62 エピローグ
古都から徒歩で三日ほどの場所に、大きな自然公園跡地がある。
自然公園の目玉は、湖の湖畔に建てられたロッジだ。
文明が崩壊した今となっては使えるものは少ないけれど、逆に言えば使えるものも少数ながらちゃんと残っている、ということ。
そのロッジのひとつに、僕らはいる。
手作りのバリケードに囲まれた、木製のロッジに。
「……はい、今日の治療は終了です。
お疲れさまでした、カグヤ先輩」
整備し、改装し、物資を運び込んだそこは、僕の最初のサバイバル拠点であり――いまは、カグヤ先輩の療養施設である。
「……ひゃわー」
ベッドに仰向けになり、真っ赤な顔で震えるカグヤ先輩が顔を両手で押さえて変な声で鳴いた。
先輩が胸部に受けた傷は大きく、牙骨剣の傷口を引き裂く特性もあいまってひどいものだった。
だけど、レンカちゃんたちの必死の処置と、僕のちょっとした秘策によって一命をとりとめたのだ。
古都で一週間の集中治療をしたあと、先輩たっての希望でこのレイクキャンプに移動してきた。
療養のために――二週間の予定だ。
傷はふさがったとはいえ、体力の落ちた先輩を背負って歩くのはけっこう大変だった。
いまはもう、ベッドの上で身もだえできるくらい元気になったけれど。
「まだ慣れないんですか、カグヤ先輩」
「慣れるわけないでしょおっ!?
こんな、お、おっぱ――胸の間の傷を、その、舌でぺろぺろ……はわわ……」
いっそう真っ赤になったカグヤ先輩は、毛布をかぶって隠れてしまった。
わざわざ古都から遠いこの場所を選んだ理由は『他人の目が恥ずかしすぎるから』である。
「まったく。いったい、なにが恥ずかしいっていうんですか。
ただ、純然たる治療行為として傷をぺろぺろ舐めつくしているだけじゃないですか!」
「いっくん、たまに思考が妙な回路で繋がって認識バグるときあるよぅ……」
バグるとは失敬な。
「ま、まあ……いっくんの『傷舐め:A』には助けられてるから、文句は言えないけど。
効果はてきめんだし。もう傷もほとんど見えなくなってきてるし」
「ですね。魔石を使った甲斐がありました」
そう。
僕はスケ鹿から得たBランク魔石ひとつで『傷舐め:C』をBランクに上げ、さらに呪竜ドウマンがドロップしたAランクの魔石を使って『傷舐め:A』に進化させたのだ。
もったいないとか言っていられなかった。
とにかくカグヤ先輩を治すことしか考えられなかったし、そのことについては連合軍のみんなも「仕方がない」と納得してくれている。
レンカちゃんに至ってはこう言っていた。
「むしろ、唯一の正解だったと思いますの。
古都の再開拓は『農耕:A』に依存することが前提ですもの。
ここでカグヤ様を失えば、わたくしたちは苦しい生活を余儀なくされていたでしょうし。
ひょっとすると、せっかく奪還した古都の人口を支えきれずに崩壊していたかも」
とっさにやっちゃったことだけど、よかったらしい。
伝説級のぺろぺろは効果が高く、致命傷かと思われたカグヤ先輩の傷をふさぐだけでなく、どうやら内臓や骨も癒しているようだ。
「ただし、だからといって衆人環視の中でいきなり乙女の谷間に顔を突っ込むのは刺激的過ぎましたけれど。
そろそろわたくしも舐めていただかないと、置いていかれっぱなしですわねぇ」
「レンカちゃんは怪我してないじゃん」
「たしかに汚されておりませんけれど、ええ。
そのえっちでテクニカルな舌に。
――えっちでテクニカルな舌に汚される!? そんな、いやらしい!」
ともあれ、結果として僕たちは全員無事に古都攻略を終えて、こうしてロッジでひと時の休息を享受していた。
古都奪還戦争が終わってから、もう二週間が経ったのだ。
レイジとの戦いは、僕が彼の両手を切り落とすことで終わった。
Bランクの剣士はもう剣を握ることはなく、だれかを切り裂くこともない。
過激な一部の大衆は、彼の死刑を――本当に過激だ――求刑したけれど、レンカちゃんとミワ先輩、そして刺されたカグヤ先輩自身が強く突っぱねた。
そんな彼女たちの決断に、僕は敬意を表したいと思う。
レイジは死刑ではなく、古都からの追放処分になった。
奇しくも僕がレイジに食らった仕打ちと同じ。
両手を失った彼には死刑と同等ではないかと思ったけれど、寄り添う女性がひとりいたから大丈夫だろう。
「あたしが支えます。
もしまたせんぱいがダメになったら、あたしが……正します。
今度こそ、ぜったいに」
そう言って、彼女は丁寧に頭を下げた。
どこへなりとも行けばいいさ。
誰にだって再起のチャンスは与えられる。
寄り添いあい、信じあえるなら――きっと。
ああ、そうだ。
ちなみに、だけど。
ロッジにいる『僕たち』というのは僕とカグヤ先輩だけでなく――。
「お兄さん、ぱい舐め終わった?」
「ぱい舐めって言うんじゃないよ!
治療だよ、治療! 健全!!」
――ひょこ、と窓から顔を出したナナちゃんを含む。
護衛として、レンカちゃんが僕らにつけてくれたのだ。
付け加えるならば、古都奪還戦争連合軍のエースとして働き詰めだったので、その休息も兼ねている。
古都の再開拓は、ひとまずレンカちゃんたちに任せて、僕らはちょっと休みなさい……ということらしい。
「あー、カグヤさん。また毛布被っちゃって。
ホントはぺろぺろされて嬉しかったくせに」
「う、うれしくなんかな――いこともないけどっ!
でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぅっ!?」
「既成事実だと思って開き直ろうよ。
私と仲良くシェアする感じで」
「そ、そんな……日本はそんな制度じゃないよ!?」
「そう? なら私が独占しちゃうよ?
それなら制度に則ってるし、別にいいよね」
「だ、だめだよぅ、やっぱり私のぶんも残しといて!」
ケーキみたいな感覚で僕をシェアしようとするな。
貴重な治療要員だっていうのはわかるけどさ。
こんなやり取りにも、なんだか馴染んでしまった僕がいる。
窓から身を乗り出すナナちゃんを見ると、その向こうに白い雲が浮かぶ青空が見えた。
平和って、こういう風景を言うんだろうな。
「……もう二週間になるんだね。
あの戦争が終わってから」
「古都で一週間、湖畔で一週間だから……そうなるね」
ゆったりとした無言が少しの間だけ流れて、それからカグヤ先輩が言った。
「平和、だね」
うん、と頷く。
だけど、だれも続きを言わない。
わかっているのだ。
まだ真の平和は遠いのだと。
●
古都奪還後、ドウマンが消えた影響か、野生のモンスター……特にギャングウルフ等の人類敵対種の数がめっきりと減った。
これは非常にありがたいことでありつつ、しかし、モンスター増加が止まらない方角があった。
西方向だ。
特に県境を越える山あたりから、増加が著しい。
関西大都市圏――つまり、大阪方面では、モンスターが増え続けている。
ドウマンは斃れた。
僕らが見送った。
だけど、竜はほかにもいて、彼らもまたドウマン同様に目覚めつつある。
二年前の文明崩壊、人類との大戦争を経て傷ついたドラゴンたちが目覚め、その影響でモンスターの数が増えているのだろう。
竜が仕掛けた遊戯は、二年前から続く長いイントロを終えて、ようやく動き出したに過ぎないのだ。
むしろ、これからが本番。
人類がゲームをクリアするか。
ドラゴンがゲームオーバーに持ち込むか。
人類が弱々しい生命をベットして、伝説の怪物たちと知恵と力と勇気と無謀の比べっこ。
そういう戦い。そういう遊び。
そういう、儚い命の弄び。
古都奪還戦争は終わったけれど、ヒトと竜の戦争は始まったばかりなのだ。
各地のダンジョンを野放しにすれば、いずれモンスター増加は深刻な集団暴走を招き、人類は対応しきれなくなるだろう。
攻略するしか、道はない。
湖のまわりをリハビリがてら三人で歩く。
ぺろぺろ治療でカグヤ先輩の傷は大方治っているとはいえ、大量失血と治癒による体力の低下、消耗は避けられない。
僕はてくてく歩きながら、昼過ぎの熱っぽい空気を吸い込んだ。
「……もう六月も半ばだね」
「文明崩壊前のほうが暑かった気がする」
「文明が樹林に呑まれたからだよぅ。
植物が大量に増えて、アスファルトを覆ったから」
カグヤ先輩の言葉に、ナナちゃんが「なるほどー」と頷いている。
「七月には、もう……古都に戻れますよね」
「……戻りたくないよぅ」
カグヤ先輩が顔をそっぽ向けて呟く。
「まだ恥ずかしいんですか?
もう諦めてくださいよ、先輩がいないと古都の人口支えられないんですから。
これから、西からも東からもたくさんの避難民が来ると思いますし」
「……うん、わかってる。
だけど、その、ね?」
さんぽルートから逸れて、先輩が湖に近寄った。
湖面には、ざわめく樹林と、壊れたアヒルボートと、青空と、太陽と、それから先輩が反射している。
「私が戻ったら、いっくんは行っちゃうんでしょ?」
「……わかりますか」
「わかるよ。先輩だもん」
先輩がしゃがみ込む。
泣き笑いみたいな顔も、湖に映った。
「いっくんは、A大村に必要なヒトだったよ。
いっくんは、古都に必要なヒトに違いないよ。
それから、いっくんは人類に必要なヒトでもあるんだよ」
「それは言い過ぎですよ、カグヤ先輩」
「ううん、言いすぎじゃない。
私、わかるよ。先輩だもん。
いっくんはね、きっとこれからもたくさんのヒトを助けるの。
私の手の届かない所へ歩いていっちゃうの」
だったら、一緒に行きましょうよ――とは。
とても言えない。
先輩は大人だから。
僕の子供っぽさに付き合わせるわけにはいかないのだ。
「……大丈夫だよ、カグヤさん」
なんというべきか迷っていると、ナナちゃんが、すっとカグヤ先輩の横にしゃがみこんだ。
湖面に映る顔が二つになって、そのうちひとつはカメラを構えている。
「私がね。ちゃんと、連れて帰ってくるから。
一緒に行って、一緒に旅して、戦って。
写真もたくさん撮って、思い出を持って帰って。
それでたくさんたくさん、一緒にお話しして、しゃべりつくしたら、また旅に出るの。
行って、助けて、戦って。帰って、笑って、また行って。
そうやって、何度も何度も、この日本を、地球を……隅から隅まで歩きつくすの」
ぱしゃり、と音がする。
「これが、その一枚目。
容量なら心配しないで、カードはお兄さんがいくらでも『複製』してくれるもん」
くすり、とカグヤ先輩が目じりを拭って笑った。
「つまり、シェアしてくれるんだね。
ナナちゃんは。
思い出と、いっくんを」
「うん。もうハッシュタグも決まってるんだよ?
そうだよね、お兄さん」
僕も近寄って、二人の後ろから湖面を覗き込む。
凡庸で、ぼんやりしていて、童顔で、子供っぽい顔が映りこむ。
僕が笑うと、水面に映る顔も笑う。
子供みたいに頼りない笑顔。
だけど、この子供っぽさと一生付き合うって決めたのだ。
辛い道でも、苦しい道であっても。
それが唯一、僕が目指す人間としての在り方だから。
そういえば、ハッシュタグを決めたのもこの湖畔だったっけ。
気取ってて、狙いすぎてて、だけど僕は決して嫌いじゃない。
そんなハッシュタグが、僕らの旅のお供になる。
口に出すのはちょっと恥ずかしいけれど、旅の恥は搔き捨てというし、これが記念すべきひとつめの恥ずかしさというわけだ。
こほん、と咳払いをしてから、そっと舌の先に言葉を乗せる。
「――『壊れた地球の歩き方』っていうんです」
この致命的に壊れてしまった地球の上で、頼りない足取りで、だけど一歩ずつ。
歩いていく。
歩いていこう。
また、ただいまを言うために。
【#壊れた地球の歩き方 一章 了】
いい感じの読後感を与えたところで作者のクソ長い後書きが襲い掛かるぜ!!(台無し)
そういうわけで『#壊れた地球の歩き方』第一章「妬まれて以下略」の終了です。
十七万文字もお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
十三万文字予定が十五万文字予定になって最終的には十七万文字はさすがに無計画すぎたので反省します。
反省!!!!
ハイ反省しました。
久々の★マをさせていただきます。
よろしければ、下の評価欄から評価していってください。
つまんなかったら★1個、そこそこだったら★3個、楽しんでいただけたなら★5個。
そんな感じで、率直なご評価を頂ければとても嬉しく思います。
ブクマもしていただければ、次の更新も追いやすいはずですので、是非。
もちろん「オマエなんかには2ポイントたりともやりたくねえ!」という方は評価なし、ブクマなしで結構です。
ここから長めの後書きを。
不必要なヒトは無視してください。
「いい加減、テンプレのひとつくらい研究しないと」という焦りから考え始めた当作品ですが、ありがたいことに初の総合日間入りとかしてありがたい限りです。
みなさんのおかげです!! うれしい!! すき!!
僕もとても楽しく書けましたし、勉強になりました。
それについては別でエッセイとかに纏める予定です。
楽しかった反面、掘りきれなかったキャラも多いため(ミワ先輩とか)、しばらくはゆっくりペースで、幕間で掘り下げ掌編を入れていきたいと思います。
一章と銘打っていますが、二章以降は一切なにも考えていないので未定です。
「人気出たら続けられるようにしとこ!」と軽い気持ちで設定したので、いくらでも続けられますが、マジで人気出るとは思ってなかったので、創作完了によるへろへろ感が抜けたらまた考えていきます。
あと、だいたいの方はお気づきかと思いますが、古都のモデルは奈良県奈良市、平城京とその他の史跡群です。
時勢が時勢ではありますが、もしもご興味ある方は是非観光にいらしてください。
こんな時期でも鹿さんたち(敵ではない)はのんびり暮らしています。
え? オススメの施設ですか?
隣の府にユニバーサルな遊園地があります。
長い後書きになりましたが、この後書きに、そしてなによりも当作品にお付き合いいただいたことに、重ね重ねの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます!!
これからもよろしくお願いできたら……嬉しいなぁ……。




