38 最期
舞い上がった雪が、落ち着いたあたりで。
なにか、赤いものが動いた。
四つん這いになって、ずりずり雪上を動き、べちゃべちゃ赤い液体を口から吐き出して、そして。
やっぱり、いつも通り、満開の花が咲くみたいに笑った。
「げ、ごぽ……。あ、ははぁ」
――体の中、ぐちゃぐちゃだぁ。
動くたびに、体内のあたたかいものが口からあふれ出ていく。
でも、大丈夫だ。
――生きてるもん。
生きているなら、たいていのことはなんとかなる。
肘をついて上体を起こすと、またどろどろしたものが喉奥から湧き出てきて、雪を染めた。
――タマさんは……最後、気を失ったように見えたけど、ボクを仕留めに来ないあたり、まだ気絶中かなぁ。
近くの雪の中にいるのだろう、とは思う。
落下の衝撃で鼓膜がイカれたのか、耳孔に血が入ってしまったか、あるいは脳のほうに問題があるのかはわからないが、耳に集中してもざりざりしたノイズが聞こえるだけだ。
自慢の知覚能力は、もう頼りになりそうにない。
だが。
――『しんじゃえ』は、もう一発あるんだよねぇ。
ポケットの中に、もう一発、ある。
発射装置としてのライフルはどこかに行ってしまったが、タマの肉体に魔弾を押し付けた状態で、鉄パイプかなにかで信管部分を思い切り叩けば起動は可能だ。
無理やり上体を起こして雪上にぺたんと座る。
血がぼたぼた落としながら、震える腕をポケットにつっこんでまさぐる。
――でも、『しんじゃえ』を使おうが使うまいが、このままだとボク、冷たくなっちゃうなっぁ。それはイヤだなぁ。
『しんじゃえ』はまだ使わない。
先にポケットから引っ張り出したのは、黒くて丸い石だ。
水晶のような材質で、内部には黒いもやがぐるぐると渦巻いている。
――Aランクの魔石。ボクの『エルフ種:B』をランクアップさせれる。タフネスが強化されるだけでも万々歳だけど、魔力の扱いが長じて治癒なんかもできるようになれば、話は変わるよねぇ。
ああ、と熱い吐息を吐く。
ついでに血もこぼす。
――ボクってば、持ってるなぁ! 「案外ボクってば死なないかもよ」とは言ったけどぉ、ほんとうに死なないなんて!
あとは、この魔石を割るだけ。
震える指に力を入れて、落ちているがれきにでも叩きつければ、それでいい。
ハルは右腕を振り上げて、それから。
「――あえ?」
それから、すぱっ、と。
銀閃が煌めいて、ハルの右手がぼとりと雪の上に落ちた。
白い雪が、さらに赤く染まる。
混乱。困惑。痛み。……喪失感。
「あ……あっ? う、うぁ、ボクの……ボクの手ぇっ!?」
慌てて上体を捻って後ろを見ると、だれかがいた。
そのだれかは、大柄な体格の男性だった。
両手の代わりに両の剣を取り付けた戦士でもあった。
そいつはおもむろに口を開いて、言った。
「……なあ。痛いよなぁ、手を失うのってさ。手の痛み以上に、不安と喪失感で心が痛むんだよ。わかるぜ、おい」
その男は眉をひそめて、わざとらしく同情の表情を作った。
「おれも経験あるがよ、ひどいよなぁ。手なんて重要な器官、切り取られたらよぉ。困っちまうよなァ、エルフ女ァ」
「レイジ、さん……」
にんまりと、男は笑った。
「……ずるいねぇ、邪魔しないって言ったのにさぁ」
「俺が本州に行ければそれでいいって言ったんだ、邪魔しねえとは……言ったか? ま、男の言うことなんて九割うそだ、信じたおまえが悪い」
ぼたぼた血を溢す手首を抱えるよううずくまりながら、ハルはレイジを見て微笑んだ。
「土壇場でタマさんを……げほ。助けに来るなんて、ねぇ。ルール違反だよ、ずるだよ。約束を守らないのは、悪いことだよぉ?」
レイジはイヤそうに眉をひそめた。
「助ける? 馬鹿が、クソガキの勝敗なんぞ知ったことかよ。おれの狙いは……」
ハルの右手を蹴り転がして、剣先で指を切り裂く。
転がり出てくるのは、未使用のAランク魔石。
「こっちだ。決まってんだろ」
さすがのハルも、少しあっけにとられた。
――もしかして、最初から……。
「……くく、あはぁ。囮にしたんだねぇ、タマさんのこと。ボクと戦わせて、ボクが弱ったところで魔石を奪う作戦だったんだぁ」
「ああ。おれとアンタじゃ、おれの勝率はいいとこ四割だ。加えて、札幌はアンタのホーム。まず勝てねえ。だが……」
レイジは得意げに鼻を鳴らした。
「スペックだけなら、おれより強いやつがいる。しかも毎日すくすく成長中のバケモンだ。だったら、おれ自身がアンタを倒す必要はねえ。倒せる奴が、倒せばいい。スマートだろ?」
「だから、タマさんを囮にぃ? ごふッ……ボクが勝つ可能性だって、あったよぉ? 現に、レイジさんが来なかったら、僕はタマさんを殺せてたと思うけどぉ」
左手を、こっそりと腰の後ろに回す。
――まだ、あるよねぇ。
「勝っても負けても、てめえが消耗すんのは確定だ。多少は縁のあるガキだからな、殺されんのはしゃくだが……この通り、簡単に殺されるようなガキじゃなかった。囮に最適だな、あのクソガキ」
「レイジさん、さぁ。倫理的に最低なことしてるって、わかってるぅ?」
「てめえに倫理を説かれたくねえ、クソボケサイコ殺人鬼。それと……時間稼ぎのおしゃべりはもういいのか?」
ぎらり、と剣がひらめいて、ハルがとっさに構えた左手を切り落とした。
隠し持っていた小型の拳銃が、左手首と一緒に落ちる。
これでもう、完全に反撃の目は失われた。
「おら、両手なくなったな。おれとおそろいだ。うれしいか? てめえは剣じゃなくて銃口でも埋め込んでみるか?」
血を流しすぎたのか、思考が鈍化してきた。
痛みもほとんど感じない。
「……ボク、これで……終わりなの? ボク、死ぬの?」
「そうだ。てめえは、ここで死ぬ」
ハサミみたいに、両剣が構えられる。
首に添えられて、あとは刃を閉じるだけで、ハルは終わる。
――そっかぁ。
ハルはいつも通りに微笑んで……いや。
微笑むのをやめて、ぼんやりと空を見上げた。
「あーあ。だったら、一回くらいさぁ。ふり、じゃなくて……。人間に……人間にさ」
呂律も回らなくなってきた。
かすむ視界に、雪に滲む己の血の色を見る。
周囲、ほとんど真っ赤になっている。
――ボクの中にも、こんなに『あったかいもの』があったんだなぁ。
「一回くらい、ほんとうの人間にさぁ……。なって、みたかったなぁ……」
言ってから、目を閉じて、死を待つ。
……けれど、刃は閉じなかった。
不審に思ってまぶたを上げると、苦虫を嚙み潰したような顔で、レイジが刃を引いた。
「クソがよ。馬鹿な女は殺さねえ主義だ」
「そっかぁ」
この男も、馬鹿な男なのだろうな、と思う。
「じゃあ、助けて、くれるのぉ?」
「知るか。勝手に野垂れ死ぬぶんには、知ったこっちゃねえ」
「ひどい男だ、ねぇ」
レイジがきびすを返して歩いていくのを見送って、ハルは雪上にうつぶせに倒れ込んだ。
もう、一歩も動けそうになかった。
――あ。
はらはらと雪が降ってきている。
札幌の雪は冷たい。
肌にあたる雪は、しかし、すぐに体に覆いかぶさったものによって遮られた。
八本の脚を持つ巨体を傘代わりにして、ハルを守るもの。
「ヤウシ。……あは、きみは最後まで、一緒にいてくれるんだね」
カチカチと顎が鳴る。
白い複眼が、推し量るようにハルを見た。
「……うん、いいよ。ボク、もう、さいご、だか、ら……」
ヤウシの複眼に、静かに目を閉じるハルが映って。
そして、すぐに動かなくなった。
★マ!
たぶん次で五章が終わります。
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