32 怒りの双剣
本日三話更新予定です。これは二話目。
アダチさんに勝利してから約半日後、首尾よくユウギリの居室へ案内されることになった僕らである。
「やったね、お兄さん!
……やったねっていうか、やりすぎたね」
「……いや、その、ね?
アダチさんを倒すには、やっぱり埒外の火力が必要だったし……ね?」
太陽を落とした衝撃により、建物全体が数センチ傾いた。
避難誘導を依頼していたから死者はいないけれど、怪我人は大勢いる。
晩餐会で声をかけて来た若いナイフ使いたちが手伝ってくれていなかったら、やばかったかもしれない。
メイドも剣闘士も観客も、みんな揃って傾いたコロシアムからネオン煌めく街へと退避した。
主要光源たる疑似太陽を失ったから、ダンジョン地下第三階層はずいぶん暗くなってしまったけれど、いつ崩れるかわからないコロシアムよりはいいと判断したのだ。
だから、いまこの建物に残っているのは、ユウギリと、僕ら二人と、医務室のアダチさんと、少数のスタッフだけだという。
「……タマコちゃんも、逃げたかなぁ」
ナナちゃんがそっと呟いた。
逃げているといいな、と僕も思う。けれど、なんとなく、そうじゃない気がした。
「アダチさんのそばにいるんじゃないかな」
「優しいもんね、タマコちゃん」
あとで医務室に行くべきだろうか。
言ったら怒られるだろうか。なんてことを、と。
まあいいか。それもまた、行動の責任だ。
二人でエレベーターに乗り込み、最上階へ向かう。
ユウギリに先約があるとかで、僕らの面会はこの時間になった。
「ユウギリに勝つ算段はあるの?」
「ないわけじゃないけど、うまく行くかは別。
ユウギリには悪癖があるんだ――気づいてる?」
「……なんとなく?」
ナナちゃんは唇を尖らせた。
「でも、どういう作戦か、私には教えてくれてもいいんじゃない?」
「太陽落としの細工が見抜かれなかったのは、ユウギリが僕に対する興味を失っていたから、という側面もあるはずなんだ。
ダンジョンでは、僕らに対してネオン看板で接触してきたし、監視能力があるのは間違いない。
アダチさんに勝ったいま、作戦をぺらぺら喋るのは、たとえ二人っきりでもやめたほうがいい……と、思う」
そもそも、作戦というにはあまりにも粗いし。
わりと行き当たりばったりだ。
エレベーターの階数表示が赤く灯って、ドアが開いた。
赤じゅうたんの廊下のいちばん奥に、大きな扉がある。
その扉の前に、人影があった。こちらに向かって歩いて来ている。
フードを目深に被った男だ。両袖から、ぎらりと双剣をぶら下げている。
「……怒りの双剣。どうしてここにいるの?」
ナナちゃんが睨みつけながら聞くと、双剣はごきりと首を鳴らした。
「いちゃいけねえのか。古都の外なら、どこにだっていていいはずだぜ?
それともなにか、てめえらはおれを日本列島からも追放したいってのか」
ぞわり、と背筋が震えた。
予想はしていた。予感もあった。けれど、その声を聴いて、ようやく実感する。
「レイジ……ッ!
やっぱり、おまえだったんだな」
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ、パクリ野郎。
おれはおまえをどうこうしようだなんて思っちゃいねえ。
大阪を解放してくれるなら、それが人類にとってもいちばんだ。
そうだろ?」
飄々とレイジがうそぶく。
雰囲気が変わった、と感じる。纏う空気が、荒々しい野生の獣じみたものから、凪いだ海みたいなものに。
穏やかで、けれど深くて暗くて冷たい、無慈悲な海だ。
「睨むんじゃねえよ、雑魚。
むしろ、ユウギリに話を通してやったことを、感謝してほしいくらいだぜ。
おれの後押しがねえと、再戦は成立しなかったはずだ。
……ま、かわりにちょっとばかし対価をもらったがなァ」
ぎらり、と両袖から伸びる双剣が煌めく。
刃が潰されていない。本物の刀剣だ。
「……僕に仕返しするつもりか?」
「はぁん? 自意識過剰なんじゃねえか、おまえ。
いいか、イコマ。言っておいてやるが――おれはもう、おまえらの命に興味はねえ」
レイジが吐き捨てた言葉が、赤じゅうたんの上に転がった。
やっぱり、おかしい。変わりすぎている。
古都で両手を切り落としたレイジと、目の前の男は、まるで別人みたいだ。
執着の塊みたいな男だったのに。
「……なにをするつもりだ。あれからおまえになにがあった」
「てめえの邪魔はしねえよ。安心しろ。
……だからパクリ野郎、てめえも邪魔すんじゃねえぞ」
「待て。レイジ、おまえいったい――」
レイジは僕の言葉を待たず、フードの奥から鋭すぎる眼光をぎらりと光らせて、すたすたと歩いて僕たちの横をすり抜けてエレベーターへ向かった。
とっさに警戒態勢を取った僕らを、見もしない。まっすぐに、だ。
もう言葉を交わす気はないと、後ろ姿が語っていた。
「ねえ、最後にひとつだけ聞いていい?」
ナナちゃんがその背中に声を投げかけた。
返事はないけれど、ナナちゃんは底冷えした寒々しい質問を突き刺した。
「ヨシノさん。どこ行ったの?」
レイジの背中がぴくりと震えて、足を止めた。
何十秒かして、かすれた声でレイジが言った。
「死んだよ」
「……殺したの?」
「質問はひとつだけじゃなかったのか? クソガキ」
レイジは首をひねって、横顔を僕らにさらした。
どろどろに溶けてから冷えて固まった鉄塊みたいな、いびつな意志が瞳に宿っている。
尋常な様子ではない。
「――ああ、おれが殺した」
ぎちぎちと空気が歪んで音を立てているような気がした。
これは――怒りだ。レイジの怒りが、昂った感情が、廊下に満ちている。
「……ナナちゃん、行こう」
「お兄さん。こいつ、放っておくわけには――」
「いいんだ」
ナナちゃんの手を引いて、僕らも前へ進む。
これ以上、あいつにかまっていられない。
エレベーターの扉が閉まって、怒気が薄くなってから、僕はそっと息を吐いた。
「……アイツは殺してないよ」
「なんでわかるの?」
「あの怒りは、自分への怒りだ。自分を許せないんだよ。
……たぶん、逆なんだ」
いまのレイジとこれ以上会話をするのは、恐ろしかった。
ミワ先輩がいうところの信念、ねじくれた熔鉄の塔が、レイジの中にはそびえたっている。
怒りの塔だ。
「殺したんじゃなくて、殺された。
そしてアイツは、防げなかった」
怒りの双剣。
その名を得た経緯はわからないけれど、名付けたユウギリもまた、とてつもない怒りを感じたのだろう。
「……二人がかりなら、拘束できたんじゃない?」
「やめたほうがいい。無駄に怪我はしたくないし……それにアイツ、昔とは戦闘スタイルがまるで違う。
戦闘職人と呼ばれるくらいに、徹底的に自分の無駄を削ぎ落として鍛え直した。
この数週間で、だよ。
ナナちゃんに負けたのは、ステータスの差や武器の差もあるけど、それ以上に……アイツが徹底的にやりあわないと決めていたからだ。でしょ?」
足早に廊下を歩く。
ナナちゃんはムッとした顔でうなずいた。
「つまり……アダチさんを倒すために、私たちを利用したんだね。
私に、お兄さんがチャンピオン戦に挑むよう言ったのも、お兄さんが再戦の機会を得られるようユウギリに嘆願したのも、テコ入れを成功させるため。
ディレクターみたいな仕事をして、対価として『望み』をかなえてもらったんだ」
「たぶん、そうだと思う。だから、いまの僕らはタイミングが悪すぎる。
真剣も持っていたし、アイツの望みは――たぶん、両腕の治療だ。
いま戦いになれば、殺し合いだよ」
それは避けたかった。
僕らはこれから、ユウギリを攻略しなければならない。
うまくいくかどうかわからない策だ。万全の態勢で臨みたい。
レイジが手首に固定した剣で戦うために、どれだけの修練を積んだのかはわからないけれど、ひょっとすると古都奪還戦争での僕ら以上に必死だったかもしれないのだ。
ナナちゃんとの試合で見せた、距離感を計らせない突きは『剣術』スキルではなく、アイツの経験が積み上げたレイジ自身のワザだろう。
搦め手まで使うようになっていた。もはや、以前のレイジとは別人。
強くなったのは、僕らだけではない。
「……レイジも、それがわかっていたから、堂々と僕らの前を通っていった。
そういうところだけは、相変わらずせこい男だね」
僕らはそれきり、レイジの話題を口にしなかった。
扉の前に辿り着いたからだ。
竜の女帝が住まう部屋の前に。
だから、細かいところまで気にしなかった。
細かくて、けれど大事なこと。
『願い』自体を目的にした剣闘士たちの街に、やっぱり浸かりすぎていたのだ。
レイジの『願い』が、なんのための『願い』なのか。
『願い』を得たはずの男が、どうしてまだ両袖に手首を隠していたのか。
僕らはもっと、考えておくべきだった。




