第19罠 赤と緋色とフェルビラ草原
異世界生活19日目。
朝の日課を済ませてから、ウェアウルフたちの家へ行く。
建てた家の設備は説明すれば理解できた様子で、皆驚きながらも新しい環境にすぐに馴染むことができたようだった。
洞窟の中よりもずっと明るく快適で、何より魔力が枯渇することでの耐え難い空腹感がなくなった、結界の中はとても安心できると改めて感謝された。
数えてみると、昨日捕獲したウェアウルフは98匹。若くて比較的元気の良い雄が39匹、雌が24匹、子どもが25匹、年老いたり具合が悪く動けないのが10匹という内訳だ。
体の弱い女子供や高齢のウェアウルフは、自分が来る前にだいぶ死んでしまったらしい。
動けない程具合が悪いというウェアウルフのところへクルルと一緒に案内してもらう。
案内をしてくれるのは、昨日広間の奥で話をしてくれた老齢のウェアウルフだ。昨日は一歩足を出すのも辛そうだったが、一晩経った今朝は杖を使いながらも悠々と歩いて見せた。
『ここに、病気の者を寝かせております。皆、食べられず衰弱していったり、軽い怪我でも治す体力がなかったりで……』
ベッドに横たわるウェアウルフたちは、どれもひどく痩せていて毛艶も悪かった。
足や腕を怪我している箇所は皆が身につけているような皮を巻かれ、捲って見ると化膿し周囲に熱を持っている。
ポタル草のペーストがまだ残っていたのを思い出し、患部に塗りつけた。少しは効くといいけれど。
残りは他のウェアウルフに渡して、日に数回塗るように説明した。
『こんなにしてもらって、本当に何と感謝したらいいのか……。ティム様の結界の中に満ちた魔力がとても濃いので、若い者たちは力が満ち溢れていると話しております。動けない者たちも、この魔力の中なら数日中には回復するでしょう。ご心配なさらないでください』
老齢のウェアウルフが再度、頭を深く下げる。それに合わせて大人も子供も、ウェアウルフたち全員が自分に向かって頭を低くした。
規律に厳しく上下関係を重んじるウェアウルフたちの習性なのだろう。
まだ命があるうちに、こうして助けられて良かったと思う。
食べるものについては、コッコを一部ウェアウルフのエリア内で飼育することで話がまとまった。
200羽を入れ、コッコファームと同様に結界を整える。あとは、必要な分だけ捌いて食べるそうだ。
結界の外には出られないので窮屈かもしれないが、周りは人間が暮らす村で迷惑はかけないようにしたいと話すと理解してくれた。
オーロックスは、フェルビラ草原の方に逃げたとウェアウルフが話していた。
フェルビラ草原は、セジャス川の下流に広がる湿地帯のさらに向こうだと聞く。
初めて異世界に降り立ったココイ村の草原や、スロウシープが点々といるタバラ町の草原のような穏やかな草原とは違い、様々な大型モンスターが群れでいるらしい。サバンナみたいなイメージだろうか。
以前エレノアに教えてもらった場所の中にはなかったため、行くとすればセジャス川から湿地帯を抜けて行くルートになるだろう。
ウェアウルフから聞いた話では、湿地帯に多く生えているツタ性の植物に毒があるそうだ。
それを食べて暮らすポイズントードやポイズンリザードから毒を受けたことで、徐々に体力を削られて湿地帯を越せないモンスターが多くいたのだとか。
結界で毒も防げるのかもしれないが、念のため毒消しは持っていたほうがいいだろう。
そういえばポタル草のペーストを一角ラットに塗ってあげたときに、セレンから薬屋の話を聞いていたんだった。
ポタル草はまだたくさんあるし、結界で一気に増やすこともできるので無限に作ることができる。
異世界の薬のことはまだ全然知らないので、この機会に行ってみることにした。
――ココイ村の薬屋は、村のメイン通りから少し外れて路地を一本奥に入ったところにひっそりとあった。
扉の上に掲げられた深緑の看板に、整った文字で『トープ・メディスン』と書いてある。店主はきっと几帳面な人だろう。
キィ、と扉を引いた音で中に居た店主がこちらを見る。
店の奥にあるカウンターのその奥で何か作業をしている様子の男性は、看板の文字と同じ落ち着いた印象だ。
年の頃は50から60くらいだろうか。白髪混じりのグレーの短髪に眼鏡、中肉中背の体格に膝下まである長い白衣のような服を着ている。
「何か、お求めかね」
「毒消しは置いていますか?」
「毒消しか、どういった毒に使うかにもよるが。毒の種類が分からない場合は何にでも効くタイプもあるが少し値が張るな」
カウンターに、数種類の毒消しを並べられる。形状も、飲み薬として使う丸薬から患部に使う塗り薬と様々だ。
「毒の種類は分かるか?」
「セジャス川とフェルビラ草原の間にある湿地帯はご存知でしょうか。そこにいるポイズントードとポイズンリザードの対策に持っておきたいのですが」
「まだ小さいのに、えらく遠い場所まで行くものだな。……あぁ、もしや君が最近話題のティムか」
俺の名前を出した店主に頷くと、店主は途端に顔を綻ばせた。
「ティムティムミートには我が家も大変お世話になっているよ。あんなに美味しい肉がいつも食べられるようになるなんて、全くすごい能力だ。あぁ、申し遅れたが店主のトープだ。よろしく頼む」
「いえ、そんな。いつもココイ村の皆さんには僕の方こそお世話になっています。お肉の種類を増やすために、フェルビラ草原に行こうと思っていまして」
「何、そういうことなら協力しないとな。あの湿地帯はネビナ湿地といって、複数の種類の毒草が生えている厄介な場所だ。ポイズントードが食べる毒草と、ポイズンリザードが食べる毒草は種類が違ってな。片方を治療してももう片方が治らず命を落とすよう、モンスター同士が協力しているとも聞く。多少値は張るが、万能タイプを持っていれば安心だと思うが」
並べられた毒消しの中で、一際高級感のある瓶に入れられた毒消しは1回分が金貨1枚だ。丸薬と塗り薬がセットになっていて、どちらも使うことで確実に毒を消すことができるのだとか。
念のため、10回分を購入し金貨10枚を払う。
「他には、何かいるものはあるか? 生憎、最近は材料が手に入りにくくてな。品揃えは昔よりも少ないんだが」
「あの、実はポタル草を持っているんですが」
「ポタル草だと!? 入手が難しくなっている薬草の一つだ、見せてもらえないか」
鞄からポタル草をひと束出して見せる。
アイテムボックスの効果で採れたての新鮮なポタル草は、葉が青々と瑞々しい。
トープはポタル草を手に取ってよく見た後、葉を1枚ちぎって口に入れた。
「……あぁ、これはいいポタル草だ。これなら特上の傷薬ができそうだよ」
「良かった、たくさんあるのでいつでも言ってください」
「……たくさん、あるのか?」
「えぇ、そういうスキルなんです。モンスターも植物も、育てるのは一緒ですよ」
トープの目が、急に変わる。
カウンターの奥から、乾燥したいくつかの薬草を出してきて並べ始めた。
「そういうことなら、頼みたいことがある。これは、タギリ草。葉に斜めに走る赤い筋が特徴だ。強心作用があり蘇生薬にも使っている。こっちはドリラム草。ハート型の柔らかい葉で薄暗い場所に生える。催眠作用があり眠れない貴族に需要が高い。このウィリア草が一番重要だ。万能薬の調合に長年使われてきたが、ここ数年入手できなくなっている。もし見つけたら、採ってきてくれないだろうか」
鑑定で確認し、どれもレア度はAだった。
乾燥している草は結界に入れても育たないだろうから、生えているものを見つける必要がある。
フェルビラ草原には草原というからには草も多く生えているだろうし、ついでに探してみるのもいいかもしれない。
「分かりました。見つけられるかは分かりませんが、もしあればお持ちしますね」
「あぁ、助かる。他にも薬草があれば買い取るから言ってくれ」
ポタル草は、ひと束で金貨10枚になった。
自分ではすり潰しただけだったけど、トープさんの手にかかるとすごい薬になるんだろうな。
店に置いてある傷薬を見せてもらうと、下級から特級まで様々な種類がある。
何かあったときのために傷薬はあったほうがいいと思い、多めに購入した。
「そういえば、魔力を回復する薬とかってありますか?」
思い出したのは、ウェアウルフのこと。
魔力不足で衰弱しているのなら、補う薬があれば早く良くなるのではないか。
単純に、そう思っただけなんだけど。
――ゆっくりと話し始めるトープは、悲しみと怒りを綯い交ぜにしたような表情を浮かべた。
「そういう薬があれば、というのは全ての薬師が思うことだな。魔力というものは、この世界のエネルギーの根幹となるものだ。生まれた命に等分に分け与えられる訳でもなく、それは人間だけではなくモンスターにも同じこと。強いモンスターもいれば弱いモンスターもいるだろう? 強い種族にはそれだけ多くの魔力が生まれながらにして与えられている。ドラゴンがいい例だ。あんなに多くの魔力を持ったモンスターは他にいない。ドラゴンの素材一つにも膨大な魔力が含まれているから、昔はドラゴンの肝や血などの素材を使った薬もあったがな。今はもうダメだ。ドラゴンもほとんどいなくなった今、魔力を補う薬など作れないさ」
「ドラゴンの、素材……」
「もし手に入ったなら、持ってくるといい。これでも王都や外国にも薬を卸しているんだ。まぁ、ジェミィの婆さんの手腕だがな」
カウンター横に置いてある置物には、王室御用達の紋章が入っていた。淡いブルーの水晶をガラス瓶に閉じ込めた置物に、赤に金の縁取りをした紋章が刻まれている。
すごいですね、と話すとトープはさっきまでの表情を崩し、嬉しそうに笑った。
薬のことは、これからはトープにお願いすることにしよう。
薬屋を出て、冒険者ギルドへ向かう。
昨日のことをグランに報告しておかないといけないからだ。
オーロックスも探しに行きたいし、手短に済ませたいなと思いながら扉を開けた。
「あ! ティムさん! オーロックスは見つかりましたか?」
セレンが期待を込めた目で見つめてくる。
「いや、ウルム森林には居なかったんです。そのことで、グランさんと話したいのですが」
「そうなんですか……、残念ですが仕方ないですね。ギルド長ならすぐ呼んできますので少しお待ちください」
セレンが奥に消えてすぐ、グランが奥から出てくる。
いつもの応接間に通され、昨日の一部始終を話した。
「……ウェアウルフの群れに襲われて、生きて帰ってきたって言うのか。しかも、全て捕獲して帰ってきたと」
グランによると、Aランクのウェアウルフを100匹近く単独で討伐できる冒険者は聞いたことがないということだった。
魔力不足で弱っていたことも話したが、それよりもグランが注目したのはウルム森林の状況だ。
もともとウルム森林は大型のモンスターが多く生息していたため、魔力が枯渇するような場所ではなかったからだ。
「アースドラゴンが討伐されたのが原因って言ったな。……全部、スウィンのせいか」
「……やっぱり、グランさんもそう思いますか」
王都の冒険者ギルドでギルド長を務めるスウィンは、以前初めて会ったときにアースドラゴンを最年少で討伐したと自慢していた。
他のモンスターに魔力を分け与えて弱りきっていたアースドラゴンを倒して、何がすごいと言えるのか。
「……悪いがティム、このことは王都にも報告させてもらう。そして、お前を Sランクに推薦する」
グランが、俺の手をがしりと握って言った。
「スウィンを、ぶっ倒して来い。戦い方なら俺が稽古をつけてやる」
「……グランさん、ありがとうございます」
スウィンに対する怒りを、グランも同じように感じてくれたことがとても嬉しかった。
スウィンには最高にカッコ悪い落ち方で、落とし穴に落ちてもらおう。
ウェアウルフを保護していることについては、結界の中から出なければ何も問題はないと言ってもらえた。
まぁ、他のモンスターもすごい数になっているしウェアウルフ100匹くらい大したことないのかもしれない。
グランにはまた後日稽古をつけてもらうことを約束し、今日はネビナ湿地からフェルビラ草原を探してみることを話した。
やはり毒に注意するよう言われたので、毒消しを買ったと話す。
あとはポイズントードやポイズンリザードは毒が強くて食べられないので、セレンの興味は引かなかったようだ。
レーラを誘い、空間移動でセジャス川へ降り立つ。
昨日のことがあるのできつかったら亜空間で休んでていいと話すと、自分だけ休んでいるのは悪いから時々一緒に休憩しようと言われた。
セジャス川の下流から広がる湿地帯は、毒草が多いのが見た目で分かるくらい全体的に紫色をしている。
毒の沼、という言い方が合っている感じがするな。
目につく草に鑑定をかけると、もれなく毒草ばかりで触るのも躊躇うくらいだ。
結界を纏っていれば毒もかからないのか分からなかったので、毒消しの効果も知れると思い紫色の沼地に足を踏み入れてみる。
水を弾くようにイメージすると、体の上に一枚膜が張ったように沼地の毒を弾いているように見える。
念のためステータスを確認するが、毒にかかった表示はなく体調も問題なかった。
さすがに毒草を食べれば毒を受けるだろうが、結界があれば一応は大丈夫そうだ。
毒草に触っても問題なかったので、一通り収穫してアイテムボックスに片っ端から放り込んだ。
沼地をじゃぶじゃぶと歩いていると、草の間からポイズントードが顔を出した。
紫色の体に緑の目、黒い舌を出してこちらを嘲るようにケケ、と鳴く。
紫色の毒の塊のような液体を球状にして、こちらに向けて口から吐き出した。
「グェゲッ!! ゲロロ!」
5連続の毒玉を吐き出してくるポイズントードが、気づけば周りに何匹もいる。まずい、囲まれた。
他方向から同時に繰り出される毒玉を、結界の盾で防ぎながらその場から逃げる。
捕獲しても困りそうだしなぁ。モリウスは欲しいって言うだろうか。
足場の悪い中レーラと走って逃げていると、横からすごい速さで追いついてきたのはポイズンリザードだ。
這いずるように4本の足を交互に進ませ、長い尻尾を操って大きく飛び上がる。
ガパァ、と大きく口を開けたポイズンリザードの紫の舌がとても気持ち悪い。
舌を伸ばして舐めてくるのと同時に毒の息を吐いてくるので、吸い込んではいけないと思わず息を止める。
辺りに漂う毒が落ち着くまで、レーラと亜空間に逃げ込んだ。
「予想はしていたけど、毒攻撃がすごいなぁ……」
「ティム、毒は吸ってない? 私は大丈夫だけど……」
「うん、大丈夫みたい。少し休憩したら、出る時はさっきの場所より向こうに出ようか」
見える範囲なら空間移動はできるので、ひたすら歩くよりも効率を考えて移動することにした。
やってみるとかなり楽だったので、次からもこうしようと思う。1キロ先の場所に瞬時に移動できるだけでも、体の疲れはだいぶ違う。
これ、慣れたら瞬間移動とかもできるんじゃないだろうか。スウィン戦までに練習してみようかな。
残像だ、ってやってみたかったんだよなぁ。
時短作戦でスイスイ進むと、湿地帯を抜けて草原が広がる景色となった。
「ここが、フェルビラ草原……」
延々と続く草原には、大きな木が所々にある以外は背丈程の比較的大きな草が茂っている。
遠くに大型のモンスターがゆっくりと歩いているのが見えた。ゾウのような大きさと見た目をしたモンスターは、鑑定するとグリーンエレファントということだった。
オーロックスの群れがいれば、遠くからでも見えるだろう。
こちらは草丈に隠れて向こうからは見えにくい。
少しずつ空間移動で周囲を確認しながら進めば急に襲われる心配はなさそうだ。
フェルビラ草原はあまりに広大で、まるで自分たちが小さくなってしまったかのような錯覚を覚えた。
背丈程の草は葉っぱ一枚も大きく、一番大きい葉っぱだと体も包めそうだった。
「すごいわね、こんなに草が伸びているなんて。植物を食べるモンスターは喜びそう」
レーラが、草を見ながらこれは食べられる、こっちは薬草になると探し始めた。
トープに頼まれていた薬草も探しながら、周囲を見渡す。
確かに、草が異常に茂っている。
食べられたような跡もなく、枯れているところは密集し過ぎたことで蒸れて腐っているようだった。
「草食のオーロックスがもしこの辺にいるなら、こんなに草は残っていないはずだ。違う場所を探そう」
「そうね、群れが歩いたら通った跡もあるはずだもの。早く先に進みましょう」
空間移動を繰り返しながら草原を進む。
5キロ程進んだところで、草地一帯が荒らされている場所を見つけた。
「ここは……、何かがさっきまでいたんじゃないか」
見ると、荒らされて倒れた草の中にまだ新しい血痕がある。
「レーラ、お願いできるかな」
「うん、分かった」
匂い玉を発動してもらい、中央にいるレーラの周囲に落とし穴と網を設置する。
まだ遠くまで行っていなければ、こちらの匂いにも反応するはずだ。
――上手くかかってくれるだろうか、そう思ったときだった。
草をかき分けるように移動する音がする。音の方を見ると、荒らされた草の隙間に現れた獰猛な眼。
「グルルッ……!!」
一歩こちらに進み出ると、それの姿が明らかになる。
真っ赤な体躯に、豹柄の黒い斑点。緋色に燃えるタテガミを頭から尻までふさふさと生やしたその姿は、肉食獣そのものだ。
口の周りから体の下半分は体色が白っぽいのだが、今はその口の周りも両前足もべっとりと血塗られている。大方、食事の途中か今から捕食した獲物を食べるとこだったのだろう。
レーラの匂いに邪魔をされて、ついでにコイツも食ってやろうという感じだろうか。
『鑑定:スカーレットパンサー 体長2~3メートルの大型モンスター。動きが俊敏で攻撃力が高く、鋭い爪と牙で確実に獲物を仕留める。草食の大型モンスターを狙って狩りをすることが多い。炎を纏わせた爪撃が強力。レア度:S』
レア度がSだ……! 依頼のランクとレア度は同じらしいので、見た目通りかなり強いモンスターだろう。気を引き締めないと。
「レーラ、こっちに!」
網でレーラを引き寄せて亜空間に避難させる。
いくら結界で守っていても、また攫われてしまえばこの広い草原で見失う可能性もあるからだ。
「ガァアッ!!」
急に獲物を持って行かれたスカーレットパンサーは、こちらを凶悪そうに睨んで威嚇してきた。
――前足の爪に、炎が纏う。
飛びかかりながら繰り出してくる爪撃は、設置していた網が飛び出してくるのも厭わず焼き払った。
網が効かない程、強力な炎。
落とし穴だけが頼みの綱だが、そのスピードと跳躍力で避けられてしまうかもしれない。
考えている間もなく、スカーレットパンサーは既に目の前だった。
炎を纏った爪撃が、目に見えない速さで俺の体を数メートルは吹っ飛ばした。
地面に落とされたタイミングで、今度は喉元を思いっきり噛み付かれる。
血塗られた口元から、スカーレットパンサーの荒い息遣いが聞こえた。それくらい、近くに奴の顔があったのだ。
喰われて死ぬ瞬間とは、こんな気持ちなのだろうか。
喉元を噛み付かれ抵抗しない俺を見て、スカーレットパンサーは俺の首から口を離した。
逃げないようにと前足で俺を地面に押し付ける。
――かかった。
落とし穴が発動するまで、僅かな時間でも地面に体重を預けてくれる必要があった。
すぐに跳躍されては逃げられてしまうからだ。
深い落とし穴に落ちたスカーレットパンサーを、捕獲する。
噛み付かれた場所はもちろん、結界のお陰で傷一つついていなかった。
「クルル、スカーレットパンサーにどこに獲物を置いてきたか聞いてもらえないか」
『キノウのシフォンケーキのヤクソクもまだなんだぞ』
「ごめんごめん。これが終わったらまたファミィのところに行くから」
クルルに通訳してもらい、さっきとは打って変わってシュンとしたスカーレットパンサーに首輪とリードをつけて案内してもらった。
背中に乗りますかと言われたが、さすがにそれは遠慮させてもらう。
草原をしばらく進むと、ムッとした血の匂いが辺りに漂っていた。
血溜まりの中に倒れているのは、黒色の体で頭に角を2本生やした大型のモンスターが、2体。
牛っぽいな。もしかして……!
『鑑定:オーロックス 体長3~5メートルの大型モンスター。草食で基本的には穏やかな性格だが、怒ったときの攻撃力は高く頭にある角を突き出す突進攻撃は強力。肉は非常に美味のため狙われやすい。レア度:B』
オーロックスだ!!
しかし、目の前のオーロックスは出血量も多く今にも息絶えそうな状態だった。
浅い呼吸を繰り返しており、目の焦点も合っていない。
すぐに捕獲し、亜空間に収容する。結界の中に魔力を満たし、先程トープから買ったばかりの傷薬を出血が続く喉元の傷に塗りつけた。
買った薬の中には、小瓶に入った液体状の回復薬もある。飲める状態ではないかもしれないが、レーラにも渡して手伝ってもらい、オーロックスの口の中に少しずつ注いだ。
「頑張れ……! 生きるんだ」
2頭のオーロックスに、必死に声をかける。
冷たくなりかけていた体を、手でさすっていると次第に温かさを取り戻してきた。
――焦点の合っていなかった眼に、精気が灯る。
「……良かった、薬が効いてきたみたいだ」
動こうとするオーロックスを制し、クルルに安静にするよう伝えてもらった。
突然現れたカーバンクルに一番驚いていたのはレーラだったけれど、これは後で説明しておくことにする。
スカーレットパンサーに、他にはいなかったか確認するともう残っていたのはこの2頭だけだったと話していた。
何でも、少し前に群れで現れたオーロックスは毒で弱っており大半はフェルビラ草原で死んでいったらしい。
毒で弱っていることに気づかず襲った他の肉食モンスターも、いくらかはオーロックスとともに毒で死んでいった。
最後に逃げ延びていたオーロックス2頭を今日偶然見つけ、捕食しようとしたところを自分たちに出会ったということだった。
「あと1日遅かったら、もうオーロックスには出会えていなかったかもしれないということか……」
「間に合ったんだから、いいじゃない。クルルっていうの? 可愛いわね」
レーラはもふもふのクルルを抱きしめて撫で倒している。
クルル、めちゃくちゃ嫌がってるな……。
「クルル、後でお菓子あげるからな」
「コイツにやめさせるようにいうのがサキだぞ!」
「レーラ、そろそろ離してやってくれないか。人間があまり好きじゃないんだ」
「そうなんだ、ごめんね。あんまり可愛くて。お菓子が好きならミティに今度たくさん作ってもらうわ」
お菓子と聞いて少し機嫌を直したクルルに、ミティの作ったジャムを渡す。
「これ、すごくアマいな! レーラがこれをくれるならゆるしてやるぞ」
「いいわよ、約束ね」
あんなに人前に出るのを嫌がっていたけれど、これなら大丈夫そうかな、なんて思う。
レーラのことは前から少し興味を持っていたし、同じパーティにいる以上いつかは言わないととは思っていたんだ。
目的は達成したので、自宅に戻りオーロックスのエリアを新たに建てた。
草食のオーロックスには、セジャス川とユルム森林にあった草木を中心にたくさん生やしておく。
出血も止まり、歩けるようになったのを確認してエリアを離れることにした。
数が増えてくれればいいけれど、大怪我もしていたことだし少し時間はかかるだろう。
まずは、元気になってくれますように。
血生臭い体を洗うため、夜はゆっくりと露天風呂に浸かった。
――レーラとクルルが思いのほか仲良くなっていたのは、見ないふりをしておく。
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感想や誤字報告もありましたら大変ありがたいです。