第5話 「エローナ、忠誠の理由」
夜。見回りが終わったライルとルナがテントの外で会話をしている。俺とエローナはテントの中から聞き耳を立てた。
「じゃあこうしましょう!テントの真ん中に、この剣を誓いとして突き立てます! そこを超えてあなたの領域に少しでも入れば、素っ首を叩き落として頂いて構いません!」
「うーん…そこまで言うなら…」
ルナはライルの押しに負けて、2人でテントに入っていった。俺はテントの窓から、ルナたちの入っていったテントを見張っている。
「大丈夫か…?」
「あの方は誇り高き赤の王国の第一王子。あの方が誓いと言う言葉を使ったなら、絶対に妙なことには及ばないだろう。もっとも、ルナ様からのいお誘いがあれば別だが」
「お前も冗談言うんだな」
俺たちはリンゴをかじりながら、狭いテントに丸まっていた。エローナは自分で刺した肩を布で抑え、止血していた。顔には汗が滲んでいる。俺が杖を取り出すと、エローナは俺を目で制した。
「いらない。朝まで治らないことになっている。治っているところをルナ様に見られたら…」
「ヒール」
俺はエローナの制止を聞かずに回復魔法を唱えた。エローナの傷は跡も残らないほど綺麗に塞がった。
「回復術師が、傷ついた仲間をほっとけるワケないだろが。ルナに見つかりそうになったらまた刺せよ」
「…簡単に言ってくれる」
前のめりに座っていたエローナが、楽な姿勢に座り直した。エローナが少しだけ口の端を持ち上げたように見えた。
「オルセン。何の目的でこのクエストについてきた?」
「…この国にポーションの輸入をやめてもらうためだ」
「回復術師はポーションがあると食いっぱぐれるからな。そういうことか」
エローナは「打算的だな」という顔をした。反論するのも面倒だが、ポーションのことは知っておいて欲しかった。
「信じるかわかんねえけど、ポーションには中毒作用があるんだよ。使ったことないのか?」
中毒と聞いて、エローナは真剣な表情になった。
「いや。私の周りでは誰も。王宮には先先代からお抱えの回復術師を1人召し抱えているからな。彼もだいぶ耄碌していて、あまり長くないと思うが」
沈黙がテント内を支配した。エローナが俺の言うことをどう思ったかは、表情からはわからなかった。しばらくして、今度はエローナが口を開いた。
「…ライル様を、色ぼけた愚かな王子だと思っているか?」
「愉快な奴だと思ってるよ」
エローナは自分の不敬を恥じるように、手の甲に爪を突き立てながら続けた。
「あの方は、王女がやっとの思いで産んだ嫡男だ。上には8人の姉がいる」
「聞いてるよ。賑やかそうな家庭だ」
「ライル様は…女性恐怖症なのだ。姉上方からの嫌がらせでそうなってしまった」
俺はエローナを見た。苦悶の表情だ。こんな顔を歪める彼女は初めてだった。
「姉上方は、自分たちが「ハズレ」だと思っておられる。男という当たりくじが出るまでの、ハズレのほうだと」
「…それで、望まれた子のライルが嫌がらせを…」
「ライル様が心を開く女性は、私とルナ様だけだ。ルナ様はライル様を平民と勘違いし、普通に接してくれるから…心を惹かれているのだろう。それに、ルナ様と交流し、自信をつけることで、あの方は克服しようとしている。いずれこの国を継ぐ王としての自覚が、女性恐怖症という自らの弱点を許さないのだ」
俺はライルが少しかわいそうになった。あの歪んだ性格は生来のものではなかったのか。
「何で俺にこんなこと、話したんだ?」
「…」
エローナは答えなかった。しかし、俺には何となくわかっていた。彼女もわかっているのだ。嘘を塗り固めた上で成り立っているライルとルナの関係が歪なものだと。このままではいけないと。
「最後に。何でお前はライルに従ってるんだ? …仕事だからか?」
エローナは黙って、後ろを向いた。そして、黒いワンピースを体から滑り落とした。背中には…烙印があった。奴隷の烙印、焼印だ。痛々しい、一生消えない火の印が。
「ライル様は私を買ってくれた。闇から救い出して下さった…この恩に報いずして、私は…私ではいられない」
エローナは静かに、ワンピースを着直した。それっきり、会話は途切れてしまった。俺の脳裏には、ずっとあの焼印がこびりついて離れなかった。
* * *
「起きろ」
深夜。いつの間にか寝てしまっていた俺を、エローナが揺すり起こした。
「どうした…?」
「ライル様たちがいない」
俺はテントを出て、焚き火を挟んで向こう側にあるライルたちのテントの方に駆け寄った。カンテラがぶら下がっているが、中に2人はいなかった。
「どこ行ったんだ…?」
「わからない…私の目を欺いて、テントの反対側から外出なされたんだ」
エローナは心配そうだったが、少し嬉しそうだった。ライルが自分の手を借りずにルナにアプローチをしたことに、変化と進歩を感じているのだろうか。
「誘拐じゃねぇだろうな」
「この辺りは傭兵と王室警備隊で固めてある。その心配はない」
「過保護すぎんだろ。じゃあ星でも見に行ったのかもな」
健全じゃん。そう思って俺がテントに戻ろうとしたとき、遠くから人間の悲鳴が聞こえた。
「今のは!?」
「焦るなエローナ。中年の声だ。ライルやルナじゃない」
珍しくうろたえるエローナに声をかけ、俺は杖を構えた。
「イェリィ・ヒール」
呪文と共に、俺の耳に電気のような刺激が走る。俺の聴覚が一時的に鋭敏になった。エローナの吐息や自分の鼓動、血流の音などの雑音に混ざる、先ほどの悲鳴の残響音を探った。
「何が…一体何が!!」
「静かに!」
悲鳴の数はどんどん増えていった。肉を裂く音、骨が砕ける音、地面に倒れ伏す音。そしてまた起き上がる音。大勢の人間が、何かに攻撃されている。
その中に混じって、若い男の悲鳴があった。ライルだ! 痛みによる悲鳴ではなく、どうやら恐怖による悲鳴のようだ。岩場の向こうから聞こえた。
「行くぞ!」
「すまない!」
俺は心配でどうにかなりそうなエローナの手を掴み、走り出した。エローナの足は俺より速かったので、結局場所を口で説明することになった。
岩場の硬い地面が過ぎると、下り坂の向こうに湖のある草原が現れた。地平線の上には星が綺麗に出ている。湖の近くで、悲鳴が鳴り続いている。
骸骨だ。骸骨が、赤の王国の紋章が入った男たちを、手に持った錆びた剣で次々に斬り伏せていた。傭兵のような男が反撃を喰らわせるといとも簡単にバラバラになって散らばったが。すぐに骸骨たちは再び元の形に戻り、平然と攻撃を続けていた。
「何だありゃあ…!」
動く骸骨の魔物は見たことがなかった。紋章が入った男たちは、後ろにいるルナとライルを守っていた。しかし、最後の1人が倒されてしまったところだった。ルナは熱魔法で骸骨たちに攻撃を試みているが、効いていない様子だった。ライルは剣を取り落とし、ルナの後ろで尻もちをついて震えている。
「ライル様!」
エローナが下り坂を駆ける。もう隠すことなく取り出した杖を骸骨の群れに向ける。俺は一番近くで倒れた兵士に回復魔法を使ったが、傷が治っただけで立ち上がりはしなかった。いかに回復術師とはいえ、死んだ人間は治せない。
「ボラ・ボルテリオン!!」
瞬く間に骸骨に接近したエローナは、20体はあろうかという骸骨たちに、同時に雷を落とす。雷魔法、結構難しいはずなんだが。
骸骨は黒こげになって、バラバラに飛び散った。辺りは静かになった。
「は、ははは…」
ようやく立ち上がったライルが、落ちていた剣をヨタヨタと持ち上げ、弱々しかった笑い声を高らかに変えた。
「わははは! これが我が魔法剣の力よ! ちょっとエローナがやったように見えたが、それは目の錯覚で…」
「いい加減にして」
ルナがライルの言葉をピシャリと遮った。見たこともないくらい怖い顔だ。
「誰が見たって、あなたが倒したんじゃないってわかるわ。ずっと嘘をついていたのねそれに、エローナさんだけじゃなく、大勢の人があなたを守って死んでいったのに、気にもしてないっていうの…?」
ライルは顔を真っ赤にした。そして、あろうことかエローナの顔を引っ叩いた。
「お前が…! お前がもっと上手くやってたらこんな…!」
「も、申し訳ありません…」
ライルは涙目だった。エローナも申し訳なさそうに、今にも泣きそうになっていた。
「エローナが来なかったらテメェは死んでただろうが!!」
俺は下り坂を駆け下りるスピードを利用して、ライルに強烈な飛び蹴りをお見舞いした。派手に吹っ飛んで湖に落ちたライルは、頭上に「?」のマークが見えそうなほど狼狽えていた。エローナは俺とライルを交互に見ながら、言葉もない様子だった。ルナは腕を組んでウンウンと頷いている。
「な…何すんだ回復術師! 僕を誰だと思っている! エローナ! そいつをひっ捕らえろ!」
しまった、感情に任せてすごいことをしてしまった…! これでこの国でもお尋ね者か! 俺はエローナを見た。
しかし、エローナは腕をブンブン振り回して憤慨するライルに向かって走り出していた。ライルは訳がわからないという顔で、親に叩かれる寸前の子供のように体を硬らせた。
エローナはライルに覆いかぶさっていた。錆びた剣が、背中に刺さっている。
「え…?」
エローナの吐血を顔で受け止めたライルは、ガタガタと震え出した。エローナを刺したのは、先ほど彼女が倒したはずの骸骨だった。エローナはライルを庇ったのだ。エローナはぐったりとライルにもたれかかり、ライルは支えきれなくなって湖の中に膝をついた…俺のせいだ。湖の中にライルがいたから、骸骨を倒すための雷の魔法は使えなかったのだ。使っていたら、ライルも一緒に電撃を浴びていただろう。
1体ではない。20体全員が起き上がり、歯をカチカチと鳴らしながら、剣を空振りしていた。それどころか、赤の王国の紋章のついた制服を着た、先ほど死んだばかりの15人のお男たちが、生気のない表情のまま起き上がり、ライルとエローナをぐるりと囲んでいた。