41 閑話 タンバ、走る
タンバは、ほんとうに男装が見たかったわけではない。
――ほんとうです!
本人がほんとうだと思っているのだから、それはほんとうなのである。ほんとうですよ。ええ。
いや、見られるのであればもちろん見る。現代の学生はリアルでブルマ体操服なんて見たことないので、学術的な興味が強いのだ。歴史を学ぶという意味でとても学術的だ。他意はない。
ともあれ、タンバは薄霧かかる雑木林の中を、ひた走る。
――ヒト型であれど、モンスターはモンスターですから。
背後から襲い来るゾンビは、脅威にならない。タンバの前進速度のほうが圧倒的に速いからだ。
そして、前方から来るゾンビたちは、すれ違いざまに足を脇差で切り裂き機動力を削いで、わきをすり抜けていけばいい。
囲まれればたしかに危ない。
けれど、タンバの『スピード強化:A』があれば、そもそも囲まれることがない。
――那智勝浦のダンジョンを思い出しますね。
あそこも山道だった。
行きは天狗とか狛犬と戦って、帰りはトラキチと……。
「……竜との共存は必須、ですか」
理屈はわかる。だから、その場ではてきとうな言葉を吐いて、誤魔化してしまった。
竜とはトラキチのようなモンスターだ。ユウギリがどのようなドラゴンかは知らないが、トカゲの交尾に興味はない。
竜との共存。その言葉だけが、問題だ。
なぜならば。
「僕は、トラキチを……殺したのですよ?」
問いかける相手はいない。ここには、ゾンビとタンバしかいない。
だから、これは独り言だ。
徐々に増えるゾンビの群れをかいくぐって進む。
山道はくねり、高低差もある。不意打ち気味にゾンビが現れることもあるが、どれだけ唐突な登場であれ、タンバが捕まることはない。
速度が違いすぎる。トップスピードに至ったタンバの速度は時速八十キロを超えるし、『忍術』スキルによる身のこなしは回避と逃走に特化している。
イコマは心配してくれたし、安心安全は素晴らしいことだと思う。
けれど、タンバは断って第二階層に乗り込んだ。いまは無性に、ひとりで走りたかった。
「共存が必須なら、トラキチと一緒に生きる道も……あったのでは、ないのですか?」
薄霧が覆う雑木林に問う。
「だとすれば、僕がやったことは……ほんとうに、正しいことだったのですか?」
ゾンビがさまよう山道に問う。
「――僕は、殺したのですよ?」
孤独な己に、問う。
やがて、答えが出る前に、視界が開けた。雑木林を抜けたのだ。
二十分くらい走った気がする。タンバの走力で換算すれば、なかなかの距離だ。
広場のような場所である。多くのゾンビと、そして、中央に異形の肉塊がいた。
膨れ上がった赤紫の肉の塊。かろうじてヒト型だとわかるが、しかし、ぶくぶく、ぼこぼこと水疱のように肉が盛り上がり、ぼとり、ぼとりとゾンビが生み出されている。
あれが中ボスだろう。ゾンビをかいくぐりながら戦う必要があるらしい。
「うわあ……!」
――グロ系も苦手なのですが!
さっさと終わらせよう。そう思い、タンバは懐から丸い容器を取り出した。
第二ステージに進む前に、イコマから託されたものだ。たしか、こう言っていた。
『いいかいタンバくん、忍者刀だとちょっと相手が厳しそうな相手がいたら、迷いなくこれをぶん投げて、距離を取るんだ。三十秒で爆発するから、急いで逃げてね! ちなみに爆弾はゾンビ相手のゲームならお約束だから邪道攻略じゃなくて正道攻略だよ、やったね!』
やったね、というか、やってる。あの人は。
ともあれ、タンバは丸い容器の側面のレバー型トグルスイッチをオン側に切り替え、肉塊の中央に放り込み、ダッシュで逃げた。
三十秒後に、タンバよりも速く爆風が背後から通り抜けていった。
無線起爆ができないため、時計を組み込んで作った時限爆弾だ。ものの数分であんな危険物を用意できるイコマはやっぱりどうかしていると思う。
「……ええと、とりあえず撃破確認、ですね」
またしてもダッシュで広場まで戻ると、肉塊がひどいことになっていた。
周囲にいたはずのゾンビも、徐々に体をぼろぼろにしつつ、黒い粒子に散っていっているが。
――まだですね。再生しています……!
中ボスの肉体は、ダメージを負って体積を減らしているが、またぼこぼこと盛り上がりつつある。
すぐにゾンビの生産も再開するだろう。
「……よし! 一回帰ります!」
無理はしない。その約束だ。
宣言して、ダッシュで逃げた。見た目も怖いし。
あれはなかなか、手ごわい相手なのではないだろうか。
そう思って第一ステージ境界の鳥居まで戻って報告すると、イコマが申し訳なさそうな顔で時限爆弾を『複製』で数十個増やしてバックパックに詰め始めたので、タンバは無言で思った。
「どうかしていますね!」
「口に出てるよ、タンバくん」
「ていうか、その、さすがにその規模の爆発だと、僕の走力でも爆風から逃げきれるかどうか……」
対爆ボディアーマーを手渡され、学ランの上から装着された。
微笑むナナがうなずいて、言った。
「コスプレ二品増加でどう?」
五分ほど問答した結果、マコが男装してから女装してから男装することになり、結論からいうとタンバは爆音で鼓膜が破れるかと思ったし、魔石はBランクだった。
第二階層、クリアである。
「……もしも。トラキチを殺さなくても良かったのだとしたら、僕は――僕が、したことは……」




