60 閑話 タンバ、独居房にて
タンバは檻に入れられていた。
古都近郊にある、レンガ造りの監獄だ。
――軍規違反ですか。
当然だろうな、と思う。
だって、自分はイコマに一騎討を挑み、本気の攻撃を仕掛けたのだ。向こうが受けてくれたとはいえ、最悪のタイミングだった。
だから、この処分には納得している。いっそ甘いくらいだ、とすら考えている。
檻に入れられる前に、師匠と二人きりで話す機会すら与えられた。ありがたいことだ。
どんな会話をしたかは、余人に言うつもりはない。だが、これからもクキを先生と呼ぶことだけは、確実だった。
――一週間の独房謹慎。暇になるかなと思ったのですが、なんでこの部屋、大量の漫画があるのでしょうか。
しかも未完結の名作ばかり。
読んだことのあるものもあれば、世代がひとつふたつ上で名前しか知らないものもある。
名前すら知らないシリーズは、やはり名作なのだろう。そしてやっぱり、きっと未完に違いない。
「……いやがらせ?」
そんなラインナップだ。
その時、となりの独房でごそごそと音がした。
「……おい、そっちの小さい人間。看守がいない今がチャンスなのじゃ。そちらには、わらわが今後読むであろうマンガが積んであるのじゃが、うまいこと隙間からこちらに渡せたりせぬか?」
ハイトーンの少女の声が、届く。
だれだろう、と思いつつ、壁を見る。
「……いえ、そういう隙間はなさそうです」
「ううむ。参ったのう。続きが気になるのじゃが……」
整備された監獄は、しかし、当然ながら隙間のひとつもない。
ほんの些細なひび割れさえも、しっかりとパテで補修されていた。
「……あの、あなたはどうしてここに収監されているのですか?」
悪いことをすれば、捕まる。
この監獄にも、少なからず収監されている人間がいると聞く。古都で悪いことをした人間を、暫定的に閉じ込めているのだと。
けれど、相手の声は幼い少女のものだ。おそらく、タンバよりも。
「わらわのことを知らんか? なんじゃ、おぬし。知らぬのに、わらわの隣に収監されたのか」
「はあ……」
尊大な口調と舌ったらずな甘い声に、困惑が先に立つ。
会話の第一印象は「なんだこいつ」だ。
だが、続く言葉には飛び上がるほど驚いた。
「まあよい。あー、あれじゃな。わらわの名は、ユウギリという」
「……あなたがッ!?」
「あまり大きな声を出すな、看守が来るじゃろうが」
思わず腰に手をやった(もちろん、忍者刀は没収されているから、なにもないが)タンバに、壁越しに呆れ声が届く。
「名前は知っておったか。お察しの通り、わらわが悪竜ユウギリそのものじゃ。おぬしの名はなんじゃ? 独居房にはいつまでおる?」
「……僕はタンバ。一週間の懲罰です」
「ふむ。ではまあ、一週間、よろしく頼む。……もっとも、おぬしがわらわとよろしくしたいかどうかはわからぬがな」
「どういう意味です?」
わからなくて、純粋に聞き返してしまった。
「阿呆。わらわ、こうなっても元は竜じゃぞ。おぬしらの敵、人類の仇であろうが」
言われて、少し考える。
父母は大阪出張以降、連絡が取れない。古都にも亡命しておらず、中継した大阪基地……
ユウギリキャンプにもいなかった。
悪辣の限りを尽くしたユウギリが、隣にいる。
――ということは、僕をここに入れたのは、イコマさんのおせっかいですね。
そもそも、あの時キャンプを経由したのも、おそらくタンバの身の上をどこかから聞いていたからだろう。
優男だが、案外スパルタというか、なんというか。
自分で話して、自分で知れ――そういうスタンスらしい。
「……正直、憎いです」
「じゃろうな」
「ユウギリ……さんは、許してほしいと思いますか?」
「思わぬ」
即答だった。
「人間から見て、わらわのやったことは許されざることじゃろ。ならば、そのように処せばよい」
「わかっているのですね」
「最近わかった。そして、わかったからこそ、そのぶんの罰は甘んじて受けようと思っておる」
意外な言葉で、だからこそ、タンバは悔しいと思った。
――彼女が、もっとはやくそう思っていれば。
両親は、ひょっとしたら、まだ生きていたかもしれない。
だが、それはあり得ざるIFだ。首を横に振って、悔しさを払う。
「わらわのせいで人間が死んだ。それが愉悦であった。じゃが……もっと他の道があったかもしれぬ。人間の死が損失じゃとは、思っておらなんだ」
意外な言葉だ。いっそ、自分を馬鹿にしているのか、とも思った。
けれど、不思議とタンバは怒らなかった。
憎くはあれど、憤りはあれど。
――僕は、竜のことを知りませんから。
いや、竜のこと、というか。
ユウギリのことを、知らない。
だったら、どうするか。イコマがくれた時間は一週間。
その間、なにを聞き、なにを言い、なにを知るかはタンバにゆだねられている。
だから。
「……教えてください。どうして、損失だと思うのです?」
「漫画は面白いからのう。文化の停滞は、損失じゃろう」
「どこがどう面白かったんです? お気に入りの作品は?」
「どこがどう、って……なんじゃ貴様。めんどうな質問をするのう」
「教えてください、ユウギリ。なにが好きで、なにが嫌いか。どんな趣味で、どんな性格で、どんな主義か」
教えてください、とタンバはもう一度言った。
――人類は、竜とは共存できません。
恐怖の象徴たる竜。人類に脅威を及ぼすものである限りは、ぜったいに無理だ。
けれど、タンバは知った。
――共存できないけれど、共存しないといけない。その矛盾を、どう崩すか。模索するためにも、まずは相手のことを知らなければ。
知ることすらやめてしまったら、それは諦めだ。それは敗北だ。
言葉を排してしまったら、それはもう、ただの獣だ。
英雄でもなく、獣でもなく。ふつうのひととして、できることをする。
できる範囲で、やれる範囲で、未来を模索する。
そのために、タンバは言葉を尽くす。感情を籠める。
「僕はあなたのことが知りたいのです」
「……ぷはっ。なんかそれ、口説き文句みたいじゃのう。しかもへたくそじゃ。もっとむねきゅんするセリフを用意せぬか」
噴き出す竜に、釣られて笑う。
下手でいい。構わない。
「まあ、そうじゃな。次の漫画が来るまでの暇つぶしに、少しくらい話し相手になってもらおうかのう」
だって、タンバはまだ背伸びをする年齢なのだから。
稚拙ながらも背伸びして、失敗しながら進んでいく。
――これが僕の歩き方なんです。
壊れた地球を、どう進んでいくか。
クキ風にいうならば、変化だ。
古都の政治代表なら、進歩というだろうか。
そして、イコマにとってはふつうのことで。
ならば、タンバも一歩を踏もう。踏み続けよう。
「ええ。話し相手になりますよ。僕でよければ、いくらでも」
分かり合えなくても、痛みを伴うとしても。
タンバは前に進むと決めたのだ。
次回、三章エピローグ。長めの後書きに震えろ。




