4 わからない
わからなくなった?
首をかしげる僕に、教授は苦笑した。
「妻を送ったとたんに……次になにをすればいいのか、わからなくなってしまったんだ」
どういう意味か、やっぱり僕には理解できなかった。
ただ、理解するための年齢も経験も足りていないことだけは、なんとなくわかった。
「母を思い出したよ。もう二十年は前になるか。父が死んで、葬式が終わったあとだ。日がな一日、ぼうっと過ごすようになった。それまでは、父の世話やら生活やらで、年齢のわりに元気だと言われていたのに、急に老け込んで……」
教授は自嘲気味に唇を曲げた。
「今度は僕の番、というわけだ。区切りをつけてしまったんだろうな。自分で、自分自身に」
「区切り……ですか」
うむ、と教授はうなずいた。
「走っているうちは、止まったあとのことなんて考える余裕もないから気づかない。だが、止まるとふいに気づくんだ。『ゴールはどこだ? どこまで走ればいい?』……結局、ゴールなんてないのだがね。強いていえば、足を止めて、再び走り出せなくなったら、そこで終わるだけだ。人生なんて尻切れとんぼだよ」
コップに口をつけて、白い息を吐く。
「すでにカグヤくんやレンカくんには告げたがね。僕は、都市開拓の任を退こうと思っている。定年には少し早いが、引退だな」
「……え? いや、そんな……」
ダメですよ、といいかけて、口をつぐむ。
個人の進退は僕が決めることではないのだ。
なにも言えずに口を開けたり閉じたりしている僕に、教授が笑った。
「安心したまえ。引退といっても、すぐにではない。少なくとも電力問題に見切りをつけてから、だ」
「……電力問題? ですか?」
「うん? ああ、そうか。きみは遠征が多いし、物品複製担当だからエネルギーの話は管轄外か」
どういうことだろう。
都市国家ドウマンのエネルギーは、山から剥がしてきたメガソーラーを使った太陽光発電でまかなっているはずだけれど。
「もしかして、電気、足りてないんですか? ……いままで足りていたのに?」
「難民の流入に伴う人口増加だよ、イコマくん。関西中どころか、いまや日本列島中から古都ドウマンにひとが集まっている。他の地域はどうあれ、古都で飢え死にすることはないからね。危険を冒してでも旅に出て、ダンジョンを避けて古都を目指す……そういうひとたちが増えているそうだ」
「な、なるほど……」
カグヤ先輩の『農耕:A』と古都ドウマンの大規模耕作地が全国的に噂になっているわけだ。
さすが先輩である。
「いや、きみの武勇伝と『複製:A』がラジオで放送されたから、というのが大きい。古都はいま、日本列島でいちばん安全なところだと思われているわけだ」
……うむ。僕もか。
まあ、さすがにちょっとくらいの自覚はある。
オールナイト・元日本でも、『カグヤ朝廷の美少女装将軍』は何度か――何度も――話題になっているし。
とはいえラジオなので「また呼ばれたなー」くらいの感覚だったけれど。
なんというか、だいぶハガキ職人気分だった。
「……きみのその『軽さ』は、いろいろな分野で役に立っているが、多くの場面で問題にもなっていると自覚しておくべきだろうな」
「あはは、すいません……」
ともあれ。
メガソーラーでの発電が足りていないなら、話は簡単だと思う。
「僕がパネルをたっくさん複製すれば、解決するってことですよね?」
「いや、そういうわけにはいかんだろう。太陽光発電はただでさえ不安定なのだよ。日照時間や雲の有無に左右されるだけではない」
「そこを数でカバー、とかは……」
「土地はどうするね。太陽光発電に広大な場所を占有させるわけにもいくまい。山間部に設置しても、ケーブルやパネルがモンスターに荒らされることもある。……製造コストも高い。きみが『複製』し続けるわけにもいかんだろう」
話はぜんぜん簡単なんかじゃなかった。
最終的には『僕やカグヤ先輩に頼らずとも立ち行く都市』にするのが目的なのだから、当たり前の話ではある。
今後百年、いや千年、人類が生存し続けられる都市でなければならないのだ。
「もっとも、電力以外にも問題は山積しているがね」
教授は視線を街のほうへ向けた。
「古都外縁に、勝手に住む移民もいたりする。……今後、もっと増えるだろう」
「カグヤ朝廷に合流せずに、わざわざ外縁に住んでいるんですか? なぜ?」
テント村にはかなり余裕があるし、再開拓した平城宮跡周辺には木造の家もぼちぼち建て始めていたりするのだけれど。
そう思いながら聞くと、教授は首を横に振った。
「極度の人間不信とか、集団生活が苦手であるとか。……すねに傷があったりするものもいる。略奪か、障害か……もっと後ろ暗いことかもしれん。特に文明崩壊後は、モラルが崩壊した場所もあると聞く」
「なるほど……」
僕だって、ソロキャンプの時間を大事にしたい人間だ。
みんなが和気あいあいと生きているところに混じりづらいひとがいることくらい知っている。
けれど、危険だ。
モンスターは減ったけれど、いなくなったわけじゃない。
マッシュベアやホーンピッグはいまだ健在なのだ。
「そういうひとって、どうすればいいんでしょうね。出て行ってもらう……わけにはいきませんし。……追放しても、なにも解決しませんから」
レイジのことを思い出す。
ヨシノちゃんは命を落とし、結果としてレイジは大阪でさらなる悪だくみを重ねることになった。
「僕はね、イコマくん。そういうひとたちも守れてこその都市だと考えているのだよ。もちろん、犯罪対策は必要だが」
教授のさりげない言葉に、はっとする。
集団に混じれない弱者を守れずして、なにが都市国家か、と。
追い出すのではなく、向き合う都市。
「それじゃあ、フジワラ教授は、どんな都市ならそれが可能だとお考えですか?」
「ふむ。そうだな、例えばだが――いや、よそう。引退を決めた僕が口を出すことではない。電力問題の解決のめども立てられていないわけだしね」
苦笑して、教授は立ち上がった。
「コーヒーをありがとう、イコマくん。夜更かししすぎず、体を冷やしすぎないように」
★マ!




