36 ひどかこと
とうとうと語り終えたトモさんは、ふと、窓の外を見た。
つられて僕も外を見る。
ざあざあと雨が降り始めていた。
「泣きながら謝って、けれどダンジョンでなにがあったかを必死に伝えて。マツシタさんは、どうしようもなく……心が壊れそうになっていたんだと思います」
やはり、とタンバくんが小さく呟いた。
顎を引いてうなずく。
ダンジョンで仲間を失い、仲間の遺体を用いてキオを製作した。
竜を倒すための過程すべてがトラウマなのだろう。
「いいや。それだけじゃないだろう、トモさん」
そう思う僕らを否定するかのように、フジワラ教授が淡々と言った。
「あなたも辛いだろう。息子を、家族を失った心中は察する。だが、まだ言っていないことがあるはずだ」
「きょ、教授?」
教授は唇の端を歪めて、まるで怒りをこらえているような表情で。
あまり見ない顔に、思わず息を呑む。
「トモさん。マツシタくんは、あなたを見てパニックになった。あなたの『息子に会いに来た』という言葉をキーに、発作を起こした。違うかね」
……あ。
遅ればせながら、僕も気づく。
変質した自己。竜。自己犠牲。サバイバーズ・ギルト。
あまりにもたくさんのトラウマの中で、きっと決定打になったものがあって。
それは、おそらく――。
「博多ダンジョン、ムネシゲ、キオくんの成立過程。すべてがトラウマではあるのだろう。マツシタくんをひとりで街に出してしまった僕の責任も、もちろんある。けれど、トモさん。あなたは――」
「わかっています」
疲れた顔の女性は、弱々しく微笑んだ。
「私、マツシタさんに、ひどかこと言いました」
二月の雨は冷たくて、灰色だ。
おなかの底から絶望がこみ上げてくるような、そんな雨。
「泣いて、喚いて、怒鳴りつけました。息子ば返せ、って。あんたが殺したも同然ばい、って。マツシタさんだって、やりたくなかったに決まっているのに。私、わかっていて、でも抑えきれなくて」
……あの子の恋人だったのに。
そう、小さく呟いた。
「何日か泣いて過ごして、私が落ち着いたときにはもう、マツシタさんは博多を発っていました。古都を目指して旅立ったと」
決定打。
トモさんの言葉が、マツシタさんのひび割れた心を粉々にしてしまったのだ。
でも、トモさんが悪いと責める気には、とてもなれない。
家族を失ったのだ。
取り乱さないほうがおかしい。
教授がそっと息を吐く。
「あなたは謝りに来たのだね。マツシタくんに謝って……その」
「ええ。楽になりたかった。私が楽になるために、謝りたかった。でも、だめですね。自分のつらさを優先して、あの子の心をまるで考えなかった。これじゃ、あの日となにも変わらない」
「……そう思っておられるのなら、僕から言えることはない。あなたも無理をなさらず、心を大切になさってください」
教授は立ち上がり、僕に目配せした。
うなずいて返す。
「トモさん。申し訳ありませんが、しばらくは朝廷の用意したプレハブで生活してください。外出等は控えてもらいます。マツシタさんやキオに会いたい気持ちはわかりますけど、いまは……」
「ええ、わかっています。あの子たちが暴走すれば、被害が出るもの。それに、キオはこれ以上動いてはいけないでしょうし。あんなに錆びついてしまって」
「え? どういう意味です? 動いてはいけない、って」
錆びついてしまって?
その言葉に、ふと思い出す。
戦闘中、疑問を感じたはずだ。
たった一ヶ月で、キオの錆びがどんどん進んでいるのはなぜか、と。
ふつうの錆び方ではなかった。
まるで、存在そのものが錆びついていっているような。
「マツシタさんから、聞いていないの? キオには活動時間があって、もう残りわずかだって。それもあって、私は急いで博多から……」
教授が慌てて応接室の扉に駆け寄った。
「聞いていないぞ、それは!」
「教授、いったいなにを……?」
「サバイバーズ・ギルトだ! 生き残ってしまった罪悪感! わからないかね!? 『自分だけ生き残ってしまった』とは、つまり『自分も死ぬべきだ』と考えていることに他ならない!」
ばん、と力任せに扉を開いて、駆けだした。
タンバくんに応接室を任せて、僕も走って横に並ぶ。
「最初から、不思議ではあったのだ。それほどの罪悪感を抱えながら、なぜ生きているのか、と。自殺せずに、わざわざ聖ヤマ女村にやってきた理由がそれだ! 彼女はただ、待っていたのだよ……!」
木造の廊下を必死に走る初老は、今まで見たことがないくらい焦っていた。
「キオくんが動いている限り、彼女は自殺しない。責任感だ。最後のひとりとして、仲間の死を見届ける。そういう責務を自分に課しているのだろう。だが――目覚めたとき、そばにキオがいなければ、どう思う!?」
「……あ」
僕の喉から間抜けな声が漏れた。
もしもマツシタさんが、教授の言う通り『責任感ゆえに自殺を踏みとどまっている』のだとしたら。
キオの活動が止まったと誤認してしまったら……そのとき、マツシタさんはどうする?
そんなの、わかりきった話じゃないか。
「ッ、先行します!」
「頼む!」
教授を置き去りにして、僕は走った。
★マ!




