18 やぶをつついて蛇を出す
ダンジョンの消えた札幌は、ほかの地域がそうなったように、敵性モンスターが少ない。
それこそ、大通公園のど真ん中に陣地を広げてもなんとかなる程度には。
ただし、札幌に潜む野生の脅威は、モンスターだけではない。
ハルは荷ほどきをしながら、あっけらかんと言った。
「ヒグマは普通に出るよぉ」
「くまさん、おんの!? 見たい!」
目を輝かせるタマと対極に、レイジは心底いやそうな顔になった。
「モンスター出現後も生き残ってんのか、ヒグマは」
「うん。ホムラセッコ程度なら返り討ちにしちゃうし、むしろ増えてるんじゃないかなぁ。ヒグマの天敵って、武器を持った人間とトラらしんだけど、北海道にトラはいないからねぇ」
ハルは荷物から顔をあげて、のそのそと雪に潜り込むヤウシを指さした。
「ヒグマと正面から戦えるモンスターは、たぶんイテツチグモくらい。ヤウシはかなり大きい個体だから、そんじょそこらのヒグマには負けないだろうけど、もう一回り小さかったらヒグマに食われたりするよぉ」
「くまさん、そんなに危ないん?」
「そっかぁ、タマさん、大阪のひとだったねぇ」
首をかしげる。
タマにとって熊は、ハチミツ好きのかわいい生き物の印象が強いのだが。
「札幌は、もともと自然が多いところでねぇ。札幌市内でもヒグマはよく出て……うん。すごく危ないんだぁ」
「……かわいくないのん?」
「体長三メートル、体重五百キロ近くに育つこともある、大型の肉食獣だからねぇ。人間も食べちゃう。鋭い爪と牙があって、木登りも得意。それが時速五十キロ以上で追いかけてくるの」
竜王のスキルシステムに換算して、パワーもタフネスもスピードもAランク相当だ。
いまのタマと正面から殴り合える。
……体格の差で、タマが負ける可能性も、十分ある。
「くまさん、こわい……」
「冬眠中じゃねえのか? 夏のハイキングじゃあるまいし、ばったり遭遇なんてことはそうないだろ」
「ヒグマって、冬眠しないのもいるの。そういうのは飢えで凶暴化してて、最悪なんだぁ。崩れたビルの中に巣を作ることもあるから、気を付けてねぇ。出発前に一匹は仕留めたけど、ボクがいない間にまた住み着いてるかも」
「わかった。ま、見て回れるとしても、せいぜい大通公園の周辺だけだろ。そう遠くには行かねえよ。ビルの中にも入らねえ」
「了解だよぉ」
そういうわけで、日が暮れるまで、少しだけ周囲を探索することにした。
レイジはタマについてくるらしい。
タマはきょろきょろ周囲を見回して、決める。
――あの倒れたテレビ塔、見に行こ。
「レイジさん、テレビ塔」
「あ? わかった」
笑顔のハルを置いて、雪の上を歩く。
雪上の歩き方も、この三日でずいぶん慣れた。
えっちらおっちら、しばらく歩いたところで、レイジがぼそりと呟いた。
「ヒグマの話。ありゃ、うそじゃねえだろうが、事実でもねえな。餌がなくて困ってるなら、ダンジョンの消えた札幌よりも、餌の……狩れるモンスターの多い地域に移動するはずだ。。やっぱりなんか隠してやがるぜ、あいつ」
レイジのぼやきを無視して、雪から突き出した傾いだビルのがれきに足を乗せたところで、タマは顔をしかめた。
「う。臭う……」
「死臭か?」
うなずく。
そこかしこから、濃密な死の臭いが漂ってくる。
雪の上では気づかなかったが、この街にはかなり強い死臭がある。
「……がれきの下。かなり、死んではる」
「地下街か。雪に覆われてるから、臭いもこもってんだろうな。そのぶん、がれきが崩れて開いた穴からは、強い臭いが出る。天変地異に加えて、この三年近くで崩れたり沈んだりしたんだろ、相当な数の死体があるって考えんのが妥当だな」
「私は行かへんけど、レイジさん、見に行く?」
――牧場屋敷のときみたいに。
暗にそう問うと、レイジは首を横に振った。
「札幌はエルフ女のホームだ。地下に行くなと言われた以上、行かねえほうがいいだろ。刺激するのは得策じゃねえ」
「まだ警戒しとるん……? ハルさん、やっぱり悪い人ちゃうと思うねんけど」
レイジは鼻を鳴らした。
「そうだな。悪いやつじゃねえかもしれねえ。だがよ、クソガキ。良い、悪いってのは、だれがどういう基準で決めるんだ?」
「そら……常識的に考えたら、わかるやろ」
「そんなら、その常識ってのは、だれが作ったんだ? いいか、クソガキ。ハルからは、たしかに悪意を感じねえが……悪意がねえからといって、害がないとは限らねえ」
言葉の意味が分からなくて、タマは眉をひそめた。
「どういう意味なん」
「さっさとずらかりてえんだよ。底が見えねえやつを相手してるほど、余裕のある旅じゃねえ。てめえを置いていってもいいんだぜ、こっちは」
「……そういうつもりなんやったら、わかった」
しぶしぶうなずく。
ゆっくり札幌を歩いて回りたかったが、仕方ない。
もともと、レイジの最期を見届けるのが目的だ。
観光は主題ではない。
「ハルさんと戦闘になったら、アンタ負けるもんな。敵に回すようなことはしたくないわな」
「うるせえな。仕方ねえだろ、剣と銃じゃリーチが違いすぎる。……悔しいが、あいつの戦闘の腕はほんものだ。狩人としても、戦士としても。やぶをつついて蛇を出すのは、馬鹿のやることだ」
レイジが顔をしかめてそう言ったあと、ふと真顔になる。
「だが、まあ……蛇を食っちまうっていうのも、手ではある……か?」
そして、なにかを思案するようにうつむいて……ややあってから、にやりと唇をゆがめた。
――なんか、悪いこと考えとるわ。
タマは半目でレイジを睨んでから、またテレビ塔に向かって歩き始めた。
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