25 閑話 タマコ
少女は、己が許されざる身であると知っている。
――私は、存在してはいけない。
一時は自殺も考えた。
この罪を受け止めるには、自ら死罪を求めるしかないのではないかと。
存在することが罪に繋がるならば、存在を以て償うしかないのではないかと。
けれど、そんなことをしたら。
――もっと悪くなる。
そう、少女は理解した。
年齢に見合わない聡明さが、少女にはあったから。
少女を生かすため、父は殺人に手を染めた。
――では、私が死んだらどうなるか。
父は諦めない。絶対に。
竜王なる存在によって、ユウギリは『死者の蘇生は禁じられている』という。
それは、翻って言えば、竜王の許しがあれば、死者の蘇生は可能であり。
なにわ地下迷宮よりも上位のダンジョンには『許し』が出されている可能性もある、ということである。
たとえば関東。一大ダンジョン地帯と化した、あの場所ならば、死者蘇生すらも可能かもしれない。
父は見てくれや言動はアレだが、意外と強かだし頭も回ると、少女はよく知っている。
もしも少女が死ねば、父は死者蘇生の可能性に縋って、手を伸ばすだろう。
人殺しすらおこなった父が、その極致に至るためになにをするか――想像もしたくない。
――父を、止めないと。
そんなことはわかっている。
だが、手段がない。
下手を打てば、悪化する。
ヒトが死ぬ。大勢、死ぬ。
そうなってほしくないから、自分が死ねば解決すればいいのにと、そんな願いでもあったのだが。
あるいは、誰かが――ヒーローのような誰かが、父を止めてくれたらいいのにと、そう願っていた。
けれど、現実はもっと寒々しくて、鉄を舐めたような味がするらしい。
「失礼します」
と、告げながら扉を叩く。
父の被害者に、詫びなければいけない。
体を破壊され、奴隷の身に落ちた青年。
古都の英雄と、その恋人(……たぶん?)はさぞや傷心であることだろう。
黙っていたタマコも、罵られるに違いない。
それでも――あの気のいい人たちと話したいと、タマコは思った。
彼らは被害者だ――ヒーローではなく。
古都の英雄で、もしかするとヒーローかもしれないと思っていた。
だけど、どうやら違うらしい。
時折狂人のような言動をしているし、どう考えても青少年の情操教育によろしくないが、丁寧で優しい人たちだ。
謝ろう。黙っていたことを謝って、それで……終わりだ。
「はーい、開いてるから入ってー」
と、室内から返事がある。がちゃり、とドアノブを回す。
意を決して部屋に入ると、布面積の少ない奴隷用メイド服を着たイコマ(首輪付き)が床に跪いて、ベッドに腰かけるナナの生足を舐めていた。
「そう、いい子だね、お兄さん。
奴隷メイドとしてちゃんとご奉仕しなさい」
「は、はい……お嬢様……ん、ちゅ、ぺろ……」
「そのまま上目遣いでこっち見て! はい激写!!
くぅ~……っ!! ぞくぞくする、ハマっちゃいそう……!!
……あ、タマコちゃん、いらっしゃい」
そして、ナナはといえば、ゴツいカメラをバシャバシャ鳴らすのを止めて、タマコに笑いかけた。
怒っている様子はないが、なんというか、なんと言えばいいのか、その。
様子が。
――様子がおかしい、と言えばいいのか。
タマコは十秒ほど天井を仰いでから、目線を正面に戻した。
舐めている。
舐めしゃぶっている。
なんというか、タマコが見てよい光景だとは思わない。
艶めかしく蠢くイコマの赤い舌が、ナナの健康的な白い肌を這いまわり、紅白のコントラストがインモラルさを加速させていた。
見てはいけないと思うのだが、それでも目を離せない蠱惑的な雰囲気。
窓から照らしつけるネオンの光が、フェティッシュなシチュエーションに陰影をつけている。
「……あの、なにしているのです……か……?」
「マコちゃん――いや、マコ。指の間もしっかり舐めなさい。
タマコちゃん、ごめんね、ちょっといまメイドを躾けていて」
セーラー服の女王様が苦笑しつつ、いつも通りの笑顔を向けてくる。
「すみません、状況がまったく呑み込めないのですが」
「うん? いや、お兄さんが奴隷落ちしたから、専属メイドとして指名して奉仕させてるんだけど、なにかおかしい?」
「逆におかしくないと思っていますか?」
『きょとん』という顔をされるのは、はなはだ遺憾ではあった。
が、深掘りしてもいいことはなさそうなので、タマコはコホンと咳をして話題を変える。
「ともあれ……本日は、謝罪をしなければ、と思いまして」
「タマコちゃんも足舐めてもらう?
楽しいよ? クセになるよ?」
「ともあれ! 本日は、謝罪をしなければ、と思いまして!」
珍しく大声を出してしまった。
「……その、父のせいで、こんなことになってしまって……ごめんなさい。
私、父が悪事をたくらんでいると知っているのに、それを――言わなくて」
頭を下げ、じっと待つ。
どんな罵詈雑言を浴びせられるか、想像するだけで気が重くなる。
だが、タマコの耳に届いたのは、軽い語調の言葉だった。
「ああ、それね。
仕方ないんじゃない?
いろいろあるんでしょ、タマコちゃんも」
あっけらかんと言うナナを、思わず二度見してしまう。
「……それでいいんですか?」
「うーん、まあ私は負けてないし。
マコ――お兄さんは、どう?」
跪いてご奉仕していたイコマが、タマコのほうを向く。
驚くほどの美少女顔で、面食らう。
凡庸な顔のほうがメイクがハマる、と年上のメイドが言っていたけれど、本当なのだろう。
その顔は、眉を八の字にした困り顔で――タマコの中の嗜虐心が目覚めそうになった――やはり、穏やかに口を開いた。
「タマコちゃんのせいじゃないよ」
でも、と言い募りそうになるタマコに先んじて、イコマがもう一度言う。
「タマコちゃんのせいじゃ、ない。
キミのせいじゃないんだ」
言葉が詰まる。
――私のせいじゃ、ない。
やめて、と思う。
そんなことを言われたら、困る。
困ってしまう。
どうすればいいのか、わからない。
怒鳴られ、なじられ、罵倒され、そうやってケジメを付けるつもりだったのに。
そうしてから、向かおうと思っていたのに。
「僕たちは、キミを責めない」
それは、とても優しくて。
同時に、とてつもなく残酷で。
「ごめんね」
謝るくらいなら、頬のひとつでも張られたほうがマシだった。
怒りにも悲しみにも似た、やり場のない感情を抱えたまま、タマコは一礼して部屋を出た。
なにを言えばいいのかわからなくて、別れの言葉も出なかった。
●
とぼとぼと廊下を歩いて、エレベーターホールに辿り着く。
中に入れば、エレベーターはひとりでに動き出し、ほどなくして最上層へ。
静かに開いた扉の向こうに、大きな影と、小さな影がある。
大きな影は、竜の女。
小さな影は、父親だ。
「……来たか、タマコ」
父親が静かに言う。
この父親は、タマコを世話役として指名している。
けれど、特になにかを指示することもなくて、それゆえに会話もずいぶんと少なくなって。
いつしか、目も合わなくなってしまった。
いや、目を合わせようとしないのは。
――私も同じか。
苦笑する。
きっと、父親の遺伝だ。
こんなにも、不器用なのは。
気づいたときには、手遅れなのは。
『では、アダチよ。
娘にわらわの鱗を移植し、真なる竜への種を撒く。
そういう願いで、相違ないな?』
「はい。よろしくお願いいたします、ユウギリ様」
『そうか。くかか、愚かな父親よのう。
来やれ、タマコ。痛くはせぬ。
貴様の人間性、儚く散らしてみせようぞ――』
巨大な竜女に近づく。
父親の横を抜けるときも、やはり、目は合わなかった。
だけど。
「……すまんな、タマコ」
耳に届いた言葉に、タマコは薄く笑った。
――謝るくらいなら最初から……。
父親も、あの英雄も。
優しくて、けれど、タマコにとってはとてつもなくグロテスクな、別の生き物に思えた。
――助けようなんて思わず、私を死なせてくれれば良かったのに。
少女が、竜の前へと歩み出る。
竜女のたおやかで暴力的な手指が、小さな少女を包み込む。
壊れた地球に、新たな竜が生まれ落ちた。
大変お待たせいたしました。
お待たせしすぎたかもしれません(カメラを回す)
タマコちゃんはいったいどうなってしまうのか……。




