バレンタインに備えよ
四章のあいだ、二月にあった一幕です。
「バレンタインデーだよぅ?」
「そう! そうなの!」
首をかしげるカグヤに、ナナが大きくうなずいた。
二月初週の昼間、執政室で公務中のカグヤを訪ねて来た。
なんと、バレンタインデーの相談だという。
「今年はお兄さんに激重本命チョコあげたくて」
「自分で激重って言っちゃうんだよぅ……?」
「私は自分を客観視できる人間なので、悪いトコもちゃんとわかってます」
じゃあその悪いところ治しなよぅ、と思ったが、やぶ蛇っぽいのでカグヤはツッコまなかった。
重いのはナナだけではない。
「で、どうせならカグヤさんと一緒にチョコ作りたいなって思ったの」
「へえ。本音は?」
「チョコ作ったことないからカグヤさんに頼りたいです」
半目で見つめると、ポニテの少女は恥ずかしそうに目を逸らした。
「いままでずっと女子校だったから……贈ったこともなくて」
「友チョコとか作らなかったの?」
「友達もいなか……少なかったから」
――そういえば、もともと写真部の引っ込み思案な女の子だったんだっけ。
すっかり忘れていた。
何者かの影響で、かなり奔放な人間に成長してしまっているが。
具体的にいえば、太政大臣とか、女装の英雄とか。
性格の変化における外的要因の悪影響について考えを巡らせていると、ナナがぱっと顔を輝かせた。
「あ、でも今回はいっぱい友チョコ作れる! ヤカモチでしょ、レンカでしょ、もちろんカグヤさんもだし、ミワさんにアキさんに……。わあ! 片手で数えられないよ! こんなにたくさんお友達がいるなんて、夢みたい!」
「わかった! お姉さんに任せるよぅ! みんなに配っちゃおうね!」
「カグヤさん、どうして泣いてるの?」
「私、こういうのに弱くて……」
もとより、面倒見のいい性格なので、こういうことであれば頼まれれば喜んで引き受けるカグヤだ。
お姉さんパワーで公務をささっと終わらせると、椅子から立ち上がった。
朝廷制服の上に防寒具を羽織って執務室から出る。
向かう先は食材倉庫だ。
「まずはチョコの調達からだよう」
「消費期限過ぎてないチョコって、まだあるの?」
「たぶんない。でも、チョコって基本的に水分含んでないし、油分と砂糖山盛りだし、封がしっかりしている製菓用のやつとかなら大丈夫だと思うよぅ」
ただし、今回はちゃんとしたものを用意できる。
「冬前、いっくんが大量に板チョコをBランクで複製してくれたから、在庫から拝借するよぅ」
「大量に? チョコを? ……なんで?」
「チョコ、カロリーめちゃくちゃ高いから。冬のエネルギー補給に役立つかと思って、お願いしておいたの。非常食だよぅ」
「それ、カグヤさんが食べたかっただけなんじゃないの? 甘いもの食べすぎると太――」
カグヤは笑顔で横を歩くナナを見た。
ナナはぶるりと震えて目を逸らした。
「――巻きも食べたくなるよね。節分シーズンだし」
「あはは、変な食べ合わせだね、ナナちゃん。……次はないぞ?」
「はいッ、すいませんッした、ごめんなさいッ」
わかればよろしい、とカグヤは笑顔のまま前を向いた。
もちろん、太ったわけではない。
ウエストのサイズは増えていないし、体重も変化なしだ。
――毎日畑仕事もしているしね!
逆にいえば、それなりのハードワークをこなしているのにまったく減っていないともいえるのだが、そこは考えないようにする。
世の中、考えないほうが幸せなこともある。
「そういうわけで、使えるチョコはたくさんあるから。どういうチョコが作りたいとか、ある?」
「美味しいのは当然として……」
ナナは腕組みをしてしばし考えてから、指を一本立てていった。
「体にチョコ塗って『食・べ・て?♥』みたいなやつがいいかな」
「今日は性格の変化における外的要因の悪影響について、たくさん考えたくなる日だよぅ」
「あ、勘違いしないで、カグヤさん。私が塗るんじゃないよ」
首をかしげるカグヤに、ナナは真顔で言った。
「私はお兄さんの乳首にチョコを塗りたいの」
「真顔でなにを言っているの? 真顔でほんとうになにを言っているの?」
ドン引きするカグヤに、ナナが手のひらを立てた。
「待って。聞いて。いい? 前提条件の話なんだけど」
「……わかった。聞くだけ聞くよぅ」
あまりまともに聞きたい話ではなかったが、かわいい妹分を無視もできない。
「まず、お兄さんの乳首にチョコを塗るでしょ?」
「前提条件がおかしいタイプの設問だったよぅ」
「そんで、女装させずに、下着とワイシャツだけ着せて、さっきのセリフを言わせるの。想像してみて? ほら、目を閉じて……想像して……だんだん波の音が聞こえて来たでしょう……」
「ついでに催眠術を試さないで」
しぶしぶ、目を閉じて想像してみる。
イコマに下着とワイシャツを着せる。
女装はなしだ。
そして、チョコを塗る。
イコマは恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、こう言うのだ。
『カグヤ先輩。僕のこと……食・べ・て?♥』
――ふむ。
カグヤはまぶたを上げて、うなずいた。
「いただきます」
「カグヤさん、妄想に返事しないで。で、どう? やる?」
「やる! ……と、言いたいところだけれど。いっくん、最近『竜種』とかで大変そうだし、あんまり負担かけるのもよくないかなぁ。普段ずっとふざけ倒しているわけだし、こういうときこそちゃんとしたチョコを贈るのがいいよぅ」
ふつうのチョコがいちばんだろう、と結論した。
ナナも「そうだよね、それがいちばんだよね」とうなずく。
好意を伝えるだけではない。
日頃の感謝を伝えるのもまた、バレンタインデーなのだ。
●
首尾よく食材倉庫でチョコを回収し、幹部寮のキッチンにいくと、偶然にもイコマがいた。
上半身裸でワイシャツを羽織って、ズボンも脱いでいる。
「……いっくん? なにをしているの?」
「……お兄さん、どうして上半身裸なの?」
そして、胸のあたりに傷舐めローションを塗りつけているらしかった。
なんというか、肌がてらてらとしている。
――えっちだよぅ。
と、カグヤは真顔で思った。
童顔の少年は顔を赤らめて、顔をそむける。
「いや、そのう……。ほら、マンガとかでよく『食・べ・て?♥』みたいなやつあるじゃん。アレ、実際やったらちゃんとチョコが体にくっつくのかなって、気になって」
「なるほど」
「どうなのかなって試してみたら、チョコが熱すぎてアヅァッてなっちゃってさ。そしたら、チョコのボウル倒してズボンも汚れちゃって、熱くて危ないから脱いでそこに……。えへへ、恥ずかしいとこ見られちゃったな……。こっそり掃除して、洗濯まで終わらせるつもりだったんだけど」
「ふぅん」
「そうなんだ」
カグヤはナナと顔を見合わせ、真顔でうなずいた。
「当日はちゃんとしたやつだよぅ」
「うん。当日はハート型のかわいいやつ作るよ」
そう。当日は、だ。
つまり、今日は違う。
ズボンを抱えてこっそりとキッチンを抜け出そうとするイコマの腕を、二人でがっちりと掴む。
「「いただきます」」
●
「あれ、イコマさん、どうしてそんなにやつれているんですか? いつものやつですか? え? 『チョコはその昔、精力剤や媚薬のような扱いだった』? なんですか、その豆知識……ああ、なるほど。いつものやつですね。チョコと言えば、もうすぐバレンタインですね。もらえるかどうか、どきどきしちゃいます。部隊のお姉さんたちはくれるっていうんですけど、イコマさんは……イコマさん? どうして首を横に振るんですか? イコマさん? もうおなかいっぱい? まだ当日ですらないのに? いつものやつすぎますね!」
★アヅァッ!




