60 閑話 レイジ、凶刃を振るうまで
二か月前――古都奪還戦争が始まる直前のこと。
レイジは怒り狂っていた。
A大村の前で、自分を避けて荷物を運び出す村民の群れ。
守護班のミワにやりこめられ、行き場を失って立ち尽くしていた。
なにがレイジの怒りをさらに高めたかと言えば、
――だれもおれを見やがらねぇ。
だれもかれも、レイジを見ようとしないのだ。
目を逸らして、まるでレイジがいないかのように通り過ぎていく。
腫れもの扱いだ。
Bランクのスキルを二つ持ち、A大村で一番のハンターであるレイジが。
だれにも無視できないはずの存在が。
これではまるで、
――おれの価値がねえみてえじゃねえか……!!
腹の底で怒りがぐるぐると渦を巻き、そこから伸びあがった熱量が脳まで届いてばちばちと音を立てているような感覚。
顔をうつむけ、歯を食いしばり、激情がおさまるのを静かに待つ。
――殺す。
イコマは殺す。かかわったやつらも全員殺す。
――殺す……ッ!
だが、いまじゃない。
タイミングが違う。
レイジの脳の端の、卑屈で狡猾な部分が囁いている。
機が熟すのを待つのだ、と。
ぶはぁ、と大きく息を吐き、レイジはゆっくりと顔を上げた。
「せ、せんぱぁい……?」
「ヨシノ、準備しろ。行くぞ」
「い、いくって……どこへ?」
噛みしめすぎて血が垂れた歯を剥いて、レイジは獰猛に笑った。
「アイツらンとこに決まってんだろ」
それから、レイジとヨシノはA大村からいささかの物資を無許可で持ち出し、大樹林の中へと消えていった。
静かに――腹の底で激情を熟成させながら。
以降、彼の姿を見たものはおらず。
ゆえに彼は少しずつ忘れられていった。
実際には、すぐ近くにいたというのに。
旧市街地の仮設キャンプから、ほんの十キロも離れていない、崩壊した民家の中で。
聖ヤマ女村のキャンプを遠巻きに観察しながら、レイジは怒りをため込んでいた。
「せんぱぁい、あの女のコトなんてもう忘れようよぉ……」
「うるせえ。調べは付いたのか」
ヨシノをキャンプに潜り込ませて、情報を集めさせた。
レイジを嵌めた首謀者は聖ヤマ女村の代表、レンカだ。
それは間違いない。
あのメスの性格、能力的にそれくらいは企む。
だが、この移民計画の主導者はカグヤだという。
――裏切りやがって……!
目を掛けていたのに。
A大村で一番のメスに、A大村で一番のオスであるレイジがアプローチを掛ける。
それのなにが不満だったというのか。
あのメスは、よりにもよってパクリ野郎を選んだ。
――死刑だ。そんなにイコマがいいなら、二人一緒に同じ所へ送ってやる。
だが、問題は可能かどうか、だ。
「警備はどうなってる」
「……いつも護衛が付いてる。最低でもふたり。
そうじゃなくても、周りはヒトでいっぱい」
「だろうな。
腐っても、腐り落ちても、Aランクのメスには違いねえ。
パクリ野郎はどうした」
「ええと……いなかった」
「いねえわけないだろうが!
ちゃんと調べやがれ!」
怒鳴りつけると、馬鹿な女が泣きそうな顔で縋り付いてくる。
「だ、だって本当にいなかったんだもん!
どっか行っちゃったんだよ!
せんぱぁい、もうやめようよぉ!
こんなの犯罪だよぉ!?」
ぶん殴って黙らせた。
――犯罪? 誰がおれを裁くってんだよ。
国はない。
法はない。
罪もなければ罰もない。
そんなことはとうにわかっている。
みんなわかってる。
だからレイジに着いて来ていたのだ、とも。
レイジが好き勝手しつつも一線を越えなかったのは、大衆というヒトの群れから弾かれたら生きていけないと理解していたからだ。
大衆もわかっているのだ。
だから、レイジやカグヤという『強い柱』に頼った。
群れが群れであるために、集まるための旗印として。
だが……その旗印が、弾かれた。
もう一本の旗印によって。
異物として押し出され、レイジの居場所は大樹林の中の小さな廃墟になった。
たくさんいた部下どもは、いまやバカ女一人になってしまった。
――おかしいだろうが。
おかしい。
理不尽だ。
なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。
レイジの中の怒りは、静かに、けれどマグマのように激しく熱く、ぐつぐつと沸き立つ。
身勝手な激情が、彼の中でだけは正しい独りよがりな義憤へと変換されていく。
――あいつらは嘘つきだ。
戦争を起こす?
わざわざ自分から攻め込む必要がどこにある。
古都に住む?
A大村という城があるのに、なぜ移住するのか。
どう考えても必要がない。
だって、あそこはレイジにとって居心地のいい城だったというのに――!!
みんなは騙されているのだ。
そそのかされているのだ。
イコマに、カグヤに、レンカに、ミワにアキにフジワラに聖ヤマ女村のメスどもにその他大勢のクソどもに――!
――証拠もある。
マコとかいう『複製』使いが連合軍を率いていると、ヨシノが言った。
間違いなく、イコマだ。
なにかしらの手段で女に化け、みんなを騙して従わせているのだ。
嘘つきだ。嘘つきは、悪者だ。
ならば、その悪者と敵対するレイジは善の者だ。
内心で自己正当化を繰り返す。
言葉を掛けるものがヨシノしかおらず、その言葉に耳を貸すこともなければ、感情がどんどん煮詰まっていく。
煮詰められた感情にあわせて、彼の中で理屈が飛躍する。
そうやって何日も過ごしているうちに。
いつしかレイジは『これは己の使命である』と直感するに至った。
イコマたちを殺すのは、単なる復讐ではない。
A大村のみんなのため、ひいてはこの世界の秩序のためである、と。
イコマたちを殺せば、大丈夫、元通りになる――。
レイジはそう思った。
以前のようにA大村で過ごせるはずだ。
――あいつらも今さら戻るのは気まずいかもしれないが、そこは寛大に許してやろう。
だって、騙されたやつらは悪くないのだから。
悪いのは騙したやつらなのだから。
レイジは情報を集め続けた。
一ヶ月半、ずっと。
「……他の村からも移民が向かってるんだな?」
それが最後のピース。
意外にも――いや悪辣な者どもが卑怯で邪道な手段でも用いたのだろうが、古都の攻略は順調で、他村からもどんどん移民希望者が集まっているという。
無言でうなずくバカ女を抱き寄せて、レイジは虎視眈々と策をめぐらせた。
殺すなら、アイツらの気が緩んでいるタイミングがいい。
いちばん安心し、警戒を解き、だれも命の危機など感じていないタイミング。
そこを狙う。
潜り込むのは、移民団だ。
仮設キャンプには、レイジの顔を知る者たちが多い――だが、他村なら?
他村からの移民に紛れ込み、古都の群衆にそれとなく合流し。
機会を狙い、事を為す。
「ヨシノ」
呼びかけると、腕の中でびくりと震える。
最近は顔面に布を巻いていることが多い。
怪我をしているのだ――それもこれも全部イコマが悪いに決まっている。
「……なぁに、せんぱぁい」
「『追跡』しろ。狙いはカグヤだ。
まずはあのメスからわからせる」
「……でもっ」
「あァ!?」
「――ひ、ぃ。は、はいぃ……」
震える声の返事を聞いて、レイジはにやりと笑った
大丈夫、きっとうまくいく。
だって、正義はこちらにあるのだから。
そして。
レイジは成し遂げた。
古都攻略完了後、戦争の緊張から解き放された一瞬を狙い、カグヤの胸を背後から突き刺すに至ったのだ。
レイジはそのとき、手元に返る感触にこう思った。
――意外とやわらけえんだな、人間って。
ヒトの肉はひどくあっけない。
思わず笑ってしまうくらいに。
「こんなやつおらんやろ」と「こういうやついっぱいおるな」の二つの印象がせめぎあう感じのキャラクターですね、レイジは。




