37 幕間 マツシタ、雨の下
ねばつくまぶたを押し上げて、マツシタは目覚めた。
――ここ、は?
上半身を起こすと、清潔なシーツが胸元から滑り落ちる。
朝廷の医務室だ。
健康診断で一度、利用した。
ドワーフになってから、体質の変化などもあって、その検査も兼ねていた。
時刻はわからない。
窓の外で、ざあざあと雨が降っていて、太陽は顔を見せていなかった。
部屋のランタンには火がともされていて、室内をほのかに照らしている。
「ええ、と……」
医務室で目覚めて最初にやるべきは、医者を呼ぶことだろうか。
大きな声を出すのは苦手だった。
ぼんやりとランタンを眺める。
そもそも、己はどうしてここにいるのだろう、と考えてみる。
――ジブンは、たしか……トモさん、と。
遭って、取り乱して、キオが出てきて。
「そう、だ」
キオが暴走した、と思い出す。
そのあと、フジワラ教授がキオに「トモさんはきみの家族ではないか」と問いかけて。
ぎゅ、と胸元で両手を握りしめる。
は、は、と浅い呼吸を繰り返しながら、記憶をたどる。
マツシタが生きている以上、キオの暴走は治められたはずだ。
脳裏に若い男性の声がかすかに残っている。
古都の英雄イコマと、和歌山の若忍者タンバ。
ともにAランクの戦士たちだ。
錆びついたキオは、きっと彼らに止められた。
ほっとすると同時に、さあ、とマツシタの顔から血の気が引いた。
戦闘行為はキオの活動時間を大幅に消費する。
「キオ。キオ?」
呼びかけるが、影の中から出てこない。
出てくる気配がない。
「……キオ、いない、の?」
応じない。
シーツの上の影を叩いても、返事がない。
日々錆びついていく体も、毎秒ごとに崩壊していく心も、感じない。
なにもいない。
影は、影だ。
「いな、いんだ、ね」
呟いて、マツシタはほんの少しだけ笑った。
「よか、った。ちゃんと、逝けたん、だね」
――だったら、いい、です。
やるべきことは、ふたつ。
ひとつは、仲間たちの最期を家族に伝えること。
もうひとつは、キオの活動停止を待つこと。
無理やり作り上げた死体人形の稼働時間は、短い。
竜を倒せるだけの出力を得るため、仲間の想いと命、スキル、そしてマツシタ自身の計り知れない怨みを捏ね上げた呪いの人形だ。
竜を殺せる。
だが、採算は度外視だ。
ムネシゲを殺せば活動停止する程度の活動時間しかなかったはずなのに、キオは動き続けた。
錆びつきながら、マツシタの影に潜んだ。
仲間の最期を見届けるのが、博多ダンジョンでのマツシタの仕事だった。
ならば、キオの最期も見届けなければならない。
それで、終わりだ。
キオはマツシタのすべて。
生きる理由の……すべて。
――やっと、そっちにいけ、ます。
マツシタは微笑んだまま、静かにベッドを降りた。
大きな声は出さない。
医者も呼ばない。
そっと窓を開けて、降りしきる雨の下、柔らかな芝生に素足で降りる。
だれにも気づかれてはいけなかった。
だって、この街のひとびとは優しくて。
きっと、マツシタを逝かせてはくれないから。
★マ!