3 フジワラ教授
その日の夜、僕は平城宮跡の芝生の上でコーヒーを嗜んでいた。
アウトドアである。
とはいっても、小さなトレッキングチェアに腰かけ、これまた小さな折り畳みテーブルを設置しただけ。
テーブルの上には、ガス缶に直接バーナーヘッドを取り付けるタイプのシングルコンロや、折りたためるコーヒードリッパーなどが置いてある。
ぜんぶ、コンパクトなアウトドア用ツールの発掘品だ。
一人分のコーヒーを淹れるくらいなら、これでじゅうぶんなのである。
「忍者からは……逃げられなかったか……」
ぼやきつつ、コーヒーを一口飲んで、思う。
結局、タンバくんから逃げ切れなかったのだ。
粘液のトラップや幻覚魔法まで使えば逃げ切れた可能性は高い。
しかし、街中で使えば、ほかに被害が出ただろう。
自動車並みの速度と忍者の機動力を持つタンバくんから、自分自身の足とルート選択である程度逃げられたのはすごいことではある。
それに、スキルありの戦闘なら、もちろんまだまだ負けるつもりはないし。
でも女児服はきつかった。
あれはダメだ。
ヤカモチちゃんが「ふひ、んハァ……ッ、やべ、よだれ出て来たし……」とかちょっと怪しいテンションで僕にノリノリでパステルカラーの女児服を着せ、黄色い帽子とランドセルまで装着させたのだ。
ナナちゃんも「よちよち♥ かわいーね♥」と明らかに危険な表情でばしゃばしゃとシャッターを連打していた。
女装は嫌いではないが、女児服だけはもう勘弁こうむる。
僕は男性にしては背が低いけれど、ロリが似合うほどではない。
大人の女児服は『似合わない羞恥を楽しむ』性癖であり、『似合うから女装が楽しめている』僕とは相いれないものなのだ。
……いろいろと、疲れた一日だった。
それゆえのひとりコーヒーである。
癒される……。
「……と」
夜空を見上げていると、ざり、と芝生を踏む音がした。
振り返ると、防寒具を着込んだ壮年の男性が立っている。
男性は渋みのある声で、呆れたように言った。
「部屋からランプの光が見えて、きみだろうとは思っていたが。外でコーヒーとは、温まりたいのか寒くなりたいのか、どっちなのかね」
「無駄なことを楽しむのが趣味ってもんですよ、フジワラ教授」
苦笑して立ち上がり、座っていた椅子を『複製』する。
こういうとき、ほんとうに便利なスキルである。
「せっかくですし、一緒にどうです?」
「いただこう。――ああ、砂糖とミルクはけっこうだ」
小さなコーヒードリッパーで、手早くもう一杯淹れなおす。
フジワラ教授は白い息を吐きながら一口すすって、うなずいた。
「いい豆だ。これはどこで?」
「コーヒーショップ……の、廃墟です。現物はダメになっていましたけど、『複製』でBランクの状態まで底上げできるんで」
「ずるい能力だな、相変わらず」
まったくもってその通り。
やろうと思えば、僕は腐った果実すら再生させることすらできるだろう。
もはや劣化複製スキルではなくなったのは心強いが、慢心しないよう気をつけなければならない。
僕はちらりとフジワラ教授を見た。
夜空をぼんやりと眺めている。
「……それで、今日はどうしたんです?」
「どうした、とは?」
「フジワラ教授、僕に用事があったんでしょう? じゃないとわざわざ防寒着着込んでまで来ませんよね」
「……お見通しか」
教授は苦笑して、ゆっくりと息を吐いた。
「……きみには言うべきことがあってね。それを伝えに来た」
「言うべきこと、ですか?」
首をかしげると、教授はうなずいてポケットに手を突っ込んだ。
「実は、年末ごろだろうか。きみたちが京都にいるとき、開拓の最中に……見つけたんだ。せっかくの正月にいうのも水を差すようで悪いし、いままで黙っていたのだがね」
フジワラ教授がポケットから取り出したのは、指輪だ。
サイズ的に、女性用だろうか。
ふと、気づく。
……教授の左手薬指にも、同じデザインのものが嵌まっている。
「もしかして、奥さんの……」
教授はうすく微笑み、うなずいた。
「公民館の跡地だ。天変地異の折、避難していたんだろうね。ようやく見つけて……うん。骨はもう、焼いたよ。だから、遺ったのはこれだけだ」
「それは……その、お悔やみ申し上げます」
「痛みいる。……まあ、わかってはいたのだ。もう生きてはいないだろう、とね。だから、見つけられたときは、いっそ嬉しかったよ。ようやくちゃんとお別れを言って、きちんと弔えた。ただ、情けないことだとは思うのだがね」
困ったように呟く。
「荼毘に付して、納骨して、いろいろな急にわからなくなってしまったんだ」
★マ!




