56 閑話 ドラゴン、まどろむ
大極殿の中に、うずくまるものがある。
金銀財宝を山に積み、その中央になかば埋まるようにして、眠っている。
それは竜。
それはドラゴン。
古都の主だ。
――ついにヒトが来たのう。
うつらうつらと、夢見心地の思考で思う。
王から古都を預かったのは二年前。
有史以来、幾度もヒトで遊んできたが、こうして現世に巣を張るなど幾千年ぶりだろうか。
古都の竜は、しかし、これこそが待ちわびた場所であると考える。
竜とは概念だ。
ヒトが考え、作り上げた『竜』という概念。
時に神として。時に悪魔として。時にはただの獣とされながら。
しかし、そのすべてにおいて共通の事実がある。
強者なのだ。
どの伝承、伝説、説話を見ても弱い竜はいない。
神であれ、悪魔であれ、知恵なき獣であれ、必ず『強いもの』として扱われる。
――わしらは力のシンボルなのだ。
地震や嵐、旱魃と同等の存在だ。
ヒトにはどうしようもない力の象徴。
虎や獅子もそうだが、あれらは実在する脅威からの連想に過ぎない。
結局のところ、獣に過ぎないし、その強さには上限がある。
だが、竜の強さに上限はない。
ヒトの想像から生まれた概念である以上、ヒトの想像力と同等の力を得る。
そして、ヒトの想像力は無限だ。
――もっとも、だからこそ負けるのだが。
強力な怪物であるからこそ、倒される。
倒されることで伝説や伝承、神話に『意味』を持たせる。
強大な障壁、巨大な難敵、『力』のシンボルである竜を乗り越えることで、討伐者の箔とする。
竜の伝説とは、つまるところ『竜を倒すものの伝説』に他ならない。
幻想における最強種にして、しかし常に敗北する当て馬。
それが竜。
だから、古都のドラゴンもまた、そのようにして負けるのだろうと考えていた。
――ドラゴンとしては弱いからな、わし。
サイズは五メートルと小さく、力は弱い。
Sランクの勇者が相手なら、まず負ける。
Aランクの戦士であれば、相性次第では負けるかもしれない。
それでいいと思っていた。
なんせ、この竜生は遊びなのだから。
――勇者に負けるもまた一興よ、とな。
大立ち回りを演じれば、爽快な命の終わりを迎えられただろう。
だが、実際に大極殿に辿り着いたのは、竜が想像していたような勇者のパーティではなく、寄せ集めの一軍であった。
取るに足らぬサルども。平均的な人類。勇者どころか戦士にも満たない村人の群れ。
黒髪の指導者、邪道の将に導かれてやってきたのは、そういう者どもだ。
――まこと、愉快な話よ。
力を分けた鹿の六将、中ボスとして配置したエルダーシカを倒さねば大極殿には入れない。
力なきヒトがどうやって辿り着いたのかと疑問し、確認してみれば、穴を掘って嵌めていた。
一週間も穴を掘り、土まみれの無様この上ない姿でありながら、格上に確実な勝利を収めていた。
思わず呆れ、しかしその事実を受け止めたとき、大笑いしてしまった。
おもしろい、と。
力だけの勇者などよりも、よほどおもしろい。
だって、力だけの存在など、竜と同じだ。
そこにあるのはただの比べあい。
大きい数字が勝つ勝負に、なんの楽しみがあろうか。
――弱者からの脱却、試行錯誤の積み重ねこそが、人類の歩みであるからな。
古都の竜は、ヒトが好きだ。
弱くて強い。脆くてしぶとい。愚かで賢い。
おもちゃとして、これほど適したものもない。
二年前、王に古都を下賜されたとき、竜は喜んだ。
この狭い島国で、もっとも古いといっても過言ではない霊地。
ヒトの歴史が詰まった街に、ヒト好きの竜の心が躍らなかったわけもない。
歴史と思いが積み重なったこの大極殿で十分に眠った。
あとはあの戦士たちが来るのを待つだけだ。
一度、撤退を許したが、次はない。
――三つ目の問いを終えれば、いくさの始まりよ。
勇者ではない。弱者だ。
だが、心根ある弱者だ。活路を見出し、一度は逃げおおせたのだ。
その弱さに敬意を表し、全力で喰らってやろう。
――いや、あの将ならば『問いを掛けずに攻撃する』といった手段を取るか?
三つ目の問いまでは攻撃しないという決まりだ。
そこを突いてくるかもしれない。
しかし、それでは『浅い』と竜は笑う。
――攻撃そのものを『問い』と考えればよい。『返し』は即ち反撃よの。
『三つ目の問い』という先制攻撃は許そう。
だが、初手で古都の竜を倒せなければ……。
――それが、彼奴らの最期よの。
黄金にまみれた口の端を釣り上げ、笑う。
ああ、その時が楽しみだ……と。
しかし、なかなかどうにも眠りが浅い。
――思考が止まらんな。
なぜだろうか。
期待感で眠れぬ、ということだろうか。
竜らしからぬ……と古都の竜は苦笑する。
浅い眠りから長い首を起こし、ゆっくりと目を開く。
まず視界に入るのは、朱塗りの柱だ。
大極殿はつまるところ神殿だ。
それゆえに、神秘性を高める外見を建築段階から求められていた。
太い柱に支えられた屋根を持ち、しかし壁は持たず、ただ広い広間のみで構成されている。
ここは朝廷であった。
政と神事を執り行なっていたのだ。
柱が朱塗りなのは、政治と結びついた宗教の特色だろうか。
いずれにせよ、立派な朱塗りの柱である。
竜ですら立派だと思うのだ。ヒトは誇っていい。
その柱に見慣れぬなにかが巻き付けられていた。
『……ぬっ?』
粘土のような、灰色の塊が柱に張り付けられ、それらを繋ぐ糸がぐるりと柱を回っている。
ペーストと繋がれた糸は、朱塗りの柱から柱へ渡り、すべての柱を繋いでいるようだ。
そして正面の階段を通り、大極殿前の広場へと長く伸びている。
『なんだ、これは……?』
首をかしげる。
こんな装飾はなかったはずだが。
そこで、音と匂いに気づく。
ヒトの音がする。ヒトの匂いがする。
大極殿内ではなく、外。
柱は外と中の境界も兼ねる場所。
竜の意識も薄く、ヒトがいると気づかなかった。
細工を施されても起きなかったのは、慢心か、向こうが気を使ったのか。
いや、起きかけてはいたが、まどろみを選択したのだったか。
ともかく、ヒトが柱になにかを巻きつけたのだ。
「あ、やべっ。起きてるわ」
思わず、といった様子で声が上がる。正面だ。
大極殿の階段に目をやると、ちょうど将が降りていくところだった。
細工を終え、階段を下りる段階で起きたドラゴンの気配に気づいて振り返り、顔を起こした竜と目が合った……の、だろうか。
竜も寝起きだ。しかもよくわからない状況だ。
推測を重ねつつ、ひとまず将に尋ねてみることにした。
『……邪道の。これはなんだ?』
「あー……まあその、つまるところですね」
将は困ったように笑って、右手を軽く挙げた。
指を立てて、よく見えるようにしっかりと上に伸ばしている。
振り下ろせば、号令か合図か、そんな風に見えるだろう。
そこまで考えて、ドラゴンは微妙な顔をし――ようやく、思考をはっきりとさせた。
『いや、待て。貴様、まさか――ッ!?』
「これがなにかと申しますと、要するに邪道です」
将が笑顔で右手を振り下ろす。合図だ。
それと同時に、
ゴパッ!!!!!!!!
と、竜の頭すら激しく揺らす激音が響く。
莫大な音圧が、寝起きの竜の頭を叩いて揺らす。
脳が揺れ、竜の視界がまばらに散っている。
すさまじい衝撃の中で、しかし意識を保ち続けるドラゴンは見た。
すべての柱が倒壊し、大極殿の内側に崩れ落ちている。
――これは……!!
ドラゴンは首を持ち上げて、上を見た。
予想通りの光景が広がっている――否、どんどん迫り来ている。
『くはッ! くははははははッ!
そう来たか、邪道の――ッ!!』
しびれる視界に、大極殿の屋根が落ちてくる。
高さは三十メートル近くから。
縦横四十四メートル×二十メートルの大きさの屋根が、激突した。
圧し潰す。
睡眠爆破には失敗したけど音爆スタンから落石ギミックは間に合ってよかったねイコマ君!
はやくしっぽきってやくめでしょ!
(まだボス戦続きます)




