第7話 「訃報、赤の国王との謁見」
「どうだった、シロ」
「相変わらずだ…だが大丈夫だガドル。明日には王も首を縦に振るさ」
シロのその言葉を聞いて、俺は安心して自室に戻った。王宮の高い場所にこさえてもらった、俺専用の個室だ。誰もいないことを確かめ、大きな鍵を2つかける。巨大な木箱に「ガドル・デクラトール様へ」と書いてあり、それがいくつもカーペットの上に置いてある。
俺たち白夜騎士はオルセンを追い出してから、ドラゴン族討伐をきっかけとし、魔界深部への進軍をしたいと王に提言し続けていた。魔界を攻略すれば、白の王国の領土はより広くなる。魔物が襲ってくることも減るだろう。なぜ王はそれをしないのか。
俺は木箱の蓋をひっぺがし、ぎっしり入っていたポーションを1つ掴み、飲んだ。やはり無傷では気持ち良くない。もっと傷を負わなければ…
「へへ…うっ…」
俺は3度、自分の体にナイフを突き立てた。血が出るがどうってことない。俺はもう一本ポーションを飲んだ。傷口の肉がうねうねとうねり、やがて傷は回復する。
「フヒューッ」
今のはちょっと気持ちよかった。だが駄目だ。戦いの高揚と敵から受けた傷。それこそがもっともポーションを楽しむ最高のシチュエーションだ。
せっかく邪魔な回復術師のオルセンを追い出したのに、なぜ進軍できない? なぜ戦えない? 敵は魔界の奥にまだまだいるのに。
「ん…」
隣の部屋から、ファルナの艶っぽい声が聞こえた。シロとよろしくやってるんだろう…おっと、いかがわしいことじゃない。もっと羨ましいことだ。
あいつらは愛情表現とか言って、相手の全身に噛み付いたり傷つけたりして、そんでポーションを飲む。それでなかなか発散できているらしい。
「ガドルのやつも混ぜてやったらどうだ?」
「嫌よ、臭いもの…私にはシロ、あなただけ…」
俺の部屋まで聞こえているとも知らないで…ケッ、こっちから願い下げだ。俺は何本もナイフを取り出した。荒くなる呼吸を抑え、刺す。激痛が走るが、まだだ。痛ければ痛いほど、そのままポーションの快楽が素晴らしいものになる。もっとだ。もっともっともっと…何本か刺してから、俺は吐血しながら喉にポーションを流し込んだ。
「い…今のは危なかったなァ…」
もっとだ。もっと気持ち良くなりたい。こんなんじゃあダメだ。もっともっと苦しくならなくちゃあ…
あれ…俺、何してんだ。苦しい。足が、体が宙に浮いてる。くびがしまる…ポーション、のめない…はいっていかない…くるし…
たす…けて…
オ…ル……セ…ン……
* * *
『白夜騎士ガドル 死亡か』
俺は赤の王国、ギルドハウスでこの新聞記事の見出しを見つめていた。
「オルセン、どうした?」
「いや…」
エローナが不思議そうに俺を見ている。俺はあまり頭に入ってこない記事を何度も読み返し、理解しようとした。
『白の王国、白夜騎士ガドル氏が死亡していることがわかった。彼の遺体や墓は公開されず、死因も明かされていない。白夜騎士であるシロ氏は、これを魔物の軍勢による謀略による暗殺と主張し、魔物との弔い合戦を望む声が白の王国内で高まりつつある』
俺は深くため息をついた。暗殺は恐らくシロの嘘だ。ガドルは極力1人にならないように行動する慎重な男だったし、奴の部屋は自分が着ている鎧のように頑丈なのだ。何より、白夜騎士を暗殺できるのなら、一番厄介なシロから殺すだろう。そして、大々的に国葬されないこともおかしい。白夜騎士の墓なんて城の内部に建てられてもおかしくない。
死因も遺体も公開できない。それは何故か。白夜騎士の名声を落としかねない無様な死に方をしたか…それか自殺か薬物中毒。ポーションの快楽に浸りたくて自傷し、加減を間違えて死んだ…ガドルならばやりそうなことだった。
「…この国へのポーションの流入、なんとしてでも阻止するぞ」
エローナは頷いた。腐敗は、白の王国だけで食い止めなければならない。他の国に広げてはならない。
夜。俺たちはギルドハウスの宿場に泊まった。エローナが俺をまるでおぼっちゃんのように世話焼きしようとするので、俺は「普通の人は自分のことは自分でできるんだよ?」と懇切丁寧に教えた。そうしなければ、俺のローブやパンツを洗いながら、俺の背中を流しに風呂場まで侵入してきただろう。エローナは容姿端麗で礼儀作法も完璧だが、一般常識となると疎い。俺はエローナに子守唄を歌うのをやめさせて、別々のベッドで就寝した。
翌朝。青い色紙を貼り付けたような晴天の中、俺はエローナ、そしてルナと共に王宮へと出発した。
「…なんでルナも謁見のメンバーに推薦されてんだろうな」
「ライル様はお父上に、自分の見染めた女性を見てもらいたいんだろう」
「ぶいっ」
ルナはVサインを見せつけた。こいつ、案外そのまま将来ライルと結婚して、王女になっちまうんじゃないか。
赤の王国は王宮が中心にあり、その周りをピザみたいに街や領土が囲んでいる。そのため、どこにいても王宮に行くための時間は変わらない。俺たちは王宮に近づくにつれて賑わう通りを歩いた。
「なんかお土産とか献上品とか必要かな…?」
「市場で手に入るものでは王に失礼かもな」
俺はつまんでいた屋台のリンゴをそっと戻した。そりゃそうだ。献上品っていったら名刀とか壺とかだよな。少し考えて、俺は献上品ではなく、説得用の現物を調達することにした。ポーションだ。「これで回復術師要らず!」という商品ポップがカンに触った。まだ効果の程が知れ渡っていないらしく、1本1シルバの価格を保っている。
「あとは気持ちで勝負だ」
王宮が大きく見えるにつれて、緊張が増してきた。大丈夫。エローナもいるし、ルナもトリッキーな切り口から王を喜ばせてくれるかもしれない。俺は勇んで王宮への階段を駆け上がった。
王宮は、白の王国の白城に比べれば質素だった。あちらの城の装飾は宝石だの金の像だのど豪華絢爛だったが、こちらは大理石の床に同じ素材の彫刻品など、調和を大事にしているように感じる。客人として入るのは初めてなのか、エローナもソワソワしてきた。俺のローブの裾を掴んでいる。ルナは大理石の像をペンペン叩いていた。豪胆だ。
俺はライルの書いた半状を見せると、謁見の間に通された。王が現れるまで跪いてるの、結構しんどいんだよな。そう思っていると、ものの30秒くらいで王は現れた。早いな!
「この度はライル様にご機会を頂き、こうして…」
「オルセンくんだね。甘ったれの息子が代わってくれたのは君のおかげだな。礼を言わせてもらおう…君がルナちゃんか! エローナ、そっちの生活はどうだい?」
用意していた口上を遮って、王は死ぬほど気さくに俺たちに話しかけた。思わず顔をあげる。まだ40代くらいなのだろうが、とても若々しい王だ。髭を短く刈り込んで、少し長めの黒髪の上に、あまり威張っていない王冠をオシャレに乗せている。体型も貴族にしては痩せているどころかちょっと筋肉質ですらある。王は黒檀と飾り彫刻の質素な王座に腰掛けた。
「王様、はじめまして」
「初めてのことばかりで戸惑っていますわ、王」
ルナもエローナも普通に王と話してるし。そうか、ここの国の王、元からこんな感じなんだな。
「ライル…様もあちらでの生活、早く慣れるといいですね。早速お話をしてもよろしいでしょうか」
「うん、聞かせてくれ。ライルから触りは聞いているがね」
俺は王が黙って聞いてくれているのをいいことに、一気に捲し立てた。思えば失礼なことだったと思う。ポーションのこと、中毒のこと、追放されたこと…王は相槌を打つように時折うなずき、最後まで聞いてくれた。
「大体分かった。オルセンくん、大変だったな」
一国の王が、父親のように俺をねぎらっている。だが、顔色でわかる。次の一言は、きっと俺にとって良くない返事だと。
「しかし、うちは小国だ…もっとも、白の王国に比べたら他の3国は全部小国だけどね。白の王国の機嫌を損ねたら、上手く立ち回れない。わかるね?」
「それはもう…痛いほど存じております」
「白の王国はポーションを、世界規模で流通させるつもりだ。先日通達があったよ。「ポーションの市場開拓に努力し一定量の継続輸入を約束すれば、国に軍隊を作ることを許可する」ってね」
俺は冷や汗を流した。赤の王国にとっては破格の条件だ。元々回復手段が乏しい中、ポーションを回してくれる上に、今まで傭兵でなんとかしていた兵力を私設できるのだから。
「多分、他の2国…黒の王国と青の王国にも、同じような条件を出していると思うね。うちだけ輸入を止めても、ポーションは世界中に蔓延していく」
王は指を組んでその上に顎を乗せた。俺をまっすぐ、期待するような目で見据えている。
「ポーションの中毒症状を、証明できるかい?」
「! それは…」
俺は口を開けなかった。「半殺しにするのでポーションを飲んでください! もっと欲しくなります!」なんて、一国の王に向かって言えるはずもない。目に見える形で証明するのは不可能そうだった…いや…
「憶測で申し上げます。恐らく、ポーションの中毒作用は「トリコオオシバナ」という絶滅した花の成分によるものです。しかし、どこかでまだ咲いているのだと思われます。「トリコオオシバナ」を見つけ、ポーションの中にそれが入っていると証明できれば…」
「…なるほど」
王はニッと笑った。どうやら答えが気に入ったようだ。
「では、君がやることは一つだよ、オルセンくん。「トリコオオシバナ」とやらを見つけておいで。そうすれば、私は黒と青の国王と掛け合って、3国揃ってポーションの輸入を禁止するよう取り計らう。それに、そうなったら回復術師ももっと増やさないとな」
「あ、ありがとうございます…!」
王は玉座を降り、あろうことか握手まで求めてきた。俺は王の期待に応えるという意志を込めて、王の手を力強く握りしめた。
* * *
「白の王国のハゲ王とは違って、いい王様だったなぁ…」
「名君だ。優しいが、強かさもある。全国民の父親のようなお方だ」
俺たちは謁見の間を出て、城の中を歩いていた。王はルナに根掘り葉掘り聞きたいことがあるらしく、しばらく2人でお茶をしながら話すとのことだった。王はライルのことを「甘ったれ」とは言っていたものの、やはり気になるのだろう。
「しかし、どう「トリコオオシバナ」を探すかだよな」
俺はずっと考えていた。白の王国のポーション製作所に潜入し、原料を調べる…ということも考えたが、恐らく無理だ。国営の製薬プラントの警備は、ちょっとやそっとじゃ突破できそうにないし、俺に至っては入国するのが既に困難だ。
「…花だろう? 気は進まないが、あのお方にお伺いするか」
「お! 花に詳しい奴を知ってるのか!?」
「…5番目の姫様だ」
「姫って…ライルの姉か。ライルをいじめてたっていう…」
エローナは首を捻った。
「いや、リンドレア様はそういうことには加担していないが…別の意味でライル様に女性恐怖症のトラウマを植え付けた気がする…」
どんな人なんだ。別の意味ってめちゃくちゃ気になる。しかし他に手がかりがないので、俺はそのリンドレア様とやらに紹介してもらうことにした。
城を歩き、端の方にある塔を登る。螺旋階段を上がった先の部屋の前でエローナは立ち止まり、ドアをノックした。
「お久しゅうございます、リンドレア様。エローナです。お花のことでお話が…」
「あら。どーぞぉ」
中からふんわりとした、上の方で漂うような声が聞こえた。エローナは俺に「覚悟しろよ」というような顔を向け、ドアを開けた。
そこは、ほぼ外だった。壁や天井のほとんど、一部の床までもがぶち抜いてあり、城下町や地平線を見下ろせる。そして、通路以外の全ての場所に、これでもかというほど様々な種類の花が咲いていた。これだけあったら「トリコオオシバナ」、どっかに咲いてるんじゃないか? 所々に鏡が設置されており、日の当たらない場所も照らしている。「部屋に陰など一切作るものか」という執念が伺えた。
部屋の真ん中に、ほとんど植え込みみたいになっている、花の咲き乱れたテーブルと椅子があった。そこに、真っ白なふわふわの髪、真っ白な肌、真っ白な寝間着をゆったりと着た女性が座っていた。花に囲まれていると、彼女自身の花弁かのようだ。そして、俺は結構他人の年齢を予測するのが得意な方だったが、まるっきり年齢不詳だ。目は薄ぼんやりと開き、テーブルの花を見つめている。
「あら、お客様かしらぁ?」
「回復術師のオルセンという者です」
「お、お初にお目にかかります。オルセン・リオロンと申します」
リンドレアは挨拶こそしたが、視線は相変わらず花に向けられていた。これは…ライルへのいじめに加担しなかったというより、花以外のものに一切興味がないのでは…?
「オルセンさん。お花を見にきたの?」
「いえ…ちょっと「トリコオオシバナ」という花について…」
リンドレアは素早く俺を見た。うっすら開いていた目が見開かれている。瞳の色が真っ赤だ…そして、息を荒くし、頬を上気させ、目がとろんと潤んでいた。こいつ、興奮している…!
「摘んできてくださるの!?」
「え、あ、その」
リンドレアは花を踏まないように芸術的なステップでふわりと俺に接近し、ハエ取り草のようにパコっと俺の手を両手で握った。
「エローナ、ありがとぉ! 私が摘んできてくれる方を探しているの、知ってたのね!」
「…まぁそんなところです。どこに咲いているかご存知で?」
「咲いてるかどうかは、わかんなぁい」
俺はずっこけた。わからんのかい。
「でもね、きっと咲いてるはずって場所は知ってるのよぉ?」
「それでいいです! 摘んできますので、是非教えてください!」
「嬉しい…感激よ…」
リンドレアは寝間着の裾を掴んで、ひらひらさせながらくるくる回っていた。よっぽど欲しかったのだろう。しかし、もし花を摘んできたとして、あげても大丈夫なのか? リンドレアはピタリと止まって、俺の方を見た。
「毒の谷よ」
「え?」
「毒の谷。空気より重ぉい毒のガスが滞留して、毒の川が流れる魔界の谷よぉ。そこに住み、毒の川の水を飲んで暮らす耐毒性の魔物がいるの。そのうち毒で死んじゃうんだけどねぇ。その死骸の栄養を吸って咲くと言われてるのが「トリコオオシバナ」…!」
リンドレアは人差し指を立てながら、朗らかに説明してくれた。朗らかに言う内容じゃない…!
「毒の谷に行ってくださる方なんていなかったから、とっても嬉しいわ。頑張ってね、オルセンさぁん」
「は、はは…」
俺はリンドレアに地図を押し付けられ、髪にスッと白い薔薇を一輪刺され、頬を撫でられた。この地図、目的地がドクロマークで表現されているんですが。俺はエローナの方を見た。彼女も苦笑いしながら、それでも弱々しく頷いてくれた。