32 閑話【模擬戦争】 元剣闘士、吠える
男は剣闘士だ。厳密にいえば、元・剣闘士だ。
スキルは『スピード強化:C』と『タフネス強化:C』で、いちおうそれなりに上位だった。
その彼が、腕自慢の男が、ライオットシールドに阻まれ、引き倒され、地面に転がされる。
――強いじゃねえか!
舌を巻く。
古都攻略戦争から半年もの間、やつらは訓練を積んでいたのだという。
勝手に、どうせ軟弱者の集まりだと思っていた。
よく知らず、想像で「あいつらは下の人間だ」と思い込んでいた。
都市国家ドウマン。なにわダンジョンが攻略されてからも、男はユウギリキャンプにとどまり、カグヤ朝廷への合流を避けていた。
だって、満たされていたのだ。
ユウギリの王国には、酒とメシと女があった。
あの性悪竜の元で、エンタメを提供し続けさえすれば、それでよかったはずなのだ。
なのに、突然現れたあの粘液男にすべてを奪われた。
酒も、メシも、女も、だ。
――わかっているさ。
きっと、人間として見たとき、正しいのはあっちだ。
竜を倒し、人間の世界を取りもどす。間違っちゃいない。
だが、一緒に行こうとは思わない。だから復古勢についた。
――過去を取り戻すって主義に、同調したわけじゃねえ。
男にとって、過去は……日本という国は、ひどいものだった。
大した金もなく、伝手もなく、たまに食う中華屋の天津飯が唯一のぜいたく。
そういう生活だった。社会の仕組みなんかひとつも知らないが、毎月、給与明細の何割かが、どこかのだれかに差っ引かれて消えていく。
あんな過去の、なにがいいというのか。
そんな男がユウギリの王国で地位を手に入れて、そして失った。
――過去なんか、クソだ。だが、未来もクソだ。
わかっているのだ。
きっと己は、未来だろうが過去だろうが、そしてユウギリの王国であっても、きっと大成はできない。成功は続かない。
地下闘技場が続いていたとしても、いつかは負けて、怪我をして、剣闘士から落ちていただろう。
――クソなんだよ、世界は。
だから、ムカついた。朝廷に合流しなかったのではない。できなかったのだ。
あのキラキラした夢を見るやつらから、目を背けたかった。見たくなかった。
薄汚れていたかった。ただアスファルトの地面に向かって悪態をついて、他人を呪っていたかった。
結局、それがいちばん楽なのだと知っていた。
――なのに、なんだっておれはこんなところに来ちまったんだか。
復古勢に合流なんてしなくてよかったのに。
それでもやってきて、雄たけびを上げて角材を振り回して、また弾き飛ばされ地面を舐める。
――ああ、こんなの、どっちも馬鹿じゃねえか。
復古勢も、朝廷側も。馬鹿しかいない。寝転がったままでいるのが、いちばん楽なのに。
なのに、どうしてか。
手を地面につけて、足を踏ん張って、歯を食いしばって、立ち上がってしまう。
「……ふざけんなよ……ッ」
吠えてしまう。
「おれたちだってなぁ、わかってんだよ……ッ!」
諦めは、簡単だ。なにより楽だし、癖になる。
でも。
「それじゃダメだって、わかってんだ……!」
わかっている。
復古勢の主張も、カグヤ朝廷の誇りも、社会の仕組みも、給与明細から差っ引かれた金の内訳も、なにもわからない。
けれど、立ち上がるチャンスがあって、この戦場に来た。
ただ、熱に浮かされた馬鹿みたいに、朝廷に一泡吹かせてやりたいと、それだけ願ってここに来た。
目を逸らし続けた、古都ドウマンにやってきた。
だったら。
「ここで目ぇ逸らしちゃダメだってことくらい、わかってんだよ……ッ!」
理屈なんてない。納得できるかどうかの問題だ。感情がうなずくかどうかの領分だ。
また引き倒される。立ち上がる。
全身、けっこうな量の傷がついてきた。あざだらけだ。
軋む体を前に引きずって、その辺に落ちている、だれかが手放した角材を拾い上げて、吠える。
「おおァ……ッ!」
どうしようもないうっぷんを晴らすかのように、殴り掛かる。
盾に阻まれ、引き倒され、また傷がつく。それでいい。地面が己の居場所だ。
地べたに寝っ転がって、流されるままで、諦めるがままで、負け続けるがままが、人生だ。
だが。
今日ばかりは、立ち上がる。
何度も。何度も。何度でも。
負けても生きてますからね、人間。
かくいう僕も何回女の子に敗北してきたか……。
★マ!




