37 フィニッシュムーブ
――この魔弾は避けられへん。
そう、理解した瞬間。
視界がやけにゆっくり動くようになって、でも身動き一つ取れなくて。
おそらく、ほんのコンマゼロ一秒にも満たないような、刹那の時間。
走馬灯とも呼ばれる、その一瞬に。
タマは、ただ。
小さい頃のことを、思い出していた。
――パパがなぁ。
ほんとうに、まだ小さくて。
病気がわかって、病院に入るよりも前の思い出。
――高い高い、してくれてん。
ふいに、そんな記憶がよみがえってしまったのは、浮遊感のせいだろうか。
思えば、父もよく跳んでいた。
次に思い出すのは、病室のベッドでテレビを見ている記憶。
実際に試合を見たことはないが、録画した試合を見ていた自分。
恥ずかしくて、父には毎日のように見ていたなんて言えなかったけれど。
――エルボードロップ。跳ぶもんなぁ、アレ。
父の必殺技。プロレスラーとしての決め技だった。
リングの隅のポールに登り、そこから高くジャンプして、ギロチンみたいに肘を叩きつける技だ。
――聞いたこと、あったなぁ。「なんでわざわざ跳ぶん?」って。跳ばんでもできる技やのに、あんなところからジャンプして。
しかも、飛び込む先には人間がいるのだ。
ひとつ間違えば、自分も相手もひどく傷ついてしまうのに。
聞かれた父は、誇らしげに笑った。
その笑顔が特徴的だったから、父がなんと答えたのか、タマはしっかりと覚えている。
『やって、跳んだほうがぜったいにカッコええやろ? 跳ぶんは怖いけど、気持ちええしな。せやから、跳ぶねん』
そのときは、呆れてしまってけれど。
いまならわかる。
――ああ、たしかに……。
この浮遊感は、病みつきになる。
そして。
タマの竜角が、ひときわ強く輝いた。
鈍化していた意識と視界が、現実に追いついていく。
目を見開く。全身から魔力があふれ出る。
ほんの一瞬にも満たない時間のあと。
タマ目がけて放たれた魔弾が……遠くの廃ビルの外壁にあたって、弾けた。
通常、空中ではありえない急制動によって、タマは死の弾丸を回避したのだ。
その事実に驚いたのは、タマ自身もだった。
「……避け、れた?」
首をかしげる。なんなら、自分は空中に浮かんでいる――否。
「私、飛んどる……?」
首をかしげて背中を見れば、真っ黒な両翼が生えていた。
爬虫類のような鱗と、鳥みたいなふわふわの羽毛と、燃え盛る黒い炎で形成された、タマだけの翼。
ばさばさと羽ばたかせるごとに、魔力を含んだ暴風を巻き起こしながら、たしかに飛んでいる。
倒れたテレビ塔に視線を戻せば、ハルがぽかんと口を開けてから、困ったように微笑んだ。
「……ずるいなぁ、子供は。可能性に溢れててさぁ」
それから、がしょん、と震える手によるリロードが入る――よりも、さらに速く。
タマの翼が、羽ばたいた。
空中からの突進が、ハルの肉体を捉える。
衝撃。鉄骨の上から、もつれ合った二人のシルエットが落ちていく。
――もう、逃がさへん!
両手で抱き着き、そのまま、翼をはためかせる。
目指すは、空。高く――高く!
――どうせやったら、高く飛んだほうが気持ちええねんからな!
そのまま、建っていたころのテレビ塔よりも高いところまで上昇して。
タマは、ハルを突き放した。
ふわり、とエルフが宙に浮いて、落ちていく。
満身創痍のサイコパスは、血を吐きながら微笑む。
「……げぽ。あは、はぁ。落ちても、案外ボクってば、死なないかもよぉ?」
「あほか。こういうときはな……フィニッシュムーブで締めるに決まってるやろ」
言いながら、タマもふらふらになっていた。
今日は、疲れた。
鱗を黒くしたり、腕や足にリソースを回したり、挙句の果てには空まで飛んで。
翼のはばたきごとに魔力をごっそり使うから、あまりコストのいい飛行とは呼べない。
少なくとも、このあと三日は休まないと、空を飛ぶのは無理だろう。
だから、最後だ。
これで決める。
「ハルさん、エルボードロップって知ってるか?」
空気を叩くみたいに激しく翼をはためかせ、加速を重ねながらの急降下。
「くッ、あははぁッ! 知らないよぉ!」
ハルが苦し紛れに振り回したライフルを、ぎゅるりと翼ごと身を捻って回避する。
その回転の勢いのまま、肘をハルの胸部に叩きつけた。
割っちゃいけない骨が割れる音がした。
「がッ!」
「せやったら、教えたる」
本来は、マットに倒れた相手に、ギロチンみたいに肘を叩きつけて使う技だけれど。
きっと、とてもへたくそで、プロと比べたら幼稚な一撃だろうけれど。
「これな。世界一カッコいいフィニッシュムーブやねんで」
空中から一直線に、もつれ合ったまま、流星のように落ちていく。
役目を終えた翼が鱗と羽毛に分離して、尾を引くみたいに散っていく。
――やっぱりパパに、もっかい会いたいなぁ。
目じりに浮かんだ涙は、しかし、高速落下の風圧ですぐにどこかへ消えていった。
肉体的な疲れだけでなく、精神的にも相当疲れているらしい。
魔力や想像力のリソースも、使いすぎたようだし。
ほとんど意識を失いながら、タマとハルが大通りに落下した。
ぼふんッ! とひときわ強く、雪が舞い上がって。
それで、終わった。
★マ!
あと二話か三話くらいで五章終わるかもです。
なお「アダチのフィニッシュムーブがエルボードロップ」というのは、五章でこの展開がやりたかったので書籍二巻で追加した設定です。




