53 幕間 マツシタ、山を登る
出発の日の朝、マツシタは若草山を登っていた。
あまり時間はないが、山に来るよう誘われたのだ。
――フジワラさん、に。
だから、登っている。
以前、このハイキングコースを歩いたときは、傍らに同年代の女性がいた。
背の低いメイド服の教職員で、いま思うとアレはちょっと属性を盛りすぎな気がする。
メイド服で、先生で、合法ロリで、そのくせお姉さんキャラだ。
――今日、見送りに来てくれ、ると。
わざわざ聖ヤマ女村から出てきてくれるそうだ。
かの村にも、一時とはいえ世話になった。
いつか、ちゃんとお礼をしなければなるまい。
――……あ。いつか、って。いつ、だろ。
ハイキングコースを踏みしめながら、未来のことを考えている自分に気づいて、微笑む。
もちろん、まずは博多でやるべきことをやるつもりだ。
だが、そのあとなにをするかは決まっていないというのに。
ざくざくと冷たい土を踏んで歩く。
ふと視線を上げると、以前と同じ場所にフジワラがいた。
山頂までは行かず、だが街を上から眺められる位置だ。
両手の指で丸く円を作り、その中に古都を収めているらしい。
傍らの地面には、どうやって持って来たのか、ねじくれた魔剣が突き刺さっている。
フジワラが両手を下げて、こちらを見た。
「おはよう、マツシタくん。すまないね、忙しいの朝から呼びつけて」
「おはようごさ、います。フジワラ、さん。いえ、もう準備は終わっている、ので」
昨夜は酔って迷惑をかけた。
少し気恥ずかしい。
横に寄ると、小さな水筒を手渡された。
開いてみると、白い湯気とコーヒーの香りがあふれ出る
一口飲んで、小さなトレッキングチェアに腰かけた。
「魔剣、を。持って来たん、ですか」
「そうだ。キオくんの言葉の意味がようやくわかってね」
フジワラは苦笑し、魔剣の柄に触れた。
「なんのことはない。火力発電だよ。強力な魔道具であるこの魔剣を、ボイラーに転用しろ、と。キオくんはそう言いたかったのだろうね」
太陽光パネルを魔道具化したように、魔剣を触媒にボイラーを強化するわけだ。
マツシタの脳裏に、加工の手順が浮かび上がる。
――これなら、たし、かに。
「効率的なものができ、ます。でも、大掛かりな設備が必要になり、ます」
「そうだな。タービン、ボイラー、復水器、発電機……作るものがたくさんある。場所も問題だな」
火力発電は、簡単にいえば水蒸気で風車を回して発電機を回す方式だ。
水を加熱して水蒸気にし、体積の増加でタービンを押して回転させ、発電機を回したあとの水蒸気は冷却されまた水に戻る。
蒸気から水へ。
水から蒸気へ。
ぐるぐると水を回し、発電機も回す。
そういう発電方法なのだが。
――大前提と、して。大量の水と、巨大な施設が必要になり、ます。
火災の危険性もある。
現に、日本の火力発電所は、ほぼすべてが海沿いに建設されていたはずだ。
魔道具化による効率上昇を加味しても、海のない古都では厳しいプロジェクトになる。
なによりも。
――魔道具を作れる、のは。ジブンだけ、です。
じっとフジワラを見つめる。
老教授は古都を眺めながら、呟くように言った。
「……未来の話だ」
未来、とマツシタも呟く。
「仮に、魔道具を作れるだれかが。やるべきことを終えただれかが。まだ、それからなにをするのかを決めていないだれかが……いるとしよう」
言うまでもなく己のことだと、マツシタは理解する。
「そのだれかが、もしも、もしもだ。もしも……この魔剣発電プロジェクトに面白みを感じたならば。手伝ってくれると思うかね?」
老教授がマツシタの目を見据えた。
前髪の奥の瞳を射抜かれたマツシタは、目をそらさず、正面から見つめ返した。
コーヒーを一口飲んで、足元に目をやる。
己の影に、潜んでいる。
――ん。わかっ、た。
「きっと。必ず、手伝いにくるだろ、うと。そう思い、ます」
そうかい、とフジワラは安堵したように息を吐き、そして、若草山を振り返った。
土のハイキングコースとだだっぴろい芝の斜面が続いている。
「マツシタくん、山頂は行ったかね?」
首を横に振る。
古都滞在中、いちばん上まで登ることは一度もなかった。
ふむ、とフジワラがうなずく。
「小一時間はかかるから今日は無理だろうが、いつか登るのも悪くないだろう」
「……そうで、すね?」
急になんの話だろう、と首をかしげる。
フジワラは山頂を指さし、そして指先をスライドさせた。
山のふちを辿るように、指先が動く。
「山頂から、別の山を目指して歩くコースもある。登り切っても、終わりではない。走れなくなって、立ち止まってしまっても、なにかきっかけがあればいつだって再開できる。走れなくても、前を向いて歩けばいい。ただ、それだけのことなのだろうね」
まるで自分に言い聞かせるように、フジワラは言った。
「魔剣発電だけじゃない。きみに手伝ってもらいたいプロジェクトが、ほかにもある」
「ほか、にも?」
「荒唐無稽で、しかし、夢のある話だ」
フジワラが街を眺めた。
マツシタもつられて視線を送る。
壊れた街だ。
生き返りかけている街だ。
朝廷のような日の当たる場所もあれば、難民窟のような薄暗い場所もある。
まるで、アスファルトを割って咲いた小さな花のような。
そんな、街。
「僕はね、マツシタくん。城壁を造りたいんだ。古都をまるまる囲む、巨大な城壁だ」
「……城壁?」
フジワラが「ああ」とうなずいた。
「モンスターが押し寄せて来ても、竜が襲ってきても耐えられる堅固な壁。いざとなれば、城壁外の人間も、敵も味方も強者も弱者も関係なく招き入れて保護できる、人類の盾。そんなものを作りたいと、想像している」
竜の侵攻や集団暴走に対抗しうる壁。
外的要因にも立ち向かえる巨大建築物。
「万里の長城、のような?」
ああ、とフジワラはうなずいた。
「竜との戦争。人竜大戦が何年続くかはわからないが、そのあいだ、古都が狙われない保証はない。いつかのような天変地異や集団暴走が、発生する可能性は十分にある。そのときのための備えだが……もちろん、魔剣発電だけでも、壁だけでもないとも」
言葉を区切る。
「必要となれば、いや必要なくとも、僕たちはもっとたくさんのものを作る。作っていく。登り切っても、また別の山頂を目指す人生が続く。だれかを助け、救い、生かすための道具や設備を、次から次へと踏破していく。この街は、そういう職人を求めているのだが……どうだね?」
「……どう、とは?」
フジワラはいたずらっぽく笑った。
「わくわくするだろう?」
足元で影がもぞりと動いて、ざりざりと錆びの音がする……ような、気がした。
まるで笑うみたいな音だと、マツシタは思った。
「……はいっ。と、っても、楽しそう、です!」
次回、四章エピローグです。
★マ!




