50 第三階層、攻略
泣きじゃくるタンバくんに馬乗りになっておろおろしていると、少し離れた場所にいるナナちゃんと目が合った。
濃霧が徐々に散って、視界が開けたのだろう。
勝負開始からこれまで、二分ほど経っていたらしい。
そして、ナナちゃんと、遠巻きに見物していた兵士たちが、わんわん泣きじゃくるタンバくんを認識した。
「な、泣かした……!」「すごい、やっぱりイコマ卿が攻めだぞ!」「そんな……リバ展開を期待していたのに!」「私はおにショタです」
好き勝手言う兵士たちに続いて、ナナちゃんが「およよ……」と崩れ落ちた。
「ついに男の子に手を出して! もう女の子には飽きたんだね! 一周回ってさすがだよお兄さん!」
「違う! 泣かしていないし、手を出したわけでもないよ! 馬乗りになったら泣いちゃっただけで……」
ざわり、と兵士たちがざわめいた。
「そ、それってつまり、騎じょ……」「初めての快感の刺激が強すぎて混乱の余り泣くショタだ! 薄い本で見たことある展開だぞ!」「おにショタが私です……!」
めんどうくさくなって、僕は返事をせずに立ち上がった。
「お兄さん、ツッコミを放置するからツッコまれるほうだと勘違いされるんだよ? ……えっ? ツッコまれるほうっ? いやらしいですわね! はい今日のノルマ達成」
「ダブルミーニングの爆速オチまでありがとう、ナナちゃん」
悪ふざけをするナナちゃんからタオルを受け取って、顔を拭く――前に、ひとつ複製して、タンバくんに投げておく。
涙をふくのに……あるいは、顔を隠すのに、必要になるだろうから。
あまり見るものではない。僕は遠くを見ながら、顔を拭いた。
「……で、お兄さん。これ、結局、どっちが勝ったの?」
「……さあ。どっちでもいいじゃん、そんなの」
膝をついて、嗚咽を漏らすタンバくんの横に座る。
どんなときでも涙をこらえていた彼に、ようやく泣きたいときが、泣けるときが来た。
僕はそれをみっともないなんて思わない。
人間なら、だれしもに――声を上げて泣きたいときが、必ずあるのだから。
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泣き止んだタンバくんは、しばらくしてから、真っ赤になった目で言った。
「お時間いただき、ありがとうございました。――キヨモリを、倒しましょう」
うん、とうなずく。おう、と兵士たちも一緒に応じていた。
意気軒昂。最後のステージを、進めよう。
ガス缶に穴をあけて第三ステージに投げ込む際、気をつけなければならないのは、ガスの逆流だ。
物理学は苦手だけれど、風を前方に送ると、前に進む風が影響して、逆巻く風も生まれるのだという。
詳しいことはよくわからないので、穴を開けたガス缶をどんどこ『複製』し、ある程度投げ入れたところで試しに一度点火してみた。
腰を抜かすかと思った。
第三ステージに続く鳥居から、一瞬、熱波が噴き出て来たのだ。
マジでびっくりした。なんとなくの感触で増やすものじゃないな、ガス。危険すぎる。
おそるおそる第三ステージに進んでみると、焼け焦げた卒塔婆や、ガスの引火から逃げ遅れた鬼(と、その残骸から立ち上る黒い粒子)などが見て取れた。
そう、見て取れる程度には、視界が開けていた。さすが日用品、大助かりである。
「……よし。工兵七人、僕とタンバくんとナナちゃんの合計十人でいく。ナナちゃんは、いざというときに工兵を守る役」
「おっけーりょーかいまる」
急にJK感出してくるじゃん。
「で、少し進んだら、またガスを前に送って濃霧を爆破する。帰り道がわかるよう、道は確実にマッピングしておいて。分岐があれば、地面にマーキングするのも忘れないように。接敵があれば、小銃で牽制しつつ、仕留めきれなければ僕かタンバくんで首を落とす。いいね?」
はっ、という気持ちのいい応答を聞いて、僕らは第三ステージに進んだ。
濃霧さえなくなれば、こっちのものだった。
猫から『幻覚魔法』を得ていたから、幻覚の仕組みもわかっている。
「みんな、接敵してもむずかしいことは考えないで! 『幻覚魔法』は相手がいま考えているモノに化けるからね」
胸部装甲が巨大なナナちゃんが現れたのは、僕がソレを想像していたから。
決闘の際、タンバくんに対して僕自身の幻覚を作り上げることが出来たのは、彼が僕を標的としていたから。
墓地のおどろおどろしい光景、分断を生む濃霧が、お化けや怪物、はぐれた仲間を想像させるから、猫又のスキルは攻略者に恐ろしい幻覚を見せることになる。
……つまり、典型的なホラーの対処法が効く相手なのだ。
ホラーを、シリアスをぶちこわす、ある特定の思考。
すなわち。
「だから、全力でエロいことを考えよう! 幽霊はエロが苦手だからね!」
スパァン、と快音を立てて後頭部を叩かれた。いたい。
「お兄さん、真面目にやって」
「大真面目だよ僕は! ほら、ナナちゃんもえっちなことを考えるんだ! 精一杯えっちなことを考えるんだ! はやく!」
「恋人じゃなかったら斬り捨ててるからね?」
ナナちゃんは溜息を吐いた。
「だいたい、そんな根拠のない都市伝説みたいなので対処したところで、幻覚の見た目がエロくなるだけでしょ。どうせ幻覚なんだから大差ないよ」
ナナちゃんの正論に、周囲の兵士たちがうなずいた。
「じゃあ必死にエロいこと考えます!」「見た目が変わるだけでもだいぶ気分が違うもんな!」「スク水マコ様スク水マコ様スク水マコ様スク水マコ様……!」
おい最後。
しかし、こんな兵士たちの必死の願いが届いたのか、次に接敵した猫又が化けた相手は僕だった。しかも女装バージョンだ。マジかよ。
ともあれ、まずは幻覚を無視して、さっさと鬼から倒す。さすがの分厚い肉体も、小銃の弾幕にはかなわない。
で、鬼を倒したあと、幻覚に向き直ると、みんながあることに気づいた。
「……軍服風ワンピース? あんな衣装、あったっけ」「たしか、兵部の幹部が外交するとき用に仕立てたやつだよ。まだ幹部しか袖を通してない試作品」「てことは、あの服のデザインをしっかり知っているのは本人か、あるいは外交相手か……」
みんながタンバくんのほうを見た。
タンバくんは顔を真っ赤にして、目を泳がせた。
「か、考えていませんっ! 戦闘中にそんな変なこと考えるわけないじゃないですか! だいたい、僕がマコさんに興奮するなんて、風評被害も甚だしいですよ! いや、たしかに僕は礼服を見たことがありますけれど、だからといって僕だと決めつけるのは早計なのではないでしょうか!」
急に早口になったね、タンバくん。でも、たしかにそうだ。
「うん、タンバくんだと決めつけるのは早計だね。ナナちゃんだって軍服ワンピは知っているんだから、むしろ彼女の可能性が高い」
「いや、私はマイクロビキニのこと考えてたから違うよ」
「ナナちゃん、それは僕じゃなくてヤカモチちゃんに着せようと考えていたんだよね? 僕じゃないよね? まさかとは思うけれど、違うよね?」
「だから、私の想念が対象じゃないと思うよ」
「ねえ、僕に着せようとしてたわけじゃないよね? 無視しないで? ちゃんと返事して?」
メンヘラみたいな言動の僕はさておき。
では、対象はだれなのか。
みんなが幽霊を注視すると、やつは妖艶に笑いながら手招きした。
『ぼうや、おねーさんがイ・イ・コ・ト、教えてあげる……っ♥』
対象は『ぼうや』らしかった。なるほど。
全員で注目すると、タンバくんが地面に突っ伏して震えていた。
「いっそ殺してください……っ!」
ナナちゃんが半目で僕を見た。
「いたいけな少年がこうなったのは、お兄さんのせいだからね?」
「なにを馬鹿な。いいかい、ナナちゃん。たいていの少年はね、えっちな年上のお姉さんにイイコトを教えられたいという欲求を持っているんだよ」
馬鹿なことをいう僕らを尻目に、猫又が生み出した幻覚は、声のトーンをハスキーに寄せて囁いた。
『それとも、おねーさんより、おにーさんのほうが……すき?♥ どっちでも、すきなほうをえらんでいいからね……♥』
「うああああああっ! 殺せ……っ! いっそ一思いに殺してくださいっ!」
タンバくんが地面にめり込みそうな勢いで呻く。
ナナちゃんが半目で僕を見た。
「いたいけな少年がこうなったのは、お兄さんのせいだからね?」
「なにを馬鹿な。いいかい、ナナちゃん。たいていの少年はね、えっちな年上のお兄さんにイイコトを教えられたいという欲求を持っているんだよ」
「私が腐女子なら大喜びで薄い本を厚くしていたセリフなの」
軽口を叩きつつ、ナナちゃんが疾駆して、片手で薙刀を振って、幻覚の足元にいた猫又を切り裂いた。
幻覚が妙に色っぽい悲鳴をあげ、黒い粒子が溶けて消える。幻覚は術者の近くにしか生み出せないから、猫又はたいてい幻覚の足元にいるのだ。
「……本体は大したことないよ、猫又。でも、私の大切なひとに化けた挙句、あんな顔で笑ったのは許せないの。腕が無事なら自分の手で一匹残らず叩き切ってやったのに」
戦闘力でいえば、Cランクに満たない程度だし、能力もタネが割れれば恐れるほどでもないけれど、しかし、生んだ恐怖が大きければ大きいほど、こちらも恨みも大きくなるものだ。
「僕もあの猫は許しません。犬派になります」
タンバくんも半泣きで決意を固めていた。
デカい恨みである。
いやあ、前回に引き続き硬派なローファンタジーだなぁ……。




