43 幕間 マツシタ、コーヒーを飲みながら
研究本部のテントには、三つの人影があった。
ふつうのもの、小さいもの、そして巨大なもの。
そのうち、小さいものがぽつりとつぶやいた。
「……恋人がい、ます」
マツシタは両手でコーヒーのマグカップを包み込む。
すべすべした陶器の手触りに、じんわりと温度が染みる。
マツシタのとなりで、キオもまたコーヒーカップを持っていた。
飲む機能はないが、フジワラが淹れてくれた。
香りも味も感じられない人形だが、カップを持っていると、不思議と大人しい。
赤い両眼の光を弱めて、じっと黒い水面を見つめている。
――もう、暴れない、よね。
古都の英雄たちとフジワラの助力によって、マツシタは生きている。
死ぬ気は、もうない。
けれど、だ。
「無理をしなくていいんだよ、マツシタくん」
フジワラの言葉に、一度だけ深く呼吸を入れて、首を横に振る。
自分でもわかっている。
話さないといけないことが、たくさんあるのだと。
文句も、感謝も。言葉にしなければ、伝わらない。
マツシタ自らが作ったソファに、小さな体が重たく沈み込む。
「失いま、した。ダンジョン、で。恋人と、家族と、仲間たちを。ご存知の通り、ですが。みんな、キオの中に、いま、す。ジブン、が、そうしま、した」
どくどくと心臓が鳴る。
マツシタはマグカップをぎゅっと握りしめて、一口、喉に流し込む。
香りと苦みが喉に届いて、目の奥がちかちかする。
黒い液体ごと苦しさを呑み込んで、前髪ごしにフジワラをまっすぐ見つめた。
「恋人のお母さんに。トモさんに、言われま、した。『あなたのせいで息子が死んだ』と」
言われた、というか。
怒鳴られた、と言ったほうが正しいかもしれない。
嗚咽と号泣、涙交じりの怒声と罵声。
今でも思い出す。
悲しみと怒りを湛えた、あの瞳を。
「マツシタくん……」
「わかってい、ます。ぜんぶが、ジブンのせいじゃ、ない。これは思い込みだ、って。でも」
でも、だ。
「実際、ジブンがもっといい武器を打ってい、れば。話は変わってい、たはず、です」
マツシタは隣の巨体を見上げた。
ベストは尽くした。
けれど、失ってしまったものもあって。
これから失われるものもあって。
それらは一度失ってしまえば、二度と帰ってこないものだ。
目をそらしてはいけない。
「ごめん、ね。みんな。ごめん、ごめんな、さい」
『ちちちちがう。せおわせた。ごごごめん、なさい。おれたちと、ぼくたちと、わたしたち、が、せおわせた』
「キオ……」
『だから』
キオはカップをテーブルに置いた。
『おわらせよう。いくべきところに、いくときがきた』
マツシタが小さく息を呑み、ややあってからうなずいた。
「うん。終わらせ、よう」
老教授が目を伏せた。
「マツシタくん……それに、キオくんも。いいのかね?」
上体を低くして、巨体が頭を下げる。
『おおおねがいししします』
「……わかった。僕はなにをすればいい?」
ちらり、とキオがマツシタを見た。
マツシタもまた、決意に満ちた視線を前髪越しに送る。
――そうだ、よね。最期にす、ること。
生きていないとできないこと。
『わわ、わかれ、を』
「わかった。ひとまず、トモさんと会えるようセッティングしよう。旅支度も必要だろうし」
「ジブンも、会い、ます」
フジワラが不安そうな顔になったので、マツシタは慌てて付け加えた。
「……会いたい、です。ジブンから、そう思い、ます」
ぎゅっと唇を結んで言うと、フジワラが微笑んだ。
「無理は禁物だよ」
はい、とうなずく。
ふと、キオが両眼を輝かせた。
『そそそそれから、ここここれをを』
ずるりとキオが影から引き抜いたのは、一本の魔剣だ。
捻じれた刀身がぎらりと輝く。
『わわわたします。おれたちの、そそ、そういです』
「総意。そうか。ならば……イコマくんに渡せばいいのかね?」
『ちちちちちがう』
キオが首を振って、巨大な武器をそっとフジワラのデスクに置いた。
重量でぎしりとデスクが軋む。
『あなあなななた、あなた、きょうじゅ、ふじわらさん、に』
「僕にかい? 僕には、とうてい使いこなせそうにないが……」
『ひひひつよう、ひつよう』
「キオ? フジワラさんは、戦士ではない、んだよ?」
首をかしげるマツシタとフジワラに、キオが赤い両眼をぱちぱちと点滅させた。
笑っているようにも見える。
『ふふ、ふたり、に。ひつよう』
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魔剣士初老フジワラ爆誕!(しません)




