう。
皆、こんな状況なのに頑張ってくれている。
さぁ、次は自分が頑張る番だ。
ーースウィンを包む炎ごと、結界で覆う。爆発の衝撃に耐えられるように、何重にも結界を急いでかける。
観客席にも、全体に結界をかけていく。広いコロッセウムの全てにかけると、外にも衝撃が漏れないようにコロッセウムの上空まで結界を伸ばした。
「グオオ……ッ……! ガ……ッ、ゥゥ……」
もうスウィンとも区別がつかないような声が、炎の中から聞こえてくる。
……まだ、あんな炎の中でも生きているのだ。
『ティム!! あなたも早く逃げなさい!! 魔力暴走は全てを放出するまで止まらないわ!!』
エレノアの方を見ると、王様たちの避難は完了したようだった。観客席も、スムーズな誘導で半分くらいは外に出ることができている。
結界を張ったとしても、スウィンの炎が勝つかもしれない。それはスウィンが、というよりはむしろ自分の魔力が原因で。
これまで、どうしてこんなことができるのか分からないなんてことはたくさんあった。それが自分の潤沢な魔力の質と量のせいであるならば、今爆発しようとしているのは正にその未知なる魔力なのだ。
何が起きるかは、分からない。アイスニードルでさえあの威力だったのだから、吸収した魔力全てを放出するのだとしたら辺り一帯全て消し飛ぶかもしれない。
「エレノアさん、逃げてください。僕は大丈夫なので」
『馬鹿言うんじゃないの! 大丈夫なわけないでしょう』
「……魔力暴走した後って、どうなりますか」
『スウィンのことは、諦めなさい。もう助けられる状態じゃないわ』
「でも、まだ生きてるんです」
『……生きていても、もう人ではないかもしれないわよ』
「……例えスウィンが魔物になったとしても、人もモンスターも同じ命には変わりないですよ」
『……っ、勝手にしなさい。その代わり、私もここに残るわ。あなたもスウィンも、私にとっては同じ可愛い教え子なの』
スウィンを包む炎が、赤から白、青へと変わっていく。内部の温度が上昇し続ければ、それだけ爆発時の衝撃も大きくなるはずだ。
ーー炎の渦が、激しく暴れる。瞬間、閃光が辺りを包んだ。
ドオン、と辺り一帯に地面ごと揺れるような衝撃が響く。
爆発、したのか。
あまりの閃光と爆風に目が開けられない。黒煙も辺りを包んでいる。
ようやく周りが見えてくると、幾重にも結界で包んだ炎は消え、ぶすぶすと黒煙を上げていた。
真っ黒な球状の結界が、ゆっくりと下に降りてくる。
……この中に、まだスウィンが。
黒煙を上げる塊に駆け寄り、中を確認する。
ーー中には、真っ黒に焼け焦げたマントと鎧。
スウィンは……、まだ、息がある。
「……う、げほ、……っ、ゔぐ……っ」
「スウィン! 良かった、生きてる」
結界をかけるときに、スウィンにも結界をかけたのだが上手くいったようだ。さすがにあの炎では、丸焦げにはなってしまったが。
傷薬を全身にかけ、口からも飲ませる。回復効果のある結界で覆って、とりあえずの応急処置とした。
「……何故、助けた」
スウィンが、焼け焦げた顔でようやく言ったのはその一言だった。
「何故って……、死んで欲しくなかった。ただ、それだけだ」
「……ふ、お前みたいなやつは初めてだ」
じっと俺の目を見つめて、ふふ、と笑ったスウィンはそのまま意識を手放した。
***
ーースウィンの魔力暴走によるコロッセウムの被害は、結界の効果で最小限に抑えられた。
闘技場の床はボロボロだが、それはスウィンが魔法を連発していたときに既に壊していたものだ。
観客席もほとんど壊れておらず、あれだけの衝撃を非難した外でも感じていた観客たちは、再び観客席に戻れることが信じられない様子だった。
スウィンが別室に運ばれてから、約1時間後。
エレノアのアナウンスで、俺は再び場内に進み出た。
中央には、ジグヴァルド王の姿。
『見事スウィンに勝利したティムに、Sランク冒険者のバッジが与えられます』
恭しく王様の前に跪き、王の紋章が入った重厚な造りのバッジを受け取る。
「ティム、良くやった。これで其方は今日からSランク冒険者だ。今日の試合、見事であった。想定外の事象にも臨機応変に対応できる能力、しかと見せてもらった。魔力の多さにも驚いたぞ。これからも研鑽を重ね、我がローレリア王国のため励むように」
「お言葉、ありがとうございます。Sランク冒険者のバッジに恥じぬ行いが出来るよう、今後も努力して参ります」
「うむ、大義であった」
……概ね、練習通りに出来たんじゃないだろうか。
一昨日の説明会で似たようなこともしていたし、ちょっと慣れてきた気もする。
観客席から、割れんばかりの歓声と拍手が降り注いだ。
「ティム!! すごかったぞ!!」
「ティムティムミート万歳!!」
「お前の強さ、本物だぜ!!」
観客席からかけてくれる言葉が、肯定的なものばかりで少しホッとする。
スウィン側の応援に来ていた人たちから、責められると思っていたからだ。
熱狂的なファンの女の子たちは、スウィンが運ばれた先へ駆けつけているのか観客席からはいなくなっていた。
観客席にお辞儀をして、手を振り返す。
ありがとうございました! と言うと、可愛い! 天使! なんて声が飛び交っていた。
……もしかして、グランお勧めのこの半ズボン装備の効果かもしれない。
エレノアのアナウンスで退場し、今日のイベントはこれで終了となる。
……何だか、すごく疲れた。体がだるくて、力が抜けるようだ。
向こうからエレノアが走ってくるのを見て、手を振ったとこまでは、覚えている。
ーー気付いたときには、自分もベッドの上だった。
「……っ、うぅん……」
「……っ、ティム、目が覚めたのね! ……ちょっと、誰か呼んできて!」
エレノアが、ベッドの横で涙ぐんでいる。
「….…ここ、は……?」
「王都の治療院よ。授与式の後でばったり倒れたきり、全然目を覚まさないから……」
……あぁ、自分は意識を失っていたのかとようやく理解する。
手に力を入れてみるが、感覚に異常はない。
体も、どこも痛くもなかった。
ただ、ひどくお腹が空いていた。
「ティム!! 何日寝てるのよ、心配するでしょ!?」
騒がしく入ってきたのは、レーラだった。
……ん? 何日、だって?
「レーラ、どうしてここに」
「ティム、レーラは貴方のために王都に泊まり込んで世話をしてくれていたのよ」
「……っ、何よ。エレノアさんも忙しいし、私はたまたま時間があったから……」
「……ありがとう、レーラ。……そんなに何日も、寝てたのかな」
「……そうよ、3日も」
……3日!? そんなに長い間意識がなかったのか。
「とにかく、目が覚めて良かった。魔力を使い過ぎたのね、自然と回復はすると思うけど、しばらくは安静にしてなさい」
「……っ、そうだ! スウィンは!?」
「スウィンも、無事よ。黒焦げだったはずなんだけど、あなた何かしたでしょう? 普通ならあんなに早く治らないわ」
「そうだな、全く余計なことをしてくれた」
声に振り向くと、部屋に入ってきたのはそのスウィンだった。
焼け焦げた真っ黒な顔を見たのが最後だったが、あれは夢だったのかと思うくらいピンピンとしている。甘いマスクも健在だ。
「重症で何も出来ない状態のはずだったんだがな、お前の応急処置のせいでこの通り。元気なら自らの責務を果たせとコロッセウムの片付けや怪我人がいないかの調査とフォローに、人ではない扱いで仕事を振られている有り様だ」
……それ、自業自得では……?
「……まぁ、……お前には、助けられた。……礼を言う」
俺の方ではなく壁を向いてそう言うスウィンは、耳まで赤くなっていた。
……もしかして、照れて、いる……?
「礼ついでに、提案だが……。体が万全になってからでいい。また、吸わせてくれないか?」
……はぁ!? 突然何を言い出したんだコイツは。
あれだけのことをしておいて、よく言えるな。
「……絶対に、イヤだ」
「何故だ、俺のスキルとお前の魔力が組めば最強だろう? じ、じゃあ、もう一度だけでもいい。対価がいるなら払う。……ダメか?」
吸わせてくれと懇願されるのは、どうにも字面がおかしいし了承できる理由がどこにもない。
冷たく拒否すると、スウィンは今にも泣きそうな顔で肩を落としてそうか、とだけ呟いた。
「……何か可哀想だし、吸わせてあげたら?」
レーラが不憫な目でスウィンを見てそう言うが、俺は頷く気にはなれなかった。
エレノアがスウィンをそっと部屋から出して扉を閉めてくれる。
ぐうぅ、と俺の腹が盛大に鳴り響いた。さすがに空腹が限界だ。
3日振りに食べた食事は、柔らかく煮たポト麦のお粥だった。物足りないけれど、急に食べると胃がびっくりするから仕方がない。
食後に何か分からない薬を飲まされて、ベッドにまた寝かされる。魔力回復には安静が大事らしい。
レーラが、頭を撫でてくれる。何だかんだ、優しいんだよな。うと、と眠気が襲うのに任せて、俺は目を閉じた。
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