第2話 「赤の王国、ギルドハウス」
朝。俺は街道沿いの原っぱにポツンとあった、大きな木の下で目を覚ました。木漏れ日が優しく、体を温めてくれている。横には、昨日助けた女の子が寝ている。俺の手をずっと握ってくれていた。
恐らく10歳以上も離れた女の子に、一晩中慰められていたのか、俺は…!
しっかりしなければ! 俺が立ち上がって腕をブンブン振り回していると、女の子もむくりと起き上がった。
「おはよう…昨日はありがとう」
女の子は真っ直ぐ、表情を変えずに俺を見ている。なんというか、感情の読めない子だ。しかし、嫌な感じは一切しない。不思議だ。
「いいんだ…魔力なんて寝たら回復するんだし気にしなくていい。俺はオルセンだ。君は?」
「ルナだよ」
俺たちは少し日向ぼっこをしてから、やがて赤の国に向けて歩き出した。家から用意してきたパンをルナと分け、食べながら歩いている。
「ルナ、赤の国から1人で来たのか?」
「うん。誰にも病気、移したくなかったから。オルセンも赤の国に行くの?」
「ああ。その、まぁ…ちょっとな」
俺はパンを飲み込んで適当に返事を返した。追放されたなんて言えるか。深く聞かれたら「ちょっと旅行で」とでも答えておこう。しかし、ルナはそれ以上聞いてこなかった。
街道は素晴らしく見晴らしが良く、かなり遠くまでを見晴らすことができる。しかし、どこまで目をこらしても平坦な野が続いている。
「…ルナ。ちなみに赤の国から、どれくらい歩いてきたんだ?」
「…ひと月かな?」
嘘だろ!! ルナはこの何にもない道を、1人で歩いてきたというのか!! というか俺も持ち物をナメすぎていた。カバンの中にはせいぜい、3日分の食料しか入っていない。それくらいで到着すると思っていたのだ。なんと世間知らずな。
「…白の国に引き返して、馬車でも借りる?」
「いや、それは…」
それは無理。だって俺、国外追放されたもん。入国したら斬られるもん。俺はルナから目をそらして、目線を前方に泳がせた。すると、遠くに何か見える。きっと馬車だ。向こうに、つまり赤の国へ向かっている様子だ。
「ちょうどいい…! ルナ、走れるか? あの馬車に追いついて、乗っけてもらおう!」
「心得た…」
俺とルナは全力疾走で馬車に向かった。何故だか知らないが、馬車がトロトロ走っている今のうちに追いついてしまわなければ。しかし、馬車にはあっという間に追いついてしまった。おっさんが馬を引いて…いや、おっさんが馬車を引いて、その横を馬が歩いている。亀並の速度の理由はこれか。
「ど、どうしたんです…?」
おっさんは汗だくになりながらこっちを向いた。ゼイゼイと息を切らしながら、さもイライラしていますよという口調で返答する。
「麦をな…売ったんだ…白の国の問屋に…荷車いっぱいのだ」
おっさんと同じ速度でゆっくりゆっくり歩きながら、俺たちは次の言葉を待った。
「ところが…白の国に…税金取られてな…もうけの…4割もだ…!」
「道中で…! 馬が怪我をして…! 馬用のポーションが…! 20ゴールドだと…!!」
だんだんと語気の荒くなるおっさん。その時の怒りを思い出しているのだろう。
「そうですか、お困りでしょう…では」
俺は杖を取り出し、馬を見た。左足だな。
「ヒール」
俺は杖を振って呪文を唱えた。単純な回復魔法だ。何万回と繰り返しているので、熟練している。ものの数秒で馬は自分の怪我が回復したことに気づき、何故か俺ではなくルナに顔をすり寄せた。
「おー。すごーい」
「たまげた…! アンタ、回復術師かい!」
* * *
俺とルナは、馬車の荷台に揺られて、心地よい風を満喫していた。馬の代役から御者台に返り咲くことができたおっさんは、上機嫌で俺らの方を振り向いた。
「いやー助かった! 赤の王国の国内なら、どこまででも連れてってやるぞ!」
「こちらこそ助かりました…何しろ徒歩じゃひと月って話で…」
おっさんは喋り好きだった。喋る喋る。商売のこと、女房のこと、金のこと、女房のこと。思い出したように女房のグチを挟んでくるが、どれも面白い笑い話だった。今、こういう明るい空気にしてくれるのはとてもありがたかった。
「そういや、回復術師なんて珍しいよな。名前は?」
「オルセンです」
「ってーと、白夜騎士かい! はー…追放だってな。かわいそうに」
しまった。俺の名も、追放されたことも広く知られているのか。ルナの方をチラと見ると、たいして気にしていないようだったので安心した。
「汚ぇよなぁ…回復術師を追い出して、『回復はポーションで! 買ってね!』だもんなぁ」
「ほんと、嫌んなりますね」
…なんだか、冷めやらぬと思ってた怒りも、少し落ち着いてきたな。他人に話を聞いてもらうって、結構大事だ。赤の国に着いたらどうしようか。回復術師として職がなかったら、就職できるかな…腰でジャラジャラ唸ってる金貨にモノを言わせて、牧場と家でも買っちまうか。
「オルセン、うちで働く?」
将来についていろいろ思案を巡らせていると、ルナがいきなり提案してきた。
「そりゃ嬉しいけど…回復術師なんかに仕事があるか?」
「うち、ギルドハウスなの。赤の王国は衛兵がいないから、魔物退治は傭兵に依頼するんだ」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。白の王国がいかに防御しているといえど、壁を超えて人間界に侵入してくる魔物がゼロなわけではない。その魔物たちは大抵の場合、白の王国を恐れて、赤の王国を含めた他の3国で活動しようとする。
そして、その魔物を倒す兵が必要な時、白の王国から兵が派遣されるのだ。この派遣料を得るため、白の王国は他の3国に騎士や衛兵の設立を禁止していた。しかし、自衛のために徒党を組む傭兵たちまでは規制できず、しぶしぶ存在を認めている。
ギルドハウスは、主に被害を出している魔物の討伐を受注し、傭兵を派遣する場所だ。確かにそこでなら、俺の活躍の場もあるかもしれない。
「思えば、白の王国は随分金に汚い国だった…」
「どうする? オルセン。やる?」
「もちろんだ! 心機一転頑張るよ!」
ルナは初めて、うっすらとした笑顔を俺に向けた。何がポーションだ! ドラゴンの軍勢を倒したところで、魔物全てを倒したわけではないんだ。俺が抜けたことを後悔させてやる!
* * *
「あ? 回復術師なんかいらねぇよ」
「このポーション、1本いくらだと思う? たったの1シルバだぜ!」
2日後の夕刻。ルナの家であるギルドハウスの待合室で、俺は柄の悪い戦士たちに絡まれていた。5人の屈強な男たちが、剣やオノを振り回し、ニヤニヤしながら俺を見ている。ちなみに、10シルバで1ゴールド。1シルバはパン2本分くらいの値段なので、かなり格安である。
「残念。このクエストでは新米のオルセンは固定だから」
「えーっ! そりゃないぜルナちゃん!」
ルナはこの空気の悪いギルドハウスの猛者たちを手玉にとっている。すごいな…これはちょっとやそっとじゃ動じない性格になるはずだ。
「ウルセェぞオメェら! ルナがこう言ってんだからそこの回復術師はメンバー決定! 文句あんならかかってこい!」
受付のルナの後ろで、髭面の大男が一喝する。騒いでいた男たちは不平を言いながらも静かになった。
「ルナ、無事でよかったよ〜…」
「ありがと、パパ」
どうやら父親らしい。パパは顎をしゃくって俺を呼び出している。俺は素直に応じ、受付に向かった。
「オルセンって言ったな。娘の件、感謝してもしきれねぇ。礼を言う」
「いえそんな…」
「だが、サポートできるのはここまで。クエストは斡旋するが、今回のクエストで『役に立つ男だ』って顔を売れなきゃ、このギルドハウスでは食っていけねぇ。わかったな」
俺は頷いた。これでも、白夜騎士として数々の戦場を生き抜いた経験がある。
ギルドハウスはほとんど酒場みたいなものだ。ここに、魔物に困っている人からクエスト…つまり依頼が入る。たまに稲刈りとか雑用の依頼もあるが、報酬も低いしみんなやりたがらない。
ギルドハウスのマスターは、クエストの難度を聞いて成功報酬を依頼人と交渉する。そして、受け手が納得するような金額を受け取れるよう、参加できる人数を調節する。全体報酬50ゴールドなら5人、1人報酬10ゴールド、みたいな感じだ。今回はそこまで厄介な依頼ではないようで、募集人数は3人だった。
5人の戦士たちが話し合った結果、剣を持った筋肉質の男と、斧を持った大男が俺と同じクエストを受けるメンバーとなった。
「クエスト、『ハーピーの巣の解体』、募集締め切りー!」
ルナはハンドベルをカラカラと鳴らした。参加しない男たちは、受付の近くのテーブルで、次のクエストが貼られるまでの時間潰しに酒を飲み始めた。
「回復術師さんよ、ほれ見ろ。ポーション10本だ」
「一切役に立たなかったら、クエスト報酬はやらんぜ」
剣男と斧男は、懐にダイナマイトみたいに10本ずつぶら下げているポーションを俺に見せびらかした。
「俺の国でも最初は1本1シルバだった。今じゃ1本10ゴールドだよ」
「あん? どういう意味だ?」
この国でもポーションが流行しているとは。しかし、流通したばかりなのだろう。最初に安売りして、必要だとわからせてから価格を釣り上げる。これ自体は商売のテクニックだ。しかし俺は、なんだか胸騒ぎを抑えられなかった。
そして、全く信用できない2人の仲間と、ハーピーの飛び交う森に向かうこととなった。ハーピーとは、腕と足がカラスになった女、と言うのがぴったりの表現だ。夜行性で、高速で空を飛び回り、家畜をさらって食う。今回のクエストの依頼主は、毎晩牛をさらわれて困っている牧場主だ。
俺たちは牧場で張り込みをすることにした。荷車を貸してもらい、そこに毛布や食料を詰め込む。2、3日張り込むことになるかもしれない。
そこに、ルナがひょいと乗り込んだ。
「さ、行こ。パパには内緒ね」
「おいおいルナ。俺は遊びに行くんじゃないんだぞ」
ルナを下ろそうとすると、剣男と斧男が怒鳴る。
「バッカヤロ! ルナちゃんは魔法使いだぜ! むさ苦しい旅路の清涼剤だろが!」
「いらねぇのはオルセン、テメェだよテメェ!!」
俺は2人の剣幕に押され、渋々ルナの同行を許可することにした。
「オルセン、今度は私が助けてあげる」
まあいいさ、頼もしいのは事実だ。柔らかな表情で俺を見つめるルナに、俺は笑い返した。