43 また今度
それから二日で、軍の編成と武装の供給を終わらせた。
急ピッチではあるけれど、明日にはもう進軍開始予定。
旧市街地の仮設キャンプで最終確認を終えたころには、もう夜になっていた。
「……いい月だねぇ、マコちゃん」
カグヤ先輩が言って、笑った。
軍議場として設置した巨大な天幕を出れば、レモン型の月がよく見える。
「マコちゃんはやめてください、カグヤ先輩」
「あ、地声だ。
ダメだよぅ、バレちゃいけないんでしょ?」
「僕ら以外いないんですから、いまくらいは勘弁してください……」
たった今まで、天幕内でずっと喉を酷使していたのだ。
僕はいま、聖ヤマ女村に滞在する美少女客将、マコちゃんになっている。
なお、連合軍の中には当然ながら僕と面識がある人たちもいたけれど、だれにも気づかれなかった。
ヤカモチちゃんのメイクの腕がすごいのだ――と思おう。うん。
僕が苦い顔をしていると、カグヤ先輩がころころと笑った。
明日から戦争だけど、今日のカグヤ先輩はよく笑う。
いや、明日から戦争だからこそ、だろうか。
「……カグヤ先輩。このキャンプは――」
「うん、古都を落とすまで、ここは私が守るよ。
頼りないかもしれないけど、任せてね」
「いえ、そんなことは。先輩がいれば百人力です」
言うと、先輩はえへへと笑った。
ちょっとだけ、無言で月を見上げる。
「……あの、カグヤ先輩」
「なあに、いっくん」
マコちゃん、とは呼ばない。
……かなわないなぁ、本当に。
僕の纏う空気感だとか、語調だとか。
そういうものから、いともたやすく僕の気持ちを読み取ってしまう。
いつだってカグヤ先輩は、僕の先輩なのだ。
「明日、だれかが死ぬかもしれません」
「うん」
「運よくだれも死なないとしても、傷つかないなんてことは――ない。
だれかが死ぬかも。だれもが傷ついてしまうかも。
被害ゼロは……ありえない」
「うん」
そっと息を吐く。
春の冷たい空気の中に、頼りない呼気が溶けていく。
「それは僕の責任です。
負けるつもりはないですけど……」
「戦争だもんね」
この壊れた地球は、まるでゲームのように幻想的で、だけど僕らにとっては明確な現実で。
それはとても残酷なことだと、月の光を見上げて思う。
「レンカちゃんには啖呵を切ったけど、やっぱり彼女が正しいんです。
一番危険な――死にそうなところに自分を置きたいのは、僕の子供っぽさでしかなくて」
「そうだね。いっくん、子供だもん。おこちゃまだもん。甘ちゃんだもん。
自分の好き嫌いとか好奇心を優先しがちだよね、何事においても」
「う。なにもそんなに言わなくても……」
「えへへ。だけどね、いっくん」
カグヤ先輩が、僕を見た。
月光とかがり火に照らされて、小柄な先輩はやっぱり可憐に笑う。
可憐に――だけど、いつもより大人っぽい先輩の微笑みに、思わず見とれてしまう。
「いっくんの中にある『子供』な部分を捨てても、大人にはなれないの。
私もね。最近ようやく、ちょっとだけわかったんだけど。
『子供』を捨てたら、それは大人でも子供でもないひとになっちゃうだけ。
とっても寂しくて悲しい、ワクワクもドキドキもできないひとになっちゃうだけ」
「……じゃあ、大人になるには『子供』を捨てないまま、『大人』を手に入れないといけないんですか」
「さあ? わかんない」
そんな適当な。
「ホントの意味で大人なんて、どこにもいないのかもよ?
ただ、自分の中の『子供』とうまく付き合える――仲良くできるヒトがいて。
私たちは、そういうヒトを『大人』だと思うのかなって」
自分の中の『子供』と仲良くできるヒト。
ああ、そうか。
なんとなく、腑に落ちた。
笑ったり、泣いたり、怒ったり。
みんな必死に自分の中の激情と仲良くして、大人のふりして振る舞ってる。
どんどん上手になって、気づけば、ふりなのか、ホントなのか、わからなくなる。
だけど、そうじゃない。
自分の中の『子供』から目を背けたら、その時、本当に大人じゃなくなってしまう。
「……ありがとうございます、カグヤ先輩」
「ん。どういたしまして、いっくん後輩」
もう一度、月を見る。
まん丸ではない、欠けている。でもそれは見えないだけ。太陽の光に照らされていないだけ。
僕らもまた、あのレモン型の月と同じなのだろう。
「だれも死んでほしくないです。傷ついてほしくもない。
生きていてほしい。被害はゼロがいい。悲しいのは、いやです」
は、と息を吐く。
「……嫌われたくない。失望されたくない。
みんなと仲良くしたい。みんなを好きでいたい。
ううん、本当はただ、嫌いたくないだけなのかも。
他人を嫌うのは、痛くて、苦しくて、辛いから。
僕は痛いのも苦しいのも辛いのも、全部いやです」
これは、僕の子供っぽさ。
「だけど、現実はやっぱり、そうはいかなくて。
その子供っぽさと、そうはいられない現実と。
うまく付き合っていかなきゃいけないんですね。
忘れもせず、無視もせず。
僕の中の『子供』と、一生――ずっと」
月光は明るくて、透き通っていて、そして氷のように冷たい。
「いっくんなら、大丈夫だよぅ」
「そうですか?」
うん、とカグヤ先輩が言った。
「私がいるもん。だから、大丈夫。
百人力なんでしょ?」
そっと、手に触れるものがある。
小さくて、力強いとはお世辞にも言えなくて、だけど――とても温かい。
カグヤ先輩の手が、僕の指にしっかりと絡んだ。
「ね、いっくん。
月がきれいですねっ」
有名なセリフである。僕ですら知っているくらいに。
驚いてカグヤ先輩を見ると、先輩は少し恥ずかしそうに顔を赤らめて、ゆっくりと瞳を閉じ、おとがいを上げた。
僕は子供だけれど、その意味がわからないほどじゃない。
「ん……」
艶やかな唇に吸い込まれるように、僕は身をかがめて顔を近づけ――
「させるかあっ!」
しゅぱ、と差し込まれた薙刀の表面にキスをした。
冷たい金属の味がする。
「ふぅ、危ないところだった」
「いや危ねえのはこっちだよッ!
人と人の間に刃物を突き出すな!」
いつの間にか、天幕から出てきていたナナちゃんたちが傍らに立っていた。
「はわわ……せ、接吻だ……コウノトリさんが来ちゃうじゃん……!」
「あらヤカモチ、こないだの教育内容をもう忘れましたの?
いいですか、おしべとめしべが出会って五秒で――」
なんの話をしてるんだ、キミたちは。
いや、というか今の見られてたの!?
めっちゃ恥ずかしいんだけど!
「むぅ、いいところだったのに……」
カグヤ先輩が唇を尖らせて、僕の手をにぎにぎした。
こっそりと、しかしみんなに聞こえるようにカグヤ先輩が言う。
「……続きはまた今度ねっ」
「こら、手を離せっ! 油断も隙もないっ!
うう……やっぱりでかいのがいいんだ……!」
ナナちゃんはぷんすこ半泣きで怒っているけれど、まあでも……たぶん、先輩は結局、キスする気なんてなかったんだろうな、と思う。
また今度。
それが大事だ。
また会えると信じて、言葉を交わすことが。
だって、明日から――戦争なのだから。
「……つまり死亡フラグですわね?」
「やめろ! 縁起でもない!」
マジでやめろ。
僕はハピエン信者なのだ。
ハッピーエンド以外許さないからな。
「いや、あわよくばぶちゅーっと行くつもりだったよぅ?」
なお死亡フラグではないです。
タグをよく見ろ、ハッピーエンドだ。
(※ハッピーの基準には個人差があります)
次回、出陣です。
★マ★マ~!