第6話 「アンデッド、瀕死のエローナ」
湖の中のライルとエローナは、怪物たちに囲まれていた。奴らは骸骨騎士「スケルトン」と動く死体「ゾンビ」と表現すればいいだろうか。どちらも本で見た空想の生き物だと思っていたが。
とうに死んだはずの者たちが、2人を…いや、恐らく狙いはライルのみだろう。今にも斬り伏せんと武器を振り回していた。
スケルトンに錆びた剣で胸から腹にかけてを刺されたエローナは、湖を真っ赤に染め、代わりに自分は肌を真っ白にしていた。
「くそっ!!」
俺と湖は20mほど離れていたし、何よりこの大勢に対抗する手段がなかった。ライルに筋力強化を施してもいいが、元がひ弱なので大して意味はないだろう。逆転の目があるとすればエローナを回復させ、意識を取り戻してもらってから雷魔法でまた吹き飛ばしてもらうことだろうか。
しかし、湖の中にいるというのがネックだった。もし2人が平地にいたなら、エローナに回復魔法をかけながら、剣と錆を摘出する魔法、そして造血の魔法をかけ続ければいいだけだ。2人が安全な場所に逃げるまで、回復させ続けられる自信があった。
しかし、2人は今、水の中だ。エローナの傷口からは今も大量に出血し、湖に溶け出てしまっている。これでは造血の魔法が追いつかない。
俺は視界の端でルナを見た。彼女もどうすることもできず、ただ杖を持って狼狽しているだけだった。
…何を考えているんだ。こんな時、回復術師が一番クールでなければいけないんだ。補助に徹し、冷静な状況判断をする。それが回復術師としてのパーティでの役割だ。
今にも一斉に斬りかかられそうになっている2人からあえて目線を離し、俺は周囲を見渡した。そして、妙なものを見つけた。
さっき死んだ兵士たちは皆、ゾンビとなってライルへの攻撃に参加しているはずだ。しかし、赤の王国の征服を纏った死体が1つ、俺の背後に転がっていた。あれは…
「…俺が回復した男だ」
そうだ、先ほど死体だった男に回復魔法をかけたのだ。傷はなくなったが死んだまま。しかし、同じ死体なのにこれがゾンビにならないのは…
スケルトンとゾンビの軍団が、今にも一斉に、エローナごとライルに武器を突き立てようとしているところだった。
「うわぁあああああ!」
ライルが死を悟り、悲鳴をあげていた。こうなれば、イチかバチかだ! 俺は離れたゾンビやスケルトンたちに杖を向けた。
「ディエス・ラジアス・ヒーラ!!」
俺は杖先から、真夜中の空が明るくなるほどの眩い閃光を迸らせた。滅多に使わない回復魔法だった。何しろ、光の届く範囲にいる者は、味方だろうと敵だろうと回復してしまうのだ。
スケルトンたちは緑の閃光を浴び、体から黒い煙を漂わせた。肉でつながることなく宙に浮いていた骨は、やがて支えをなくしたようにバラバラと湖の中に落ちていった。ゾンビたちは身体中にあった致命傷が綺麗になくなり、白く安らかな顔で、水底に沈んでいった。
狙い通り、上手くいった…周囲で動いているものは、湖に駆け寄る俺とルナ、水の中でしゃくり上げて泣いているライルくらいだった。
「オルセン! エローナ! エローナが!」
「わかってる!!」
ルナに促され、俺は湖に飛び込んだ。エローナを持ち上げると、ライルが目を真っ赤に腫らし、涙をぼたぼた湖に滴らしながら手伝った。
「オルセン…頼む…頼む…」
「わかってる。俺は死んでない奴なら絶対に治せる」
湖のほとりにエローナを寝かせる前に、俺はもう造血魔法をかけ続けていた。杖を振り、傷口の筋肉を限界まで弛緩させ、魔法でさらに広げ、錆びた剣を抜く。内臓や血管内に侵入した錆くずを探知し、ひとかけらも残らず体から引っ張り出した。そして傷口を塞ぎ、心臓を動かす魔法と体温を上げる魔法を施す。
「すごい…」
「オルゼン…!」
俺はふぅと息を吐いた。ここまで6秒。我ながら上出来だ。しかし、ポーションならこの複雑な工程を飲むだけで終わらせてしまうのだから、そりゃ流行る訳だよな。
ライルはもう、まともに状況を把握できてないだろうというほど泣いている。責任を感じているのだろう。ライルを湖に蹴り入れてしまった俺もそうだった。
エローナはもう元通り、薄ピンク色の肌色を取り戻していた。穴が開いて肌が見えるワンピースを、ルナが縛った。
「オルゼン…ありがどう…ありがどう…」
俺はライルの背中を叩いてやった。
「…あのまま死んでたら、エローナの人生はどんなだった? 焼印を押されて人買いに買われて、そこで暮らしてから、お前に買われて…」
「グスッ…ぼ、僕の世話をして…僕がかっこつけるのを手伝わせて…」
「お前に引っ叩かれて、お前を庇って死んでた」
「う…うう…」
ライルはもう、大声で泣くのをやめていた。俺はこの静かな涙が、純粋な後悔と反省から来るものだと、人生経験的に知っている。
俺もよく、師匠に泣かされたものだ。師匠は厳しく、そして世界一優秀だった。魔法習得に失敗するたびに「お前が回復できない者は、お前が殺したも同然だ」って言われて、しょっちゅう泣いた。
ライルにかけた言葉はお節介な説教だったかもしれないが、これがお節介になるかどうかは、未来のこいつが決めることだ。
俺たちは湖のほとりにテントを運び、エローナを寝かせた。俺はずっと見張り番をしていたが、ライルは熱心に湖とテントを往復し、タオルを絞ってはエローナの額に当てていた。「体温を平常に戻す魔法がある」なんて今のライルに言うのは無粋だろう。俺は黙っておくことにした。
「ねぇオルセン。なんで骸骨や死体は動かなくなったのかな?」
ルナがテントから顔を出し、俺に聞いた。
「…回復されたからかな。回復魔法ってのは陽の気とか、生命エネルギーを使って回復させるんだ。それが苦手な相手だったんだろう」
俺も驚いていた。咄嗟の思いつきだったが、上手くいってよかった。それにしても、俺の回復魔法が、攻撃魔法になる日が来ようとは。ルナは納得したような納得してないような顔をして、テントに戻ろうとした。
「オルセン。テントの真ん中に杖があるから、そこから入って来ないでね」
「…あいよ」
ルナのませたセリフを聞きながら、俺はライルがくたびれて寝落ちし、タオルを絞りに来なくなるまで見守っていた。
* * *
翌朝、ライルのテントからエローナの素っ頓狂な声が聞こえたので、俺は急いで駆けつけた。元気になって結構なことだが、こいつがこんな声を出すとは。テントを覗いてみると、エローナが愕然とした顔でライルを見つめていた。ライルは迷いをなくした、少し男らしい顔つきになっていた。
「オルセン、昨日はありがとう。エローナからもお礼を言ってやってくれないか」
「お前がなんとかしてくれたんだな、ありがとう…いやオルセン! 聞いてくれ! お前からも説得してくれ!」
エローナが俺の肩にしがみついた。
「ライル様が私に…暇を出すと言うのだ!!」
つまり…解雇ということか。ライルはうなずいた。決意は固いと思われる。
「どうしたんだ、ライル」
「俺は甘ったれだった。それはエローナのせいじゃ無いけど、エローナは今後も僕が困った時、きっと助けてくれるんだろう。だから俺は昨日の夜、鳥文で父上と相談したんだ。黒の王国の傭兵訓練所に入って、自分を鍛えたいと思う」
「ほー。あそこは大変だって聞くぜ? きっとお前を特別扱いしたりしない」
「それがいいんだ」
俺とライルの間に、エローナが割り込んだ。
「話を進めないでください!!」
「エローナ。僕はお前の君主にふさわしい男になって帰ってくる。その時もし僕に仕えたいと思ってくれるのなら、必ず迎えに来るよ」
エローナは呆然としていた。ライルの決意が揺るがないものだと悟ったのだろう。
「私を…放り出すのですか…? 私は元奴隷です…烙印があります…働き手など、他にどこにも…」
「エローナはあの城に残っていても、姉さんたちに虐められるだけだ。だからオルセン、頼みがあるんだ。エローナの面倒を見てやってくれないかな? もちろんお金もなんでも援助するよ」
俺はエローナを見た。なんと潮らしい表情だろう。ライルは関係こそ主従関係だが、エローナにとっての家族のようなものだった。だからこそエローナは、必死にライルを守ろうとしたのだ。それをなくしてしまうのだから、こうもなるだろう。
「エローナと組んでギルドで活動できるなら、もちろん大助かりだ。でも、エローナ自身に選ばせてやりたい」
俺はエローナの背中辺りを指さした。エローナはワンピースの隙間から背中に手を回し、奴隷の焼印を探った。そして、それが「無い」ことに気づいた様子だった。
「昨日、大怪我を治す時に一緒に皮膚を治しちまったよ。お前はもう奴隷出身じゃない。焼印がないもん。どこ行ったって、何したっていいんだ」
てっきり喜ぶものだと思っていたので、エローナがボロボロと涙を流した時は死ぬほど驚いた。そして思い直した。奴隷だったという過去が、烙印が、それほど強くエローナを縛り付けていたのだろう。たった今エローナは、自由に泣いていい女の子に戻ったのだ。
「お世話に…なりました…」
エローナはライルに一礼し、また顔を伏せた。俺なんかに泣き顔を見られたく無いだろう。俺がテントを出ると、ライルもついて来た。
「ライル、頼みがあんだけど…」
「当然だよ! なんでも言って!」
こいつもなんか急に凛々しくなったな。いや、一応王様目指して女性恐怖症を克服しようとしてたんだもんな。あの幼稚な態度はエローナに依存した甘ったれで、一皮向いたらこんなもんかも。
「王様…つまりお前のお父さんと、貿易の件で交渉できる場とか…設けられるか?」
「いいよ! 僕の頼みなら絶対に断らないから安心してよ!」
ライルはさっと手紙を書き、半分に破って片方を俺に渡した。そして口笛を吹き、すぐさま飛んできた鷹の足にもう半分を括り付け、空へ放した。よかった…これで、この国へのポーションの流入が阻止できるかもしれない。
「じゃあ僕は行きます…えっと…ルナによろしく」
「いい男になったって伝えとくよ。あ、どんなことがあっても絶対にポーションを飲むなよ! 絶対だ!」
ライルは手で「OK」を作って、丘の向こうに歩いて行った。ルナはテントの陰からライルを見送っていた。
「まだまだだね。ライルはもうちょっといい男になれるよ」
ルナはそう言ってニヤリとした。ヴォルゲンの親父さんに、今回の件をどう話そうか。俺は心地よい朝の風を受けながら考えていた。
* * *
「責任を取れ」
ギルドハウス。クエストを終えて戻った俺たちは、今回の報酬を受け取った。そして目の前に、生まれて初めての「小遣い」で買ったレモン水を大事そうに飲みながら、エローナが座っていた。もうすっかり普段の調子に戻っている。
「…だから言ってんじゃん。取るって」
「本当だな?」
まるで1分おきに「責任取れ」って言っておかないと俺が逃げるみたいじゃないか。俺はグラスワインを飲みながら、何度もエローナに了承の意を伝えていた。
「これだけ確認を取ったんだから、後でシラを切っても通じないぞ」
「わかってるっての。置いて行ったりしないから」
結局、エローナはどこにも行かず、俺とギルドメンバーを組み、一緒に行動することになった。まぁ多分、ライルが帰ってきた時に接触しやすくするためだろう。その「責任」だよな? なんか別の意味じゃ無いよな?
エローナは最後に「よし」と言うと、俺を横目に見て少し笑った。妙な奴だ。俺はライルにもらった手紙を確認する。王への謁見は明日か。クエストをこなしている時間はないだろうし、何か暇つぶしになることはないだろうか。俺は新聞に目を通し、あまりの驚きにワイングラスを床に落とした。
『白夜騎士ガドル 死亡か』