ヨシノ
暗い部屋に、二人の女がいた。
机を挟んで向かい合う構図は、尋問のようにも見える。
女の一人がおもむろにこう言った。
「おまえは被害者だ」
にんまりと笑う、褐色肌で悪人面の女性だ。
「ようするに、DV被害者なんだよ。
認識がおかしくなってるんだ。
レイジから引き離し、保護するべきだとウチは思っている」
「……そう、でしょうね」
言われた女は年若く、特にこれといった特徴がない。
目を伏せ、力なく膝の上に置いた両手は震えている。
「『あのヒトは悪くない』とか言わないんだな。
意外だぜ、擁護すると思ったんだが」
「悪いですよ。レイジせんぱいは、悪いヒトです。
でも仕方ないじゃないですか」
「ほう?」
「そんな悪いヒトに惚れてしまったんだから」
伏せていた目を上げて、褐色肌の女性を見つめる。
悪人面が弓の形に曲げていた口が、平坦になった。呆れ顔だ。
「……おいおい。その眼、三下の眼じゃねえぞ。
じゃあおまえ、『あたしが正します』ってのは――」
特徴のない女は、そっと膝の上から手を動かし、傷ついた頬に……殴打されてついた痣に触れる。
ぴりぴりとした痛みで、腹の底にある昏い覚悟を再確認する。
「――もちろん、『あたしが殺します』って意味ですよ」
●
人間は群れで生活する生き物だ。
群れの中で役割を分業し、効率的な共同体を構成する。
その群れから追放された人間は、信じられないほど無力だ。
「せんぱぁい。もらったパン、なくなっちゃいました」
「そうか」
古都から大阪方面に少し行ったところ。
ヨシノとレイジは山中の小さな廃村に拠点を構えていた。
追放されて以来、ヨシノはレイジを甲斐甲斐しく世話する毎日だ。
レイジは両手首から先を失い、剣を振るどころか自力での食事すら難しい。
――せんぱい、今日も静かだ。
ヨシノはうっすらと笑みを浮かべて、器を持ち上げた。
近くの沢から汲んできた水を煮沸して、野草を塩で煮ただけのスープ。
民家を漁れば、塩やら食器やら、多少は見つかるものだ。
ただ生き延びるだけならば、しばらくはなんとかなる。
生きたいかどうかは別にして。
ねじ曲がったスプーンで塩味のお湯をすくって、ベッドに寝転ぶレイジの口元まで持っていく。
「はい、どうぞ」
「……おれは、いい」
古都で両手を失って以来、レイジはずいぶんしょぼくれてしまった。
仕方ないだろう。
格下だと思っていた相手に敗北し、あまつさえ情けなく命乞いまでしたのだから。
自業自得だと思う。
報いを受けているのだと。
「そんなこと言わないで、食べてくださいよ」
「おまえも」
レイジが目だけをヨシノに向ける。
どろりとした、粘質の視線。
「おれをバカにするのか」
「……しないよ、せんぱぁい」
一瞬、気圧されたが、負けてられない。
「なら、なんでいつまでもおれに構う。
放っておいて、どこへでも行けばいいだろ。
古都にだって、おまえだけなら戻れるだろうが」
「あたしの居場所はせんぱいのそばだって、決めてるから」
この問答も、初めてではない。
言い方を変えて、何度も同じ内容の話をしてきた。
「……馬鹿な女だ」
そして、決まってこの言葉で終わる。
馬鹿な女だという自覚はある。
「言われなくても知ってるよ、せんぱぁい。
あたし、ほんとに馬鹿だもん」
だから、どれだけ拒絶されてもいい。
諦めないと決めたのだ。
スプーンを再度、レイジの口元へ持っていく。
根負けした彼が、大人しく食事を始めるまで、何度でも。
そんな生活も、二週間でとうとう限度が来た。
野草だけでは体力も落ちるし、体調も狂う。
近隣の村に頼るのも考えたが、いい顔をされるわけがない。
狩猟班らしく狩りをすることにした。
ヨシノのスキルは『追跡:B』だけだが、獲物の巣や移動ルートを洗い出せば待ち伏せ猟ができる。
罠を設置できればよかったのだが、ヨシノには知識がない。
山中の獣道、木々の上から襲い掛かることにした。
餞別代わりに古都で貰った細身の牙骨剣。
女性でも振れる軽い武器。
ホーンピッグの一匹くらいなら、なんとかなるはずだ。
そう思っていた。過信していた。
不運だったのは――所属していた狩猟班の実力が、決して低くはなかったことだ。
ホーンピッグ程度なら、単独でなんとかできる班員が多かった。
あれは弱い獲物だとみんなが言っていた。
だが、ヨシノは『追跡』要員だ。
狩りに参加はするが、直接戦闘には出ない。
いつも班員たちが、軽々とモンスターを討伐する様を見ているだけだった。
だから、知らなかった。
豚の皮膚の厚さも、筋肉の強靭さも、剣をまっすぐ振ることの難しさも。
怒り狂ったホーンピッグに角先を向けられるまで、モンスターに命を狙われる恐怖すらも。
――ああ、私、死ぬんだ。
視界の中で、ゆっくりと角が迫ってくるのに、体は少しも動かない。
そのくせ、頭の中ではぐるぐると思い出と後悔が渦巻いている。
走馬灯というやつなのか、なんなのか。
レイジと初めて出会ったのは、実はA大村が出来上がるよりも前だった。
文明崩壊前の、大阪だ。
ヨシノは高校生で、繁華街をひとりで歩いているとき、ガラの悪い大学生に絡まれたのだ。
酔っぱらっていたのだと思う。
無視して歩いていたのだが、それが気に入らなかったらしい。
周囲の人々が見て見ぬふりをする中、下品な言葉を浴びせかけられ続けた。
泣きそうになるヨシノを救ったのは、一発の蹴りだった。
その酔っぱらいに、横合いから前蹴りをぶちかましたヒトがいたのだ。
きっと、彼はそんな出来事をおぼえちゃいないだろう。
蹴った理由も、『視界にうざいのがいた』くらいだったに違いない。
蹴ってもよさそうな男がいたから、蹴ったのだと。
だけど、それでも、ヨシノにはそれで十分だった。
――あたしが逝ったら、せんぱいがひとりになっちゃう……!
一気に意識が現実に戻ってくる。
どうにかして逃げないといけない。
だけど、足は震えて動きそうにないし、ホーンピッグの角は一秒ごとに迫りくる。
避けられそうにない。
そんなヨシノをホーンピッグから救ったのは、一発の蹴りだった。
『パワー強化:B』から繰り出される強力な足裏が、突進するホーンピッグの横っ面に前蹴りで叩き込まれたのだ。
二メートル近い体躯のブタが、大きく体をよじって倒れる。
突進中に横から強い衝撃を受ければどうなるか。
転倒したホーンピッグは、地面を滑るように勢いよく転がり、バキバキと茂みの枝を割って大樹の根に激突した。
「馬鹿な女だ」
と、蹴りを放ったその人は、いつも通りに言った。
「おまえ一人で狩りができるわけねえだろうが」
「せ、せんぱぁい……!」
「抱き着くな。邪魔だ。
――クソ、蹴りじゃ無理だな。剣貸せ、ヨシノ」
レイジが見る先、ホーンピッグがひっくり返ってじたばたしている。
ごるごる、と荒々しい鳴き声を喉から零し、怒り心頭といった風体だ。
すぐにでも起き上がるだろう。
「か、貸せって……せんぱい、その手じゃ」
「縄くらいあるだろ。巻け」
言われるがまま、包帯で固められたレイジの右腕に、細身の牙骨剣の柄を縄で巻きつけていく。
「……わかってんだよ。おれだって。
ヨシノ、おまえが覚悟キメてココにいるって」
「……うん」
「イコマもそうだ。
あのメスガキどもも」
気に入らねえ、とレイジが吐き捨てた。
「クソどもが。
だれもかれも、おれを馬鹿にしてやがる。
おまえだって――おれを殺せると思ってる」
ぎゅ、と縄をきつく締めあげる。
レイジの右腕に牙骨剣がつながった。
Bランクの剣士は、軽く手を振って固定を確認する。
「わかってんだよ。おれだって」
レイジはもう一度言った。
目は泳ぎ、ヨシノと目をあわせることもない。
「あんな風にはなれねえって。
おれにはなにもねえんだからよ。
信念ってやつか? ねえんだ、おれには」
ホーンピッグが起き上がり、身震いしながら突進の構えを取った。
「わかってんだ。
おれに、おまえの人生を浪費するほどの価値はねえって。
だから野垂れ死ぬ前に古都に帰れや、ヨシノ」
「いや」
即答する。
「せんぱいのそばにいるって、決めたんだもん」
まったく。
我ながら、馬鹿すぎて嫌になる――と、ヨシノは苦笑する。
「せんぱいがダメになったら、あたしが殺すって決めたんだから」
「……本当に馬鹿な女だな、おまえは」
ホーンピッグの突進に、剣の一閃が走った。
●
「それで、その後の追跡はどうなった?」
「申し訳ないのですが。夜間、交代の隙をついて撒かれました。
さすが『追跡:B』だけあって、逃げ方も心得ているようで」
「ま、仕方ねえな」
「おそらく、大阪方面だろうと思いますけど……探しますか?」
「いや、そこまでしなくていい。
人手が足りねえし、遠くに行くってんなら、ひとまずは安心していいだろ」
「それじゃ、追跡は打ち切りで?」
「ああ。一週間休息したら、通常任務に戻れ。
苦労かけたな、アキ」
「了解です。――いいんですよ、ミワ先輩。
私、こういうヒリついた密命系の任務が向いてるみたいですし」
「言うねぇ、甘っちょろい小娘が」
「大して歳離れてないでしょ。
……でも、やっぱりちょっと心配です。
古都を出るんでしょう? イコマ先輩も」
「大丈夫だろ。
世界は広いんだ、かち合うなんて偶然はねえさ。
それに、イコマの目的はダンジョン攻略だろ?
レイジがわざわざ危険地帯に向かうわけねえ」
「ですよね、そうですよね……」
自分に言い聞かせるようにして去っていく後輩を見ながら、褐色肌の悪人面が小声でつぶやいた。
「やっぱ、二人とも監禁すべきだったかぁ?
今後、どうなるかはお天道様次第だが……いい予感はしねえなぁ」
ともあれ。
次になにかが起こるとき、事態の中心は大阪に違いない。
ヨシノちゃん視点なので、レイジが美化されていますが、ちゃんとクソ野郎なのでご安心ください(ご安心くださいってなに?)
今後も敵対しそうな雰囲気ですが、単純にそういうわけではない(もちろん味方でもない)展開を考えていますので、お付き合いいただければ幸いです。
さて、次回より二章開始です。
二章【退廃のなにわダンジョン】編、タイトルは仮題ですが、よろしくお願いいたします。




