36 閑話 カグヤ、覚悟を決める
レイジがA大村に戻る一週間前のこと。
カグヤの視界には、一枚の紙があった。
椅子に座ってうつむけば、視界のすべてがそれで埋まる。
聖ヤマ女村から届けられた紙には、ある作戦の詳細が記されていた。
――戦争なんて。
恐ろしいと、そう思う。
ゆっくり顔を上げると、疲れた顔のアキがいて、カグヤの返事を待っている。
移動だけで三日はかかる聖ヤマ女村から、往復四日で帰ってきたのだ。
疲れは当然あるはずだ。
けれど、帰ってきたその足で、真っ先にカグヤのもとに来た。
大事な話があったからだ。
「カグヤ先輩。気持ちはお察ししますが、ご決断を」
仲の良い後輩だ。
他班だが、プライベートでも親しく――それゆえに、彼女の性格は知っている。
意外と武断派で、はきはきしていて、
――とろい私とは大違い。
でも、だからこそ、カグヤと馬が合った部分もあるのだろうと思う。
カグヤが選ばない選択肢を、彼女は選んでくれる。
「私が断ったら、アキちゃんはほかの班長に声をかけるだけ。
それに極端な話、たとえ一人でもやるでしょ?」
聞けば、即、頷く。
迷いもしない。そのまっすぐさがとても眩しくて、少し怖い。
「カグヤ先輩の前で言うことではありませんが……いえ、カグヤ先輩の前だからこそ言いますが。
私はカグヤ先輩とイコマ先輩、お二人はお似合いだと思います。
見ていてとても癒されるペアだと。
だからこそ、カグヤ先輩にこの作戦を率いてほしいと思っています。
そして――正直、私はイコマ先輩にワンチャン感じていますから、役に立ちたいんです」
「ワンちゃん? イヌっぽいってこと? わかるぅ~」
微妙な顔をされた。ボケのセンスがないらしい。
「……わかってるよぅ、いっくん、かわいいしかっこいいもん。
この作戦なら、たしかにいっくんを助けられる……ううん、もっとすごいことだってできるはず。
だけど……戦争だよ?
ヒトがたくさん死ぬかもしれないんだよ?
さすがにその、覚悟が決まらないというか……」
「ヒトなら二年前に死にましたよ。たくさん。
そして、もしも集団暴走が起これば、またたくさん死にます」
「うぐぅ……」
わかる。わかっている。
――わかってるよぅ……。
だから、これはカグヤの『恐れ』なのだ。
本当になぜ、自分なんかが決断をしなければならない役職にいるのか。
ただ単に『農耕:A』を偶然持ったに過ぎない自分が。
土いじりしか能のない自分が。
「……指導者なんかじゃないんだよ。
ただちょっと畑いじりが好きで、『農耕:A』なんてスキルまで貰っちゃって。
代表の一人とか、生産系の筆頭とか言われるけど、それでもやっぱり私は……しょせん、二十二歳の子供なんだよ」
「もう成人済みなのに、自己の認識が子供なのはいかがなものかと……」
うるさいやい。
アキはため息を吐いた。
自分よりもよっぽど大人だけれど、これでA大村発足時は高校生だったというのだから驚きだ。
女の子は成長が早くてびっくりだ。
「カグヤ先輩は指導者に足る器であると、私は思います。
為政者としては足りない部分もあるでしょうが、先輩はヒトを導く才をお持ちです」
「おだてすぎだよぅ」
「いえ、おだててなどいません。事実ですよ。
だって、カグヤ先輩は――スキルが覚醒する前から、一人で畑を作っていたじゃないですか。
食糧が必要になるだろうから、って。
誰も動けなかった二年前、ただ一人、一歩を踏み出したのあなたですよ。
カグヤ先輩に指導者の資格がなくて、いったい誰にあるというのですか」
――そういえば、そうだったな。
言われて、改めて思い出す。
二年前。A大村が集落として成立するよりも前。
ほかのみんなが、まだ『そのうち国が助けてくれる』『いつか自衛隊が来てくれる』と言っていたころだ。
カグヤは眼前に広がる未曽有の大災害を見て、『そのうち』『いつか』が、はたしていつ来るのだろうかと考えた。
一週間? 一ヶ月? 半年? 一年?
わからない。
わからないから、カグヤは畑に着手した。
備えておくにこしたことはないと、直感したからだ。
収穫サイクルの早い野菜の種を農学部の研究室から拝借し、中庭のタイルを引っぺがして、手押し車で運び込んだ土をひたすら敷き詰めた。
ほんの数日後に、国という共同体が滅んだと知った。
自衛隊が来ることはないのだと。
どころか、彼らの多くは首都圏奪還のため、関東区に広がる一大ダンジョン地帯へ挑み、命を散らしたのだと。
文明は消え去り、人々は廃墟をさまよってサバイバルを始めた。
スーパーマーケットで食料を奪い合う人たちを尻目に、カグヤは中庭の一角を畑に改造し終わっていた。
一月後、収穫したミニトマトをA大学に集まった人々に配りながら、カグヤはほかのみんな同様スキルが自分に芽生えていると気づいた。
『農耕:A』――伝説級のスキルが、この身に覚醒していた。
先見の明。
たしかにあったかもしれない。
ただ、きっと必要になると思ったことをしただけなのだが。
――結果的に、そうだね。
先見の明はあったかもしれない。
だけど、ひとつだけ訂正がある。
「あのね、アキちゃん。
ひとつ、とっても大切なことを思い出したよ」
「大切なこと……?」
うん、と頷く。
「あの時、私は一人じゃなかったの。
タイルを剥がす時も、土を運ぶ時も、ミニトマトを植えたり、収穫するときも。
見ていた後輩の一人がね、手伝ってくれたの。
毎日大変ですね、手伝いますよって」
そうだ。
それが『始まり』だ。
一人じゃなかった。
いつだって、困っているときは――愛しい後輩が、いたんだから。
――うん。
一度、深く頷く。
「今度は、私がいっくんを手伝う番。
そういうことだよね」
「では、カグヤ先輩……!」
「うん、やろうっ。
戦争、やっちゃおうっ!」
カグヤは卓上の紙を手に取り、胸に抱きしめる。
手は震えるし、恐怖はあるけれど、覚悟だけは決まった。
「古都奪還戦争……人類とモンスターの、二年越しの大戦争!
私たちがすべき最初の作戦は――」
よくもまあ、こんな作戦を思いついた挙句、実行しようなんて思ったものだ。
苦笑してしまう。
聖ヤマ女村には、相当面白い子たちが揃っているようだ。
負けてられないなぁ、とカグヤは微笑む。
――だって、いっくんは私の後輩で、私はいっくんの先輩なんだから!
「――馬鹿の居ぬ間にA大村丸ごと亡命大作戦……!」
荒唐無稽な作戦って憧れませんか?
「★!」「マ!」




