36 閑話【模擬戦争】 ヤカモチ、達人と相対する
「カグヤ朝廷兵部所属従四位大夫……近衛騎士代表格、ヤカモチ。お相手してもらえるし?」
「だれであろうと関係ない。叩き伏せるだけだ」
ヤカモチの名乗りに、クキは応じなかった。
老人はたしかな足取りで歩き、こちらに向かってくる。
二百メートルの朱雀大路は、すでに百メートルを割った。
――風船を割られたら負け、とはいうけど、実際のところ、大極殿まで踏み入れられたら、精神的には負けみたいなもんだし。
本陣は、侵されないから本陣なのだ。
ゆえに猶予は残り百メートル。
ここで仕留める必要がある。
親衛隊の他八人は、見たところ完全にオチている。
――最低でも五分……いや、十五分は起きてこないし。
応援は望めない。相手は手練れの兵士を素手で倒した武人。
相手にとって不足はないというか、むしろこちら側に不足がありすぎる。
――利点を生かす。それでなんとかするしかないし。
ヤカモチは名家の出だ。
習い事らしい習い事は一通りこなしてきた、名家のギャルだ。
空手や合気道、柔道は性に合わず、段位をとったところで稽古をやめたが、唯一、ずっと続けてきた武道がある。
ぐるりと棒を回して、感触を確かめた。
クキが歩を止め、首を傾げた。
「小娘、それは……通常の杖術ではないな」
「あたり。刃がないとモンスター相手は厳しいから、最近は薙刀ばっかりだったけど……アタシ、実はこっちのほうが得意だし。ていうか、よくわかったね」
「七十年の生、そのすべてを武道に捧げてきた身だ。見ればわかることもある」
「すごい。マジ武人じゃん」
ヤカモチの家に、代々伝わる古武道。身長と同じ長さの棒で戦う、独自のものだ。
――やめたくてもやめられなかっただけなんだけれど。
家の伝統。つらく苦しいことばかりの習い事だった。
生涯を武道に費やしてきた老人との戦いにおいて、そんなものが通用するとは思えない
「シッ」
それなら、せめて先手を取る。
短く息を吐き、白樫の木で作った杖を繰り出す。下方を薙ぎ払うように振るえば、老人の足が止まった――ように、見えた。
「わッ!?」
一瞬、未来が見えた。『予見術:C』の観測だ。
自分の腕が捻られ、地面に叩き伏せられるビジョンが、脳裏をよぎる。
慌てて半歩下がり、棒を構えなおす。
いつの間にか、腕一本分のところまでクキが近寄っていたのだ。
「……ほう。縮地を見て取ったか。いい目だ」
「な、なにその……ぬるって動くやつ! こわっ!」
「世の中にはこういう歩法もある」
クキがもう一歩、前に出た。レンカは全力で背後に飛んで、距離を大きく開ける。
ぞ、と背筋が震えた。脂汗がどぱっと噴き出て肌を流れ落ちる感触。
――近づかれたら、負けるし……!
そんな未来が、脳裏をちらつく。ちらついては消える。
そのすべてが、別パターン。
――どんだけ技の種類あるの、このおじいさん……っ!?
すでに三十以上の未来が見えた。老人が足を進め、手を振り、体のバランスを傾けるだけで、ヤカモチは三十回ほど負けた。
対して、ヤカモチが扱える杖術の基本は、打つ、突く、払うの三つ。
見得を切って出陣したが、どう考えてもこのままでは勝てない。
――ひとつでいい、勝っている点を使って上回らないと……!
イコマのような、総合力と物量で圧倒する戦い方は無理だ。
ならば、ヤカモチにあるものは。
「『予見術』全開だし……っ!」
ヤカモチには、スキルがある。
親友の命を救ったスキル。いまの戦闘でも、三十回以上ヤカモチを救ったスキル。
ヤカモチが虚空へ杖を打ち出せば、老人が踏み出しかけた足を戻す。
老人が軽く腰を落として前傾姿勢を取れば、ヤカモチが杖を持ち換えて突きの構えを取る。
直接の接触はなく、互いに牽制を仕掛け続ける。
はた目には、演舞のように見えるだろうな、とヤカモチは思った。
「……おや、この誘いに乗らんか。冴えはないが、やはり目は良いな。――いや、スキルか?」
「ずるいとか言わないでよ?」
「言わんよ。恩恵を受けているのは儂もだからな。『タフネス強化:B』がなければ、今日の運動でまた骨をやっていたに違いない」
「アタシ的にはそのほうがありがたいんだけど、いまから一本くらい折ってみないし? そしたら負傷退場になるからさ」
礼服をじっとりと冷や汗で濡らして、軽口で返す。
牽制だけで、これだ。
――こんなの、脳みそ破裂するって! きついし!
『予見術』は魔法のように先を読む能力だと思われがちだが、違う。
人間は、目に見えるものすべてを、耳に届く音すべてを聞いているわけではない。
視界に広がる景色の中から、意味がありそうなものを無意識化で拾いあげ、それ以外の情報をシャットアウトしているのだ。
音もまた同じ。雑音のすべてを聞くわけではない。聞き分けている。大勢が行きかう雑踏の中であっても、隣の相手ただ一人とだけ会話が可能なのは、無意識化で『それ以外』の情報を遮断しているから。
耳に届く音、視界に映る情報……本来は無意識化にシャットアウトされる情報を精査することで、数秒先の未来を予測する。
それが『予見術』の正体。先鋭化した先読み能力である。
――ギャングウルフの奇襲も、周辺の情報から読み取れたものだし。
半年前、親友ナナを襲ったオオカミたち。
身を挺してかばったのはとっさの行動だったが、唯一の正解だった。それは間違いない。
だが、あえてひとつ、後悔を述べるならば。
――アタシが奇襲を返り討ちに出来れば、ナナを心配させることもなかったんだし……!
杖を構え、打ち、突き、払う。
基本的には読み合い、先のつぶし合い。拳も杖も、かち合うことはない。
しかし、もしもどちらかに天秤が傾けば、一気呵成に勝負が決まるだろう。
遅々として戦況は変わらない。ヤカモチは歯噛みする。
――準英雄級。わかってる、アタシは『準』だ。
思う。もっと強ければ、と。
同格の筆頭騎士であったナナは、想い人とともにずっと先に進んでいる。
わかっている。自分の能力は、全体的に防御向き、護衛向きだ。
わかっているとも。体を張って守れれば、それだけで充分であるとも。
わかっているのだ。高望みは身を滅ぼすものであるのだと。
――わかっていても……!
それでも。
隣に立ちたい人たちが、いる。
負けたくないから、親友なのだ。
「おおお……ッ!」
ヤカモチは杖の速度を一段階上げた。
演武が過熱する。
作者も設定をよく考えずになんとなく出したからどういう理屈なのか不明だった『予見術』の全容がついに明かされましたね……!
フェイントとか基本的にぜんぶ効かないかわり、脳みそがフットーしちゃいそうになります。
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