第3話 「ハーピーの巣、ポーション中毒」
俺たちは夜の牧場で、干し草のかまくらを作り、その中で4人、見張りをしていた。ハーピーが夜な夜な連れ去るのは、この牧場の牛だけらしい。ここの牛は白の王国に納めるため、特別なエサと飼育法で育てる非常に美味い牛なんだそうな。ハーピーも案外グルメなもんだ。
「おいオルセン。この作戦が失敗したらお前のせいだぞ」
「森に直接探しに行った方がいいんじゃねぇのか?」
「ハーピーは巣で集団生活をしてる。広大な森を歩いて探してたら数年はかかるよ。巣の場所を突き止めて叩かない限り、ハーピーはきっと餌場を変えない。クエストだって『巣の解体』って書いてあったろ?」
俺は剣を使う男「ガロード」と、斧を使う男「バスティス」を説得した。ハーピーが牛を連れ去るのを追跡して、巣の場所を突き止める作戦だ。牧場主には、クエストが失敗したら牛の代金を弁償するという条件で、もう1匹だけ牛が襲われるのを我慢してもらうよう説得していた。
「それしかないよね。ハーピーの巣は巨木をくり抜いて作られてるみたいだから、外から見てもわかんないもん」
ルナも俺の作戦に賛成してくれた。ガロードとオルセンはフンと鼻を鳴らす。
「どうせ巣の場所を見つけても、叩くのは俺たちだろうがよ」
「回復術師のお前は後ろで隠れてるだけだろ?」
耳が痛い話だった。確かにそれはそうだが、一応、補助くらいはできるつもりだった。
「勝手に俺を回復すんなよ、オルセン。ポーションの方がいい」
「俺もだ」
俺ならタダで回復してやるってのに(クエスト報酬は頂くが)、なんでみんなそうポーションを使いたがるんだ? しかし、こいつらに聞いてみてもまともに答えてはくれないだろう。
「ルナってどんな魔法が使えるんだ?」
「光と熱。応用も結構できるけど、まだ勉強中」
俺はルナとの会話に癒しを求めた。光魔法と熱魔法。相性の良い属性だ。きっと汎用的にいろいろなことができるに違いない。
バサ…
俺は馬鹿笑いしながら雑談しているガロードとバスティスに杖を振った。
「ヴォン・ヒール」
小声で呪文を詠唱する。2人の口はガッチリと閉じた。これは人体の骨を操作する、れっきとした回復魔法だ。整骨や整体に使われる。顎の骨を上に戻し、口を塞がせたのだ。
2人は顎骨を戻そうともがいていたが、やがて動きを止めて耳を澄まし始めた。ようやく外の音を聞き取ったようだ。ごく小さい風切り音。俺たちはかまくら状の干し草に少し穴を作り、窓にして外の様子を見る。
それは、夜空を静かに飛んでいた。長い長い黒髪と、手のように生えた黒い翼。黒く大型な足の爪。ハーピーだ。
ハーピーは素早く牛を足の爪で掴むと、翼をばさつかせて勢いよく上昇した。牛みたいに重い生き物を、たった1人で運べるのか…!
「ブハッ! おい、俺たちに何しやがったんだオルセン!」
ヴォン・ヒールを解いてやると、ガロードとバスティスは俺に悪態をつき始めた。
「もう騒いでも大丈夫だ。ハーピーは自分の羽ばたき音で周りの音がよく聞こえていない。追おう」
俺たちは干し草の中から飛び出し、ハーピーを追った。なんせ全身真っ黒な魔物だ。見失わないようにしなければ。
「ハビド・ヒール!」
俺は自分を含め、4人に魔法をかけた。心臓が鼓動を高める。
「お…おお! なんか全然疲れねぇぞ!」
「またなんかしやがったなオルセン!」
「肺の強化と、心臓の鼓動を早くして血液の循環を早めたんだ。ちゃんと呼吸してれば、かなりの時間全力疾走できるよ。肺や膝、血管に入ったダメージは後で回復してやるから」
俺たちはハーピーの飛行速度に負けぬよう、全力で走った。剣と斧を担いでいる2人はさすがに少し遅いが、俺とルナはハーピーを捕捉し続けていた。
「森に入るぞ!」
俺はハーピーを見続けながら、後ろの2人に叫んだ。ハーピーが森の上空を飛んでいく。
「ルナ! 明かりを! バレるから小さくていい!」
「りょ」
ルナは杖を取り出した。小ぶりで細く、赤い宝石が持ち手の底に輝いている。
「グロウナ」
ルナの杖の先から小さな光があふれた。光魔法が暗い森の周囲を照らす。これで木を回避しながら走れそうだ。ルナが俺の腕を掴んだ。
「木は私が避けるから、オルセンはハーピーを」
「ありがとう!」
俺は上を向いて走る。気にぶつかりそうになった時は、ルナが腕を引っ張って避けさせてくれた。
どれくらい走っただろう。ハーピーは牛をぶら下げたまま、巨木に降り立った。胴回りが直径10mくらいある。そして、周りにも同じくらい大きな木が密集している。ハーピーは木の上をキョロキョロと探し、やがてウロから中にするりと入り込んだ。
「ここか!」
バスティスが一応気を遣ったのか、小声で俺に話しかけた。巣の場所は突き止めた。あとはここからどう戦うかだ。
「バセルス・ニィ・ラング・バイタル・ヒール!」
俺は杖を4回ふり、無茶をした体と体力を全員ぶん回復させた。傷ついた血管や膝、肺、心臓が洗われるように心地よくなり、息切れもすぐに止まった。
「…回復魔法って、嫌に細けぇんだな」
「部分ごと、回復させる場所や回復方法によって別々に呪文があるからね。だからこそいろいろできるし、だからこそ回復術師は回復魔法しか覚えられない」
少し感心したようにまじまじと俺を見るガロードに、俺は答える。確か…白夜騎士のガドルも、最初はそう言って驚いてたな。
「さて…あとは俺たちの仕事だ」
ガロードとバスティスは、背負っていた武器を両手に構えた。暗い森の少し開けた場所。ここでなら、剣や斧が木に引っかかって邪魔されるようなことはないだろう。
「少しでも巣を傷つけると、周りの仲間たちで一斉に襲ってくるぞ。どれくらいの規模のコロニーか少し調べた方が…」
「うるせぇオルセン! 戦えねぇ奴はすっこんでな!」
「俺たちは戦いにウズウズしてんだよ!」
バスティスは力任せに、牛を担いだハーピーが入っていった巨木を斬りつけた。
バサ…
バサバサバサ…
俺は、上空の光景に釘付けになっていた。
コロニーの仲間の巣が傷つけられ、周囲の巣からも大量に応援が駆けつける。その数、30…いや、40体は軽く超えていた。夜空よりさらに漆黒の色をした鳥獣が、羽ばたきながら一斉に俺たちを見下ろしていた。
「いくぜガロードォ!」
「任せろバスティスぁ!」
ハーピーたちは、前に出ていたガロードとバスティスめがけ、上空から一斉に躍りかかった。2人は武器で、最初に襲ってきたハーピーを真っ二つに切り開いた。
しかし、その後は悲惨だった。ハーピーの幾つもの足の爪が、ガロードとバスティスを通り抜けていく。彼らの腕が、指が、腹が、目が、傷ついていく。俺は杖を構えた。傷の箇所は…? 部位は…? 状態は…? 杖を素早く振り回し、2人を全回復させるための複雑な呪文を唱えようとして、俺の言葉は喉元で止まった。
2人は懐から素早くポーションを取り出し、コルクを引きちぎって飲み干した。
すると、2人のボロボロに引き裂かれた皮膚が、餅のように、泥のように、ぐにゃりと伸びた。それは皮膚中をまとわりつき、ウネウネと皮膚の層を作り、やがて何事もなかったかのように、元の体に戻った。
「気持ち…いいぜ」
「もっと戦いてぇ…」
俺は吐き気を抑えた。こんな…こんな禍々しいものだったのか…! 白夜騎士の連中は、これほどまで傷つくほど弱くなかったし、傷を俺に見せなかったから、知らなかった…
ガロードとバスティスは片手にポーション、片手に武器を携え、引き裂かれながら着実にハーピーを倒していた。武器を持つ手がちぎれようと、ポーションさえ飲めば全て元どおりだ。俺は体を震わせ、杖を取り落としてしまった。
「あ…」
その隙をついて、1体のハーピーが俺に躍りかかった。肩が裂け、熱と激しい痛みが迸る。
「ヒーディア!」
ハーピーはルナの熱魔法を浴び、もんどりうって近くの木に突っ込んでいった。俺は倒れた。回復しなければ…杖を…
「なっさけねぇなぁ回復術師!」
「お裾分けだ!」
戦っている2人の方から、ポーションが投げられた。ルナが心配そうにそれを拾って、俺の口に瓶の液体を注ぎ込んだ。やめ…
ドクン…
傷を追った肩に、暖かい蜂蜜をかけられたような感覚…痛みがなくなっていく…
それが肩ごと溶けて、混ざっていくような…熱が傷口から全身に回る…
気持ちいい…
もっと、傷つきたい…
これは…
…中毒症状だ。
「ウォオオオオオオオ!!」
俺は吠えながら、杖の方向に転がった。右手で杖を拾う。この中毒作用を治す呪文、杖の振り方を必死で脳内で検索する。俺が思い出していたのは、少年期に通った魔法学校の先生のことだった。
『オルセンや。これは絶滅した『トリコオオシバナ』の中毒症状を治す呪文じゃ』
『絶滅したんだったら覚える必要ある?』
『…今やこの学校、いや、世界中で回復術師を志すのはお前くらいじゃ。ワシももう長くない。お前に伝えねば、もしトリコオオシバナが現存していた場合、大変なことになるじゃろう…』
「…アディクト・ヒール!」
俺の体を、杖先から迸った青い閃光が駆け抜けた。体を支配していた甘い感覚が、徐々に薄れていく。もう「ポーションを使いたい」とも、「傷つきたい」とも思わなくなっていた。中毒症状が治ったのだ。
「オルセン、大丈夫…?」
ルナが心配そうにこちらを見ている。
「ああ、偉大なる師匠に感謝だ」
俺は戦っている2人の方を見た。ハーピーが10体ほど残っていたが、ガロードやバスティスに襲い掛かろうとしない。それどころか、羽ばたきながら2人を笑って見ていた。
ガロードとバスティスは、その剣と斧をぶつかり合わせていた。戦っている。互いに傷つき、足を引きずり、肩から腕をぶらんと垂れ下げている。
「ポーションをよこせぇ!」
「馬鹿野郎! 俺のだ! くたばりやがれ!」
最後に残ったポーションを取り合っている…! もはや、疑いようはなかった。ポーションには、滅びたとされていた毒花「トリコオオシバナ」の成分が含まれている。俺は思いっきり息を吸い込んだ。
「アディクト・ヴラド・ヴォン・スキン・シャンぺーロ・ガンバローネ・アニクパルマ・ニノレイル・ブイベートスターツ・ヒィィイィィイィィイィル!!!!」
俺は杖を死ぬほど細かく動かしながら、この長文詠唱を4秒で言い切った。ボロッボロになった2人の傷を全て癒し、ポーションによる中毒作用を消滅させ、ついでに肩と腕の筋力活性もしてやった。2人はみるみるうちに全回復し、腕がベビーオイルを塗った赤ちゃんの尻みたいにピチピチになっている。ハーピーは嘲り笑いをやめた。
「あ、あれ…?」
「俺たちは一体…」
「ガロード! バスティス! 上だ!」
2人に一斉に襲いかかるハーピー。しかし、2人は今までの2人ではない。さっきまで2人はポーションをもっと使いたいがために、わざと攻撃を喰らうように戦っていた。その上、今は俺の回復魔法で腕力が劇的に上がっているはずだ。かなりの魔力を消費してしまったが。
2人が武器を振ったのが見えなかった。驚くべき速さだ。上空から次々に襲いかかるハーピーを、2人はあっという間に、一切の傷を負うことなくバラバラにしてしまった。
山と重なるハーピーの死骸の山が、黒いチリになって風に消えていく。斧と剣を地面に下ろした2人は、しばらく顔を見合わせ、考え込んでいた。
「あ…ありがとう! オルセン!」
「俺ら、おかしくなっちまってたんだな! ようやく気付いたぜ…!」
ガロードとバスティスは俺に駆け寄って、両手で俺に握手してブンブン振り回していた。やめろ。お前らの両腕は今、バフがかかっているんだ。俺はガクガクと揺さぶられながら、困ったようにルナの方を見た。ルナは嬉しそうに笑って、俺たちを眺めていた。